専属使用人
目の前で嘲り笑っていた男が、ついに動かなくなった。
その瞬間、カリナは深く息をつく。傷口が徐々に消えていく様子から、男が絶命したことを理解する。彼が持っていた『祝福』――不死身の力も、限界を超えればこうなるのだ、と冷静に受け止めた。
だが、その理解は胸を刺すような痛みを伴っていた。
勝利を得たところで、失ったものは大きい。犠牲者を一人出してしまった事実は、彼女の心に重くのしかかる。冷静に動ければ、犠牲を一人たりとも出さずに済んだのだ。
「……これじゃ、だめだ」
その言葉を呟いた瞬間、隣にいたケビンが「いや」と言ってからカリナの頭を乱暴に撫でる。
「姫さん、今の戦い方は間違ってなかったぜ。ほら、不死身だろうが何だろうが、祝福に頼りっきりの奴らは窮地に陥ると頭が鈍るもんだ。姫さんの考え方、正解だって証明されたんじゃねえか! 俺ゃ信じてよかったぜ!」
ケビンの明るい声が耳に届く。だが、その軽い調子に救われるどころか、カリナの心は一層苦くなる。戦い方が正しいとして、結果が伴わなければ意味がない。犠牲を出しての勝利では意味は一つもないのだ。
「でも、私は……」
カリナが何かを言いかけたその瞬間、ケビンがカリナの肩を軽く叩いて遮る。
「『私は』じゃねぇよ」
彼の言葉には、無駄にくよくよ悩むなという意志が込められていた。
「成功も失敗も、全部背負うのがリーダーだろうが。一つ一つ悔やんでたら、無駄な禍根を残すだけだぜ。こういうときはな、博打をするみたいにパッと切り替えろ」
「博打をするように、って……あんたね、人が死んだのよ?」
カリナはケビンを睨む。あまりの軽さに苛立ちを覚えたのだ。
「それと、頭から手を放してくれる?」
ケビンは面倒くさそうに眉を寄せながらも、肩と頭から手をどける。
「へいへい、わーりましたよ」
ケビンは少しふてくされたように肩をすくめたが、すぐに真剣な表情に戻った。
「でもよ、姫さん、俺の言葉をちゃんと飲み込んでくれ。祝福で全部が決まる国を変えるってんなら、犠牲はどうしてもつきものだ。それが大事なのはわかるけどよ……全部を深刻に受け止め続けてたら、あんた自身が潰れちまうだろうが」
「……」
カリナは言葉を返せなかった。ケビンの軽い言葉の裏に、彼なりの優しさと真剣さがあることを知っているからだ。
それでも、割り切れるほどの覚悟が、今の自分に備わっているかどうかはわからない。
「肝心なのは、心の調整だよ。背負い方を間違えると、俺たちの未来どころか、姫さん自身がポキッと折れちまう」
ケビンの言葉に、カリナは小さく頷いた。
簡単ではない。それでも、彼の言う通り、進むためには自分自身を調整していかなければならないのだと――頭では理解していた。
「……ありがとう、ケビン。少し気が楽になったわ」
「そら良かった。さてと……ここから早く脱出しちまおうぜ」
彼は剣を構えながら忍び寄る敵兵に目をやる。
カリナもケビンの視線を追った。霧のように薄暗い廃墟の中、敵兵が次々と姿を現しつつある。光を失った瓦礫の影から、剣や槍を握った者たちがゆっくりと近づいてきた。彼らの足音は、重く、湿った空気に溶け込むように響いている。
「敵は……何人いるのかしら?」
カリナは静かに問いかけた。心を落ち着けるためにも、状況を正確に把握する必要があった。
「ざっと十人ってとこだな。でも、油断はするなよ。祝福持ちが紛れてるかもしれねえ。不死身みてぇなトンデモ能力が何人もいるとは思えねぇが、かもしれないと思わないよりはましだ」
ケビンは目を細めながら答える。彼の剣先が僅かに揺れたのを見て、カリナは彼も緊張していることに気づいた。距離が近づく。まだ敵はこちらに気が付いていない。
仕掛けるべきか。そんな迷いが脳裏によぎるころ。
「ぐぁああああああああぁあああああ!!」
トラックが衝突したような破裂音を響かせる。その音を響かせた人物は、やってきていた敵兵をせん滅していった。まさに豪鬼と呼ぶに相応しい、乱暴で強引な戦い方だ。
男は、一通りのせん滅を終えた後、カリナたちの前へ姿を見せる。
「エストン将軍! 来てたんすかぁ!?」
エストン将軍と呼ばれた男は、軽くケビンを睨みつけるように目を細めた。その視線には威圧感があり、カリナですら一瞬息を呑むほどだった。
「君は?」
「王立学院のケビンって言います! 姫さんは、俺の金づるです!」
「金……づる? それは、まぁ。非常に聞き捨てならない言葉だなぁ……」
「まぁまぁ、そんなことより。終わった後は、報酬くださいよぉ?」
低く響く声には、ケビンを叱責するような鋭さがあった。しかし、それを真に受けるケビンではない。彼は肩をすくめて苦笑を浮かべる。
「そりゃあ、命を張る以上、それ相応の報酬は必要でしょう? エストン将軍、俺たちは慈善家じゃないんですよ」
軽口を叩きながらも、ケビンの手は剣を握ったままだ。決して警戒を解いていないのは、流石といえる点だろう。
