ヴァナネルサ

(さっきの投擲から察するに、相手は手練れだ。)


 カリナは男の挙動を冷静に観察しながら、頭の中で次の一手を計算する。あの短剣の軌道は見事だった。無駄のない投げ方から察するに、単なる威嚇や挑発ではなく、確実に相手を仕留める意図が込められていた。


(……ただの狂人ではない。殺意を持ちながらも、その動きには迷いがない。つまり――本物の殺し屋か、それに近い存在。)


 逃げることは不可能だと考え、男が立っている広い場所へと身を露わにする。


「ふむ、いいですねぇ……その目! やはり、ただの王女様というわけではないようで!」


 まるで楽しむように声を上げながら、男は新たなメスを手に取り、素早く間合いを詰めてきた。その動きには一切の迷いがなく、殺意だけが研ぎ澄まされている。カリナは構えた剣で冷静に応じるが、まだ攻勢に転じることはせず、相手の動きを観察することに徹していた。


(近距離戦が得意なタイプ……。刃渡りは短いけれど、その分、素早い動きで何度も攻撃を仕掛けられる。無駄のない踏み込み――厄介な相手ね。)


 男の動きは予想以上に速かった。カリナが剣で防御を固めても、その動きは止まるどころかさらに鋭く、彼女の防御を抜ける隙を探してくる。


 何本も地面に突き刺しながら、無限に取り出して突き刺そうとする。


 刃と刃が交錯するたび、金属の高い音が小さく響く。男は胴体を軽やかにひねりながら、まるで蛇のように次々と異なる角度から攻撃を繰り出してきた。三か月間戦場で戦ってきた敵より小さい獲物を使う敵は、夜中だと不利でしかない。


「どうしました? 剣の持ち方はなかなかのものですが、それだけでは私には届きませんよ!」


 男は軽口を叩きながら、次々と鋭い攻撃を繰り出す。その一撃一撃は殺意に満ちており、無駄が一切ない。


「ぐっ……!」


 カリナは短く声を漏らしながら、一瞬だけバランスを崩しかける。重い剣で男の攻撃を受け流そうとした結果、筋力がついていかなくなり始めたのだ。


(この剣では防御に徹するのは難しい……。相手のスピードに合わせるには、もっと機動力を意識しないと――。)


 足取りが重たくなったことを悟られないように、一歩引いて距離を取る。男の動きに合わせて防御を固めていたが、そのたびに剣の重さが腕に負担をかけていた。


「どうしました? もう疲れましたか? って、口を利ける余裕すらなさそうですね。これでも私、闇医者をしていますからそれなりに分かるんですよ、いひひっ、ひひひひひひひっ!!!」


「あぁ、どうしようかなぁ。腹を薙いで臓器を奪って治療に用いるか、あるいは……そのまま食べちゃうか。どっちが良いかなぁ――」

「――黙れ。この狂人が」


  短く冷たく言い放ちながら、カリナは足元をしっかりと踏みしめ、重い剣を握り直す。


「……ああ、反応が速くなった。私の楽しみを奪ってくれるんですねぇ」


 男はニヤニヤしながらじりじりと近づいてくる。足音が軽快で、まるで本当に遊び心を持っているかのようだ。


「私にとっては戦いも治療も快楽なんですよ。何より、依頼形式ならお金を手に入れつつ快楽を果たせる。最高ですよ。ってことでぇ……そろそろ、終わりにしよう!」


 男が強く張られた弓から放たれる弓矢の如き速度で、少女を穿とうとする。それに対し少女が対応したのは――予想外の一撃だった。


 なんと――剣を、横回転させる形で投げたのである。


 あまりに虚を突いた一撃。

 それに反応ができなかった男は胴体を分離される。


 普通の人間ならそこで息絶えるはずだが――


「私はぁ! 全てを手に入れるのだぁぁぁ!!」


 感性と気力が、それを凌駕する。


 生きている男が目にもとまらぬ速さでメスを投げ、投擲したのだ。

 これによってカリナの逃げ場をなくし、そのままのしかかろうとする。

 体重が成人男性である男が上である以上、勝てると読んだうえでの行動だった。


 が、たった一つだけ、男には予想外のことがあった。


 少女が、メスを握っていたのだ。


「あなたの敗因は一つ。私に、軽量で守れる武器を渡したことです」


 少女が口にした直後、飛んできたメスが目にもとまらぬ速さで撃ち落とされる。

 あまりに理不尽、あまりにひどい実力差。それに男は激昂する。


「ふざけるなっ……! こんなところで私はっ、私はぁぁっ!!」


 あまりに聞き苦しい声に、カリナは脊椎を切断する。 男の半身が一瞬で硬直し、その場に崩れ落ちる。彼女は男が息絶えたことを確認してから、投擲した銀剣を手に去る準備をする。


(声が出すぎた。エストン将軍が殲滅してくれているようだが……無事に生きて帰れるか不明だ。何よりこんな夜に動くのは危険すぎる。どうにかして、夜を越さなければ……)


