決して忘れないで
カリナの喉を穿たんとした刹那――彼女の手から、剣が離れていった。視界には、誰かの靴が映る。顔を上げるとそこには、筋肉質な体躯、無造作に被った帽子、そして学院の制服を乱れた格好で着こなす、葉巻を加えた男がいた。
ケビンだ。
「ケビン……貴様、何のつもりだ……!」
「決まってんだろ! 姫さんを死なせねぇためだ!!」
「うるさい! 私は……私はっ――死ぬべきなんだぁっ!!」
感情をむき出しにして、慟哭する。
剣を取りに向かおうと、可憐な姿を泥に濡らす。
だが、そうはさせまいとケビンが彼女の両肩を拘束した。筋肉質な体躯を持つ彼と幼い少女では、圧倒的に力の差があった。
「姫さん。こんなところで死んで何になるよ」
「死なせて……お願いだから……」
「こりゃだめだな……」
カリナが赤子のように泣く中、ケビンは拘束しつつ辺りを見渡す。地面には数えきれないほどの血痕が広がり、無惨な姿となった男たちの遺体が散乱している。
近場には体の一部が爆散した少女がいる。カリナと同じ格好だ。
「なるほど……大体理解できた。あいつらが姫さんの友人を殺したんだろ?」
「……そうよ。私が……初めて、初めて気持ちを許せた友達を……あいつらは金とか報酬とか、そんなゲスな理由で殺したのよ!! 私がずっと欲していた友達を、私の前で、前でっ……」
カリナは泥に顔をうずめながら、必死に叫ぶ。王女とは思えない暴れようにケビンは驚いたような顔を見せていた。
「驚いたな……姫さんが、こんな子の命を奪ったやつらを殺すために王立学院の連中を全員殺してみせるなんてな……天涯孤独、感情持たぬ美人だと思っていたから俺ぁ驚いたぜ」
ケビンは呆れたように言いながらも、ちらりと倒れた男たちを一瞥する。全員既に息絶えていることは、尋常でない血液の流れが証明している。
「……そろそろ離して。もう、死ぬ気なんてないから」
「……わーったよ」
ケビンは泥だらけになったカリナから離れる。
「泥だらけで血だらけでも様になるな、って軽口を言おうとしたが……そんなことを言えないほど、ショックだったみてぇだな」
ケビンは友人と思われる少女の死体前で泣き続ける少女をそう分析する。
「とりあえずよ、姫さん。そろそろ、切り替えちゃもらえねぇか?」
「切り替える……? 何を言うのよ。私は、彼女を守りたいと思ってここに来たのよ!? もう戦う意味なんて……どこにもっ……」
「あぁ、そうかい。アンタがそういうならそれでいいさ」
ケビンはへらへらと笑ってから、カリナの胸ぐらをつかむ。
「だがよ。俺ぁ許せねぇよ。友が死んだからって役目を放棄するほど……あんたは、やわな人間じゃねぇだろ。なぁ、姫さんよ」
「……なんで、そんなにつっかかるのよ! 私はあんたのことを友達と思ってないのに!」
ケビンはカリナの発言に眉をしかめる。
「心外だぜ姫さん。俺ぁ友だと思ってるんだぜ?」
「嘘をつけっ! どうせ……金づるとしか思ってないくせに!」
「……はぁ、わかったよ。今は苛立ってるから、無理っぽいな」
男は被っていた帽子のつばを下げながら、声を低くする。
「まぁ、いい。なら俺は……ただ姫さんに恩義がある、一兵士ってことでよ」
ケビンは葉巻に似た棒を指先で軽く回しながら、死んでいる少女へ視線を落とす。
「……惨いな。彼女、相当いい子に見えるのに」
「えぇ、そうよ。彼女は慢心していた私を庇って、死んだんだから……どうせなら、私が死んでればよかったのよ!」
「あぁ、すまんな。もう付き合ってる暇はねぇんだ」
ケビンは感情を高ぶらせるカリナへ一言伝えてから、
「敵は取れたってわけだ。じゃあ、状況偽装しねぇとな」といった。
「……は?」
ケビンの言葉に、カリナの眉がピクリと動く。
「偽装? なんでそんなこと……」
「そりゃ簡単さ。姫さんが失脚したら、終わるからだよ。あんたのことだから、仲間殺しの件で死刑にでもなろうとでも思ったんだろうが……それじゃだめだ」
「いったい、どういうこと?」
ケビンは「鈍いねぇ」と言いながら、男たちの体をまさぐる。
その中から、一つの道具を取り出す。
「旧時代魔法の電話を基に作られた道具だ。王立学院の人間が戦型を整えられる様にする目的で与えられているが……履歴を見るに、違う目的で使用したようだ」
ケビンは蓋を開きそれを見せる。
非通知連絡と書かれた文字列が、そこにあった。
「戦場で連絡なんて、ほとんどの場合、ありえない。どこもかしこもひっ迫しているし、殺されては無駄になるからな。だとしたら、思い至るのはただ一つ。ここにいない第三者が、暗殺依頼をかけたんだろうよ」
「そんな、なんで……!」
「なんでって、決まってるだろ? あんたが生きてちゃ、王位を奪われる可能性がある。アルドリック・トラナグルの娘であるあんたが戦死すれば危険性は下がる」
「そんなこと、あるわけが――!」
カリナは力強く否定しようとしたが、その言葉は途中で喉に詰まった。
「……あるわけが」
だが、自分の中でその否定を完全に押し通すことができない。心の奥底で、薄々気づいていたのだ。王女という立場が、どれほど多くの敵意を引き寄せているかを。
「現実を見ろよ、姫さん」
ケビンは淡々とした口調で続ける。その態度は、慰めるでもなく、突き放すでもなく、ただ事実を語るかのようだった。
「トラナグルの王座を狙ってる奴にとっちゃ、姫さんは邪魔でしかねぇんだよ。いや、正確には邪魔ってだけじゃねぇ。お前さんの存在そのものが、連中にとっちゃ脅威なんだ」
「……そんな、そんな理由で、アリスは死んだっていうの?」
カリナの声は弱々しく震えていた。目の前で失った友。彼女の死の意味が、自分の存在に帰結するのだとしたら――
「死なせてよ。殺してよ!」
彼女は耐えきれない重みに目元から涙をこぼし、再度慟哭する。
男は、火のついてない葉巻を咥えながら、何も答えない。
口から洩れそうな言葉を今は言わないようにするために。
「お願いっ……だから、殺してよ……」
カリナは先ほどと同じような状態になる。自分が殺したようなものだという事実が彼女に湧き上がっていた立ち上がる力を奪い去ってしまった。今の彼女には、ただ、絶望する心しか残されていない。
やがて抱き着く力も薄れ、その場にへたり込んでいると。
「姫さん。俺はさ、生きてほしいよ」
彼女と同じ高さまでしゃがんだケビンが、葉巻を服にしまう。
何故そう言うのか、カリナには本当にわからなかった。
「……なんで? 金づるだから?」
「違う。だって……俺ゃ、姫さんが好きなんだよ」
ケビンは少し間をあけてから、立ち上がり背を向ける。
「俺ゃ、生粋のくずだ。生まれはいいのに、剣術も学力も、二流どまり。努力しても一流の原石にはなりゃしねぇ」
「だから、ギャンブルするんだ。ギャンブルってのは洞察力があれば結果を出せる。金が手に入れば、誰もが認めてくれる。馬鹿でもあほでも、近寄ってくれる」
「けど、俺にゃダチなんてできなかった。金の繋がりなんて結局、薄っぺらいもんになるからな。金さえ返せば、縁が切れるんだよ」
背中を向けながら、男が笑う。
時折索敵するような素振りを行いつつ、続ける。
「そんな俺は、王立学院では出来損ないの烙印を押されていた。祝福は貰っても結局人間関係はそいつの才能だ。だから、ぼっちだった」
「そんな頃さ。姫さんと出会ったのは。飛び級してきた女王様って聞いて、金づる、って思ったんだよ。最初の時はね。何せ、王女だからさ。飛び級といってもコネだ。どうせクズだって思ってたんだよ」
ケビンが一度、何かを振り払うように首を振る仕草を見せた後、こちらに向き直る。その動作の意味は分からなかったが、まるで何か覚悟を決めたようにも見える。
「けど、姫さんは人が良すぎた。俺が金を借りて敗北しても、特に文句は言わない。その上、真面目に学び続ける継続性もある。祝福がないって立場なのに、年下なのにすげぇって思ったよ」
「だからさ……俺は、アンタが好きなんだよ。憧れなヒーローなんだよ。だからさ。頼む、生きてくれよ。お願いだからよ……!!」
カリナは息を飲んだ。
彼はどうしてここまで、自分に入れ込むのか――疑問が一瞬、頭をよぎる。
状況は最悪だ。友人が死んだ。敵対した人間を殺した。
周りは死体ばかりで、空気は非常によどんでいる。
だが、それでも彼は告げたのだ。
カリナに生きてほしいという、ただの一心で。
「……ケビン」
「なんだ」
「バカだな、お前」
彼女は目の前でしゃがむ青年を見ながら、一言。
「私みたいな人間が死ねば、君の借金は消える。静かだけど、平穏な、そんな生活が出来たかもしれない。けれど、君は……私を救い、共に共犯者となることを選んだ」
カリナは死体を指さしながら、告げる。
「いいの? あなたの人生が、歪んでしまっても」
「……あぁ、いいさ。俺の手は既に汚れてるしな。幾ら汚れたって、微増だよ」
「……そっか」
カリナは寒い風を浴びながら、告げる。
「ありがとう、ケビン。あなたのおかげで少しだけ……気分が晴れたわ」
「そりゃよかった。んで、どうするんだ? 王様になって何を目指すんだ?」
ケビンの問いかけに、カリナは答えられない。
「ごめん、今は頭が回らない」
「……そうかい。なら、いい。じっくりと考えな」
ケビンはへらへらとしながら、「けど、忘れんなよ」と続ける。
「王様ってのはな、それだけで『力』だ。現時点でお前さんはまだ若いが、時間が経てば、あんたの名はもっと重くなる。……だから、今のうちに潰しておこうって腹の奴がいるんだ。だから……あんたは、もっともっと強くならなきゃならねぇ。友人が死んでしまうようなことは、絶対にないように」
カリナは、拳を固く握り締めた。
「あぁ、わかってる」
「そりゃよかった」
短いやり取りを交わしてから、ケビンは天を見る。
「姫さん。あんたがが背負ってるものを忘れなさんな。あんたは、義務がある。国を変えるっていう力を持つ以上、責任から逃げない役目がある。なぜなら――あんたはその星の下に生まれたんだからよ」
その言葉を、カリナは目をつぶり胸に刻み付ける。
「よし、いい顔だ。じゃあ、これをもっておけ」
ケビンはカリナを見つめながら、「連絡道具」を彼女に向けて掲げる。
「これがあれば、誰が黒幕なのか……少なくともその片鱗くらいは見えるかもしれねぇ。ただし、バレねぇようにしまっとけ。相手だって大人だ、幼女の部屋をあさるなんてこと、従者がいる手前、出来ねぇだろうよ」
カリナは震える手でそれを受け取った。
「……わかった」
「そりゃよかった。姫さんが消えたら、ギャンブルが終わるしな! ははっ!」
「……潰すかもよ?」
「そりゃねぇな! ハハッ!」
カリナはケビンの軽薄な笑いに目を細めたが、どこか微かに安堵のような感情も混じっていた。ケビンは葉巻をくわえ直したあと、「まずいわこれ」と投げ捨てる。
「それじゃあ俺は行くぜ。戦利品ありそうだしな。姫さんはどうするんだい?」
「私は……少し一人になりたいかな。疲れたし」
「……危なくねぇか?」
「安心して。もう、死んだりしないわよ」
「そうかい。なら、いいや」
ケビンは後頭部に手を組みながら空を見る。
カリナもつられて空を見ると、夜が更けているのが分かる。
「……ねぇ、ケビン」
「どうした?」
「……ありがとうね」
「別に。いいってことよ」
ケビンはにかっと笑い、帽子の端を軽く持ち上げた。
「んじゃ、俺はそろそろ行くぜ。姫さん、あんたが何をどうするかは自由だが……覚えておけよ。生きてれば、ギャンブルし放題。やりたい放題だ。命を捨てりゃ、それすらできないこと。ちゃぁんと、覚えておけよ」
「……それと、マジで気をつけろよ。姫さん死んだら、かなしいからな」
「分かってるわ」
「そうか、ならいい。んじゃ、またな」
彼は軽やかに振り返り、森へと姿を消した。
聞こえていた足音も消え、遂には静かになった。
(……そうか。そうだよな)
背中を見送りながら、カリナは前髪を揺らす。
ふわり風が揺れて木々の匂いが鼻をなぞる。
(……もう、会えないんだ)
目元から、何度目かわからない水が零れる。
袖で目と鼻を拭った後、汚れていない手で少女の目を閉じる。
可愛らしい少女は、一切言葉を出さない。人形のように、静かだ。
「……守ってくれて、ありがとう。アリス」
彼女の瞳は、もう二度とひらかない。
永遠に戻らないそれに、彼女の言葉が少しばかり止まる。
「…………」
燃え上がる感情――悲しみ、怒り、そして決意――が胸を支配する。それでもカリナは涙を流さなかった。今は泣くべき時ではないと、心が告げていた。
だってそれは――自分が見せるべき姿ではないからだ。
彼女を――友を――心配させないために。
本当にやるべきことを、するべきだと。彼女は考えて、言う。
「……私。絶対に生き残るから。そして……祝福のない子でも、平等に生きられる、そんな世界を目指すから」
今まで考えもしなかったことを口にする。
「だから……私、生きるよ。貴方のことを、忘れないために……」
カリナは真っすぐと見つめながら、目を瞑り、心を整えた後――笑顔で、言った。
「……だから。さようなら」
カリナは髪留めに結いつけてから、友の元を離れていく。
二度と戻らない楽しい時間を胸に秘めながら――
これからの未来を目指し、一歩一歩踏み出していく。
少女の未来はまだ、誰も知らない。
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