予想外の男

 エストンと不気味な男が、互いの獲物を持ちながら対峙する。夜闇から僅かに覗く月明かりがオーリスの森にいる彼らを照らしているが、良好とはいいがたい。夜目への慣れが無くなった方が、負ける。二人は無意識にそう解釈する。


 最初に先手を取ったのは、メスを右手に、左手に鋭利な刃物を持った男だ。男は得意のメスによる投擲攻撃で敵を穿とうとする。それに対し、エストンは普段よりも軽い剣で対応。

 カランカランとメスが地面にぶつかり、音を鳴らす。


「全く、あんたといい小娘といい……ブレス王国の連中はそれを常識と身に着けてるの、厄介が極まっていますねぇ!!」


 苛立ちを言葉にしながら、腹を裂くべく鋭利な刃物で刺そうとする。その鋭利な切っ先が腹を薙ごうとしたとき――男の体が真っ二つに二分され、木々へと飛ばされる。ぐしゃりと上半身が潰されて、頭が無造作に転がる。


「あっぱれ! よく仕留めたな! だけど……あんたにゃ無理だ!」


 男はそう言ってから――瞳から生気を消す。違和感を抱くような顔でエストンは死体を見る。じっと見たうえで、もう片方の肉体を探しに向かう。が、そこには失血した跡だけが存在する、奇妙な状況が広がっていた。


「――まさか、何かしらの『祝福』持ちか?」

「ご名答っ!!!」


 エストンが血痕を見て考える素振りを見せる間に、草陰から男が飛び出してくる。傷一つない男に、一瞬だけ油断したエストンが右腕に一撃貰う。

 鋭い反射神経で攻撃を避けて見せるが、初老の肉体が受けるにはそれなりに厳しいのだろう。顔面のでこから顎下へ、汗が一つ流れ落ちた。


「その能力……『蘇り』か。稀有な力だな」


 蘇り。それは文字通り、体を復活させるというトンデモ能力だ。死ぬことをトリガーに身体を復活させる、異形の力である。


「その腹を見るに、貴様は不死ではない。残機制だな」


 エストンは男の腹を指す。そこには、絶叫しながら消えていく顔の姿があった。


「貴様のそれは、死ぬたびに体の顔が消えていくというものだな。上半身が潰されたのに、顔が戻る理由は不明だが……中々に厄介だ。今見えてる限りでもあと三回は、殺す必要がある。全く面倒な力を神はお与えになったな」


 エストンは面倒くさそうに剣を握る


「なっ――!? 貴様、なぜ逃げる!?」

「逃げるに決まっているじゃないですか。あなたには勝てないと考えが回りました。それよりも心臓を得るほうが、有効である。そう考えるのは当たり前でしょ?」


 エストンの顔が険しくなる。血の気が引くような思いが胸をよぎる。男が逃げる先にいるのはカリナ、そして戦闘のできない奴隷たち。もしもあの狂人の狙いが彼らの命を「残機」として使うことだとしたら――。


 エストンは考える間もなく地を蹴った。素早く振り返り、森の中を全速力で駆ける。身体中の筋肉が悲鳴を上げるが、そんなことを気にしている場合ではない。


「止めねばならん……奴がカリナさまたちに手をかける前に!」


 森の奥では、男がニヤリと不気味な笑みを浮かべながら全力で走っていた。その背中に、幾つかの顔が浮かび上がった腹部が動きと共に揺れる。

 男の能力は単なる「蘇り」ではなかった。ただ復活するだけではなく、他者の命を吸収し、自身の「残機」として取り込むという恐るべき力だったのだ。


「心臓が手に入れば、何度でも――いや、無限に復活できる! あのガキと奴隷たちさえいれば、私は……何度でも美しく! 俺たちは何度でも強くなれるぜ! ひゃははははははは!!」


 男は確信に満ちた声で呟きながら、走る速度をさらに上げる。もはや彼の瞳にはエストンの姿は映っていない。狙うべき標的はすでに定まっているのだ。


 ※


 一方、カリナは奴隷たちを従え、森の中を慎重に進んでいた。彼女の手にはランタンが握られており、その炎が闇をわずかに照らしている。夜目を活かして周りを警戒するヴァナネルサに、体の傷治療を依頼したことで、体の動きは良くなっている。しかし、疲労は消えない。


 周りを見る。一緒に学んできた仲間や奴隷の子供たちが苦しそうな顔で早歩きしている。年は若いが、空腹状態であるためか動きは芳しくない。


 カリナは子供たちの顔を確認するが、色合いは芳しくない。

 ご飯にありつく時間がないストレスと疲労感によって、体調を崩しているのだろう。しかも、敵から追われているのだから二重苦が体を苦しめているのである。


 これもすべて――あの敵に見つかったことからだ。

 なぜ敵に見つかったのか。自分なりに考えてみたが、解は出ない。


(……今は、この子たちと逃げなきゃ。死なせてしまうのは、絶対に避けたい)


 心の中で呟いた瞬間、背後から草むらをかき分ける音が聞こえた。

 カリナは即座に振り返り、奴隷たちを背後に庇うように立つ。


「誰かいるの?」

 