 そんなことを考えていた時だ。茂みががさがさと揺れる。

 

「――っ!」


 敵かと思い、意識を切り替えて視認する。

 現れたのは、泥と土で汚れたセミロングのピンク髪に猫耳、青い瞳を持つボロボロな服を着た人物だった。胸元が完全に露出しており、白肌からは恥部が露になっている。


 予想外の光景に少し驚いていると、奴隷は口を開く。


「あなたが、たおしてくださったんですか?」

「えぇ。苦戦したけど、なんとかね」


 その言葉を聞いた猫亜人は、青色の瞳に光を宿す。

 少し不器用な顔をぱぁと明るくしながら、


「ありがとう、ございます……おれいを、したいので、きてください」


 たどたどしい言葉遣い。だが、今までの奴隷とは明らかに違う知性があった。

 先ほど話を聞いた猫亜人とはこの人物だろう、カリナは直感でそう感じた。


「……わかったわ。その代わり、彼を治療してくれないかしら」


 カリナは苦悶の表情を見せる少年を立たせ、猫亜人の元へ連れていく。


「……わかりました。それでは、ついてきてください」


 カリナはそのまま、少年を支えながら猫亜人の後ろについて歩き始めた。茂みを抜けると、荒れた土地に突き出る洞窟が見える。

 中からは、ランタンのような灯りが漏れ、薄暗い光が周囲を照らしている。


「……ここは、あたしたちの、きょてんです」


 猫亜人がそう口にすると、数人の子供が前に出てきた。


「ルサにいだ!」

「ヴァナネルサにいちゃ! にいちゃ!!」


 戦場とは思えぬほど朗らかな空気に、カリナの口角が緩む。


「……かなり、人気者なんですね」

「いえ。それほど、でも……とり、あえず、なお、しますね」


 ヴァナネルサはたどたどしさを増しながら、治療を開始する。

 その魔法は、カリナが軍学部時代に見た規模をはるかに凌駕していた。傷跡一つ、残らない状態へと変えてしまったのだ。しかも治療された本人は生気を取り戻したかのように、


「おぉっ! 痛みが消えたっ!!」

「それは、よかったです」

「ありがとう! これで何度目かわからないけど!!」


 少年が、たどたどしい猫亜人へそんな言葉をかけていた。


「にいちゃはなー! ぼくたちをまいかいなおしてくれたんだ!」

「なぐられても、けられても、まいかいきずひとつなくなるのー! すごいよね!」

「そ、そんなにいわないで……は、はずかしいから……」


 ヴァナネルサは、嬉しさと恥ずかしさが交じり合った表情を見せながら頭をかく。


「……そういえば、胸元は隠さなくていいんですか? 女性、ですよね?」

「……? あたし、おとこ、ですけど……」

「――え?」


カリナは一瞬、言葉が出なかった。目の前の猫亜人が口にした言葉に、心が動揺を隠しきれない。確かに、外見は完全に女性そのものであり、まるで絵に描いたような美しさを持っている。セミロングのピンク色の髪、青く澄んだ瞳、白い肌――これが男性だというのが信じられなかった。


「お、おとこ?」カリナは疑念のまま、ゆっくりと声を発した。


「でも、あなたの外見は……」


猫亜人は少しだけ顔を赤らめると、恥ずかしそうに言葉を続けた。


「――み、みますか?」

「いや……大丈夫。一旦、あなたの言葉を信じるよ」

「そっか……」


 なぜかしょぼくれた顔を見せるヴァナネルサを見つめていると、周りの子供たちが声をかけてくる。


「ねーちゃ、びじん! かわいい!」

「ねーちゃ、ルサにぃのむこさんになってよ!」

「むこさんって……私は女性だし……」

「あたしも、おとこだし……ぎゃく、だね……」


子供たちの冗談にも似たお願いを真に受けて、ヴァナネルサが困ったように顔を赤らめている。先ほどまでの戦場とは考えられない緩やかな時間が溶けていく。


そんな時間が過ぎているころ、ヴァナネルサが立ち上がった。


「……さて、と。そろそろ、たべれるものをさがして、きますね」

「夜暗いけれど、大丈夫そう?」

「はい、あたしは、こうみえてたたかえますし。それに……さいきんは、へいしたちもちかよってこないので、だいじょうぶです、はい」


 カリナは少し考え込んだ後、ヴァナネルサを見つめ提案する。


「……いや、同行するよ。人数が多ければ、沢山持って帰れるでしょ?」

「――ふふっ、たしかに、そうですね」


予想外の返事に、猫耳が楽し気に揺れる。


「じゃあ、いきましょうか」


彼の声には、どこか軽やかな響きがあった。

一体何故なのか、という疑問を、カリナが抱くそぶりは一切ない。


彼女たちは洞窟内ではしゃぐ家族と仲間に「いってきます」と伝えてから、夜闇の中を一つのランタン頼りに行動開始した。

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