捕縛作戦 ②

 部屋内に重苦しい険悪な空気が流れる中、一人の男が入ってくる。エストン将軍だ。


 貴族たちは、エストン将軍を見て一瞬、息を呑んだ。彼の存在感は、やはり戦場の英雄そのものであり、優雅に振る舞うことの多い貴族たちとは一線を画している。しかし、今のこの場においては、ただの将軍としてではなく、国の未来を左右する重要な人物である。


 エストン将軍は、軽く礼をしてから、ゆっくりと座る。彼の視線が部屋の中を一巡し、その後、カリナに向けられた。


「王女殿下、遅れて申し訳ない」


 その声には、深い落ち着きと信頼がにじんでいる。戦場で何度も命を預け合った者同士だからこその、独特の無言の理解がある。


「いえ、エストン将軍。お疲れ様です」


 カリナは静かに答え、そのまま視線を落とす。彼の言葉には、どこか重みがある。それは、長年の戦いの中で培われたものだろう。彼が言葉を交わすことなく、状況を瞬時に把握し、必要なことを語り始めることは分かっていた。


 将軍が席に着いた後、貴族たちの中で少しばかりの動揺が走る。その目には、警戒と不安が混じっているのが見て取れる。しかし、エストン将軍はそれらを無視するかのように、冷徹に言葉を続ける。


「さて、ここに集まったのは、今後の国の方向性を決めるためだ。戦争で失われたものを取り戻し、今後どうしていくべきかを考えなければならない」


 その言葉に、カリナは一瞬だけ頷く。彼の言う通りだ。戦争がもたらしたものは、決して戦争だけでは終わらない。破壊された社会の基盤、傷ついた人々、そして国を再建するために必要なもの。すべてを再構築しなければならない。


「しかし、再建のためには、まず戦争による損害、特に民間への影響をどうするか、議論しなければならない」


 将軍の声は冷徹だが、その中には不屈の決意も感じられる。貴族たちの顔色が変わる。その中には、戦争の後処理がどれほど厄介で、また自分たちにとって都合の悪い問題であるかを十分に理解している者も多い。戦争によって得られたものをどう分けるかという問題よりも、今後の展開のほうが遥かに複雑であることを、誰もが知っている。


「最初に、戦争で傷ついた地域の復旧について議論する……」


 エストン将軍は、いくつかの指示を口にしながら、詳細に話を進めていく。だが、そのすべてが、単純な復興を超えて、国全体にかかる財政的な負担、兵士たちの生活の再建、さらに最も難しいのは民間人への支援方法だった。


 その間、カリナは静かに耳を傾け、思考を巡らせる。どれもが難題だ。しかし、彼女には選択肢がない。すべてを受け入れ、この国を立て直すために、最良の策を取らなければならない。


 部屋の中で、ワラガオ卿をはじめとする貴族たちが意見を交わし始める。しかし、その声はすぐに感情的で、どこか利己的に感じられた。彼らは自分たちの利益を最優先にしており、戦争で失われたものに対してどれだけ関心を持っているのかが見え隠れする。


「王女殿下、お考えは?」


 ふと、ワラガオ卿の声がカリナに向けられる。その声には挑戦的な響きがあった。カリナは一瞬、眉をひそめるが、すぐに冷静に返答する。


「まずは、戦争で亡くなった学徒の者たちへ支援が必要だと考えます。残された遺族の気持ちは今も、あそこへ残されたままであると考えるためです」

「ほぅ……して、その方法は?」

「今回手にした利権を用いて手にした収入の一部を、分配する。それでいかがでしょう?」

「なぁるほど。すごく合理的ですな」


 ワラガオは笑みを浮かべてから、


「ですが、お金をばらまいて何になるんです?」


 言葉をつづける。


「考えても見てください、彼らは戦場へ行くための学部で働いていた者たちだ。その多くが軍学部所属の人間でしょう。もし今回、遺族へ支援を回したらどうなると思いますか?」


「それこそ、大パニックだ。過去の勲章を引っ張り出して、多額の金を引き出そうとする。或いは生きて戻った兵士を殺して金をせしめる貧乏人も現れるはずだ。どう対策するおつもりで?」


 ワラガオの言葉は、正論だ。カリナの案は相手が善人であると信じ切ったもので、ひねくれた人間が悪道に走ることを一つも考慮していないものだった。


 カリナは少し黙り込む。ワラガオの言葉が真実を突いていることを、否応なく認めざるを得なかった。確かに、戦争後の混乱した状況で、支援金が思わぬ方向に使われる可能性は大いにある。彼女が考えていたように、単に金銭的な支援を与えれば全てが解決するというわけではない。


「……確かに、そうかもしれません」


 彼女は冷静に認め、視線を少しだけ下げてから、再び部屋全体を見渡す。貴族たちがひときわ注目しているのを感じながら、彼女は続ける。


「では、どうすれば良いのでしょう?」


 その問いに、室内が一瞬静まり返る。皆がワラガオの次の言葉を待っているのだ。カリナもその間に思考を巡らせる。ワラガオの指摘は鋭いが、それでもどこか冷徹な計算にすぎない。彼が推し進める方向が正しいのか、それとも、もっと人間的な手段を選ぶべきなのか。カリナはその狭間で揺れていた。


 しばらくして、ワラガオがゆっくりと口を開く。


「まず、遺族への支援を行うにしても、軍関係者が関わる管理団体を設立するべきです。金銭はその管理団体を通じて配布し、条件を付けることで乱用を防ぐ。例えば、戦場における具体的な戦績に基づいて配分し、証拠が揃っていない者には一切支給しないという方法です。これならば最低限、犯罪を防げるでしょうね」


 ワラガオの提案に、多くの人間が賛同する。


「なるほど、理解しました。説明ありがとうございます」

「お褒めいただき、至極光栄でございます。して、誰がその団体を作るんです?」


 カリナは一瞬、言葉を飲み込んだ。ワラガオの質問は非常に現実的で、今後の方針を決める上で重要な問題だった。彼が提案した管理団体の設立に対して、誰がその責任を負うべきかは、ただの技術的な問題ではなく、権力闘争に直結する。


「それは、まず国の軍部が主導し、適切な指導者を選出するべきでしょう。私としても、軍の信頼できる者が仕切ることが、最も公平で透明性が高いと考えます」


 カリナは冷静に答える。しかしその言葉の裏には、ワラガオやその他の貴族層が干渉しないようにしたいという思いがあった。軍部が主導することで、少なくとも戦争の実情を知る者たちが中心となり、腐敗のリスクを減らせるだろう。


 だが、問題はそこではなかった。実際にその団体が作られる過程で、誰がその指導者に選ばれるのか、それが最も重要な局面だった。ワラガオのような貴族層がこの案を支持しながらも、実際には自分たちがその権力を握りたがっている可能性は大いにある。


「それなら、貴族や他の勢力はどう扱いますか?」


 エストン将軍が、カリナの言葉を慎重に受けて質問を投げかける。彼の声には、軍と政治のバランスを保ちたいという意志が感じられる。


「私としては、なるべく中立的な立場を取るべきだと考えます。軍が過度に関与することで透明性が損なわれては意味がありません。ですが、それで他者の気持ちを忘れてしまっては、意味がありません」

「なんだと? 我々貴族が人の気持ちがわからないとでも!?」

「いえ、違います。戦争を経験して傷ついた人間は、それの経験者しかわからない、という意味です」

「……そうかい」


 横やりの貴族が仏頂面で言った後、カリナは少し口を引き締め、全員を見渡しながら続けた。


「そのためには、選ばれる人物が軍部内でも信頼を受ける者でなければならない。例えば、戦功を上げた者や、将来有望な若手指導者が理想です」


 だが、彼女自身もその案に完全に自信を持っているわけではない。軍部内の誰がそのポストにふさわしいか、カリナ自身の思いが定まっていなかった。だが、今はそれを決めるべきではない。まずはその団体を作るという方向性を確立しなければ、次のステップに進めない。


「なら、カリナ様がなさってはどうですか? 戦争の英雄君」


 その言葉が部屋に響くと、空気が一瞬凍りついた。


「カリナ様は、今戦争で多大なる影響を残した戦乙女です。場内周辺でも人気は高く、社会的な信頼度は高いと考えられます。あなたがなされば、例えどんな状況でも信頼するはずでしょう。例えば褒章がかなり少なくても、納得するとかねぇ」


 ワラガオの言葉に、カリナの目が一瞬鋭く光った。彼の冷徹な計算が透けて見えたが、彼女はその挑発に乗るわけにはいかないと心の中で自らを戒めた。彼が言うことは一見、戦争の英雄としての名声を活かせば素晴らしい結果を生むように聞こえる。しかし、それはあくまで彼の意図を実現させるための道具として使われるにすぎない。

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