一方、カリナは二人のやり取りを静かに見つめていた。エストンの登場が彼女に与えたのは、安心感と同時に一抹の不安だった。彼は間違いなく頼もしい味方である。味方が増えることで、安心感は増える一方。周りの警戒を怠れば、いつどこから攻撃が来るか分からないからだ。
死なないためには、絶対に油断しないこと。
これは、皮肉なことにアリスを失ってから学んだことだ。
「エストン将軍、そろそろ話をやめて戻りませんか? お二人が前衛、私が奴隷警護に回ります。彼らが死ねば、この捕縛作戦は失敗ですから」
「うむ、そうじゃな」
「へいへい、姫さんのご命令とあれば、なんなりと」
ケビンとエストンが互いに返事して、前方へと向かう。
彼らが先行する形で森を歩き、カリナがヴァナネルサと共に背後へ回った。背後に回ったのは子供たちとはぐれないようにするためだ。
「ヴァナネルサ。治療してくれてありがとう。お陰で化け物を倒せました」
カリナが微笑みながらそう言うと、猫亜人の青年、ファレット・ヴァナネルサは猫耳をぴくりと震わせた。彼のピンク色の猫耳は、彼の心情を如実に表すように、少しだけ後ろに倒れる。
「あ、ありが、とう、ございます……」
ヴァナネルサのか細い声が耳に届くと、カリナは彼の表情に目を留めた。耳と頬を赤らめながら、誇らしげにも、戸惑っているようにも見える。そのどちらともつかない微妙な表情が、彼の不器用な純粋さを感じさせた。
カリナはふっと微笑んだ。この青年にはまだ多くの可能性がある。そのことを確信しながら、心の中にふとある考えが浮かんだ。
「ねぇ、ヴァナネルサ。一つ、聞いてもいい?」
軽やかな調子で尋ねたつもりだったが、自分でも少し緊張を含んでいるのが分かった。けれど、後悔はしない。彼にはそれだけの価値があると感じていた。
「な、なんですか?」
ヴァナネルサは耳をぴんと立てながら、少しぎこちない声で返す。その動作が子犬のようで、カリナは思わず笑いそうになるが、今は真剣に話すべき時だと自分に言い聞かせた。
「もしも、だけどさ。あなたが望むなら……私の使用人として、活動しない?」
言葉を紡ぐと、ヴァナネルサの瞳が大きく見開かれる。驚きのあまり、彼は固まったように動けなくなり、目を瞬かせながらカリナを見つめた。その反応に、カリナは内心で小さく息をつく。彼にとって、この提案は簡単に受け止められるものではないのだろう。
「し、使用人……ですか……?」
かろうじて絞り出したような彼の声には、驚きと困惑が滲んでいた。
「そう。あなたの力は目を見張るものがあるわ。一瞬で治療する技術なんて王立学院を卒業した人間でも見たことがないわ。もしあなたが専属の使用人になってくれたら……これほど頼もしいことはない」
カリナは一歩彼に近づき、真っ直ぐにその目を見つめる。彼女が嘘をついていないことは、その表情や声音から十分に伝わるはずだ。
ヴァナネルサの視線が少し揺らぎ、やがて下へと落ちた。
「で、でも、あたしみたいな、きたない、ひと、が……」
彼の声は弱々しく、自己否定に満ちている。カリナの胸が痛んだ。これまでどれだけ自分を否定されてきたのだろう。それでも彼は、拒絶しきることはしなかった。その一抹の希望を信じて、カリナはさらに一歩踏み込む。
「そんなことないわ」
優しく、それでいて力強い声音で、カリナは言葉を紡ぐ。
「あなたがどんな過去を持っていようと、私には関係ない。大切なのは、これから先、どんな未来を描くかじゃないかしら?」
その言葉に、ヴァナネルサは小さく息を呑む。その胸に何かが響いたのが、カリナにも分かった。彼にとって「未来」という言葉は、どれだけ遠いものだったのだろう。
「……そんなあたしでも、やくに、たてるでしょうか……?」
戸惑いながらも希望を求めるような彼の声に、カリナは笑みながら迷いなく頷いた。
「もちろんよ。私が保証するわ!」
その言葉はまるで太陽のように明るかった。
ヴァナネルサは息を詰め、わずかに震える指先を握りしめる。
彼はしばらく沈黙した後、意を決したように小さく頷いた。
「……わかりました。これから、よろしくおねがい、します……!」
その声はまだ不安定だったが、確かな決意が込められていた。
「ありがとう、ヴァナネルサ。これからも、よろしくね」
カリナは満足げに微笑みながら、彼の肩に手を置いた。その小さな仕草に込められた温もりが、彼にとってどれほど救いとなるか、カリナには分からない。けれど、彼の瞳にわずかでも光が灯ったのを見て、自分の選択が間違っていなかったと確信した。
彼女は改めて前を向く。
彼を受け入れる環境も整っていないし、外敵の脅威も残っている。
それでもカリナは進むべき道を見失わない。
彼を守るため、そして自らの願いを実現するために。
「………………」
カリナは無言で、オーリスの森を進み始めた。
隣で、猫亜人が目元をにやけさせていることに、彼女は気づいていない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます