捕縛作戦 ①

 アリスの死から三か月後。


 ブレス王国とリヴァルディア王国の戦争は終結を迎えた。不毛な争いの果て、オーリスの森の資源占有権はブレス王国に帰属する形で停戦協定が結ばれる。


 勝利を祝う報告や褒章、そして各国からの祝宴への招待状が次々と国内の有力者へ届けられた。その中でも特に注目を浴びたのは、一人の少女―― カリナ・トラナグルだ。


 彼女は王立学院への飛び級進学を果たし、戦場では多くの「化け物」を討伐したとされる英雄。その美しい黒髪と少女らしいあどけなさを残す黒い瞳、そして戦乙女を彷彿とさせる凛々しい男装の姿は、国民から「戦場の星」と称賛されるだけでなく、貴族や兵士たちからも注目の的となった。


 彼女の名前は戦勝の象徴として語り継がれ、その存在は民衆の心に希望を与える光となった――少なくとも、表向きは。


 カリナ・トラナグル は、自室の窓辺に腰掛け、遠くを見つめていた。窓の外からは、戦勝を祝う民衆の歓声が絶え間なく聞こえてくる。しかし、その賑わいは彼女の心には届かなかった。


 机の上には、山積みとなった手紙や招待状。どれも未開封のままだ。豪華な装飾が施された封筒や貴族の紋章が押された蝋印。それらには褒章の言葉や称賛の詩、さらには華美な贈り物のリストまでが添えられている。


「英雄、ね……」


 彼女は小さく呟く。


 戦場で手にした「勝利」という結果が、カリナにとって重荷以外の何物でもないことは明白だった。目の前で散っていった無数の命――友、仲間、そして敵兵すら。彼らの叫びや血の匂いが、今も彼女の心を締めつけていた。


 ふと視線を机の隅に向けると、一つの髪留めが目に入る。それは、彼女が初めて友と呼べた少女―― アリス から贈られたものだ。戦場の混乱の中、奇跡的に無傷で残ったその髪留めは、カリナが何よりも大切にしている品だった。


(アリス……私はこれで、本当に良かったのかな?)


 髪留めをそっと手に取る。その感触は、あの日のアリスの笑顔を思い出させた。しかし同時に、彼女を救えなかったという現実が、カリナの胸に鋭く突き刺さる。


 その時、ドアをノックする音が響いた。


「カリナ様、失礼します」


 侍女がそっと部屋に入ってきた。その手には、一通の手紙が握られている。


「また招待状?」


 カリナは眉をひそめながら尋ねる。


「いいえ、今回は少し特別なようです。何せ、エストン将軍からのものですから」

「……将軍?」


 その名を聞いた瞬間、カリナの表情が険しくなる。


「内容は?」

「詳細は分かりませんが、重要な会議への出席を求めるものかと」


 カリナはしばらく考え込んだ後、静かにうなずいた。


「分かった。出席するって伝えておいて」

「かしこまりました」


 侍女が退室すると、カリナは封を切り、手紙の内容に目を通す。それは、戦後の資源分配と復興に関する重要な会議の召集だった。だが、そこに記された曖昧な文言の裏には、別の意図が隠されていることを彼女は直感的に感じ取っていた。


 残党狩り。


 手紙に記された内容を要約するなら、その一言に尽きる。


 戦争終結後も潜伏しているリヴァルディア王国の残存兵を完全に排除する――それが「資源の安定確保」と称された計画の実態だった。


「……戦場の後始末、か」


 カリナは呟く。冷酷で合理的な政策のようにも思えるが、その実行は、戦争で心を壊されかけた兵士たちにさらに負担を強いる行為だ。


 窓の外から響く祝賀の声が、彼女の耳にはどこか遠い異世界の音のように感じられる。


(これが……私たちの勝利の代償……?)


 広がる青空を見上げる。何事もなかったかのように穏やかなその景色が、かえって彼女の心を締めつける。


 カリナは再び机に向かい、深く考え込むように目を閉じた。


(殲滅を支持するべきか、それとも反対するべきか……)


 どちらの決断を選んだとしても、犠牲は避けられない。だからこそ、慎重に――だが確実に行動する必要がある。


「……とりあえず、会議に向かおう。」


 目を開け、ゆっくりと立ち上がる。考え続けても答えが出ないのであれば、まず現状を把握することが最優先だ。


 カリナは自分に言い聞かせるように呟くと、扉を開けた。


「ご準備はよろしいでしょうか、カリナ様?」

「ええ、行きましょう」


 従者に軽くうなずき、廊下を進む。差し込む柔らかな陽光が彼女の姿を照らすが、その表情はどこか硬いままだった。


 向かう先は王城の会議室――そこには、戦争の勝利を祝う名目で集められた者たちが待っている。そして、戦場の本当の「後始末」を話し合う場でもあった。


(……私にできることを見定めるしかない)


 カリナが会議室の扉を押し開けた瞬間、軽薄な口調が耳を刺した。


「おんやぁ? お早い到着ですねぇ、王女殿下ぁ」


 皮肉めいた口ぶりに、カリナは微かに眉をひそめたものの、冷静を保ちながら応じた。


「……ワラガオ卿も、ずいぶんお早いようで」


 カリナの言葉には、相手の揶揄を受け流しつつも僅かに釘を刺す意図が込められていた。


 ワラガオ卿はふっと笑みを浮かべ、上品に紅茶のカップを持ち上げながら肩をすくめる。


「ええ、お嬢様方の姿を見るのが楽しみでしてねぇ。華やかなお顔ぶれが揃うと、私のような老いぼれも心が躍るというものですよ。いやぁ、にしてもすごい。『祝福』をなしに戦場を生き残るとは……全く、『祝福』に溺れて努力を怠った阿呆どもに、あなた様の爪あかを飲ませたいですな。くっくっくっ」


 その目は、どこか意地悪い光を宿している。カリナはその視線を感じながらも、冷たい口調で切り返した。


「お楽しみいただけるのは結構ですが、場違いな冗談は控えてください。この会議は娯楽ではありませんので」


 一瞬の静寂が訪れる。だが、それは重いものではなく、むしろ場の空気を張り詰めさせないカリナの凛とした態度によるものだった。


 ワラガオ卿は楽しそうに目を細め、カップをテーブルに置いた。


「ふふっ、さすがは英雄様。おっしゃる通りですなぁ。まぁ、このような性分ですから。しょうがないってものですよ」


 彼は柔らかな笑みを浮かべつつ、椅子に深く座り直した。その態度には、一見穏やかな表情の裏に隠れた別の意図が見え隠れする。


 カリナは軽く息を吐き、視線を室内に巡らせた。まだ全員は揃っていないようだが、すでに何人かの貴族や軍関係者が席についている。その中には、ワラガオのような貴族たちへ敵意を示す者も多くいる。


 この国は体を張る軍関係者と、利益を追求する貴族層で分断されている――まるで、一枚の布が無理やり裂かれたかのように。


 軍関係者たちは疲れた表情を隠そうともせず、戦場の泥臭さを引きずったまま椅子に腰掛けている。彼らの多くは、己の誇りを武器に戦い抜いてきた者たちだ。カリナにとって、彼らは信頼を寄せる仲間でもあり、戦場で共に血を流した同志でもあった。


 一方で、対峙するように座る貴族たちは、豪奢な衣装をまとい、つまらなそうに小声で話し合っている。彼らにとって戦争とは、自分たちの財産を増やすための取引材料でしかないのだろう。カリナが目を向けると、彼らの何人かが嘲るような視線を返してきた。


 地獄を知るものと知らぬもの。それによって生まれる態度の差はあまりにも大きい。

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