 カリナの声が静かな森に響く。数秒の静寂の後、草むらから現れたのは、全身に血の匂いを漂わせた例の男だった。


「おやおやぁ、意外に近いですねぇ!! ありがたいことです!」

「狂人め……!! エストン将軍をどうした!?」


 カリナの声には怒りと焦燥が混ざり合っていた。目の前の男から漂う血の匂い、そしてその不敵な笑み――嫌な予感しかしない。


「貴方に教える義理はありませんよっ!」


 男は口元を歪め、腹部の顔たちを揺らしながら嘲笑った。その姿は狂気そのものだった。


 カリナは剣を構え、奴隷たちを背後に隠すようにじりじりと後退する。全員を守らなければならないという責任が、彼女の心を強く締め付ける。


「こんなところで足止めを食らっているわけにはいかないの……!」

「足止めですかぁ? いやいやぁ、それまた大変ですねぇ。守るものが多いっていうのは、相当大変ですねぇ。へへっへへへへへへ」


 男は舌なめずりをしながら、一歩、また一歩とカリナに近づく。その目は、完全に獲物を狙う肉食獣のそれだった。


「私はただ……命をいただくだけ。そして、永遠の命にするだけですよ!!!」


 男の顔には狂気じみた笑みが浮かび、次の瞬間、近場にいた奴隷の一人に素早く飛びかかる。その動きは尋常ではなく、カリナが声を上げる間もないほどだった。


 男は奴隷の喉元に鋭利な刃を突き立て、そのまま肺へと深く刺し込む。奴隷は短い呻き声を上げ、次の瞬間には地面に崩れ落ちていた。男はそのまま、少年の腹を裂き、心臓を切り裂く。


 そして――心臓を口に含んだ。


「くっ……!」


 カリナは悍ましい光景から目を背けぬように焼き付けて、剣を構え直す。だが、奴隷を守れなかった悔しさが、彼女の胸に重くのしかかる。その瞬間、彼女の眼には信じがたいものが映る。腹に顔が一つ、増えたのだ。


「見てくださいよ、この美しい命が……私のものになる!」


 男は狂ったように笑いながら、自身の腹部を指差す。そこに刻まれていた消えかけた顔が一つ、新たに浮かび上がってくる。


「あぁ、おいしかった。ごちそうさまでした」


 男は血の付いた口を拭い、微笑む。


「さてと。一つ、面白いものを見せてあげましょう」


 男は死体となった奴隷を手に持つと、それに力をかける。

 そして、一定以上力をためたタイミングで――胸を拳で殴りつける。


 刹那――奴隷の肉体が、爆弾のように吹き飛んだ。


「――ッ!!」


 血と肉片が飛び散り、辺り一面が惨劇の光景に染まる。その瞬間、カリナの心に鋭い痛みと激しい怒りが込み上げてきた。彼女の脳裏に、忌まわしい記憶が鮮明によみがえる。


 アリスの最期。

 無垢な少女が、爆破によって命を奪われたあの光景――。


 思い出したくもないトラウマに、一瞬足がすくみ動きが止まる。

 そんなカリナの背後から、影が一つ現れる。


 ヴァナネルサだ。武器を一つも持たない彼が、狂乱状態となりながら敵へと突っ込んだのだ。怒りによって支配された彼の直線的な動きを見たカリナは、「とまれ!」と指示を出す。


 だが、呼びかけ空しく。彼の腹はメスによって抉られた。皮の隙間からどす黒い血が漏れる。地面が赤黒く染まる。血液が落ちるさまを見てカリナは動揺しなかったが――後ろにいる子供はそうはいかない。


「にいちゃぁああああぁぁあああああ!!!」


 子供の悲鳴が森へ響く。年上の兄と仲間が死んでいく様を見れば、動転するのは当然だ。

 だが、状況が悪すぎる。声につられて、敵が持っていたランタンの灯りが見える。

 声につられ、敵がやってきたのだ。カリナは周りの絶望的な状況に、顔を青くする。


(なんで、こんなことに……)


 頭の回転が増すと同時に、なんでこのような状況に追い込まれたかが克明に思い出せた。原因は、エストンと合流するために用いた、発煙筒だった。音は小さめだが、煙の方向は見える。もしも煙の方向を辿ってきたとしたら――


 口がざらりとする感覚を、カリナは自覚した。頭が石のように重い。吐き気が喉奥からやってきて、思わず嘔吐しそうになる。目頭が熱くなり、視界が二重にぼやけた。


「あは、あはははははははははっ!!」


「私は弱いなぁ! 最悪だよぉ!!! ここにきて……自責思考に耽るんだからさぁ!」


 怒声を散らしながら、剣を構える。疲労でいっぱいいっぱいの体を用いて、狂人へ突進攻撃を繰り出した。が、彼女の単調な攻撃は男からすれば対処のしやすいものであった。


「ぐふっ!」


 男が投げたヴァナネルサと交錯し、背中から地面に落下する。幸い剣が突き刺さらなかった。ヴァナネルサは致命傷を避ける形となったが、窮地には変わりない。


「あぁ、なんでことだ……麗しき乙女が水を流し、顔をしわくちゃにしているっ! あぁ、あぁ!! 滾るッ! 滾りますねッ!!」


 嘲りながらカリナの顔前にしゃがみ、首に手をかける。男の異様に冷たい手が化け物のように不気味で。これから死ぬという安寧が、希望のように感じられた。

 体中が疲労で悲鳴を上げ始めている。既に限界を迎えていた。


「ひゃあっはあああああああああああ!!」


 男がカリナの腹を薙ごうとする。彼女が最早ここまでと思い、目をつぶった時――それは突然やってきた。


「ぐあぁっ!?」


 突然男の手が緩くなり、情けない声が響いたのだ。

 何事だと思い、ゆっくりとまぶたをあける。


「よぉ、久々だな、姫さん」


 そこには――いるはずのない男が立っていた。

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