火種
「これはこれは、興味深い議論をされているようですなぁ。将軍殿も王女殿下も随分と熱が入っていらっしゃる。私も混ぜてはくれませんか?」
「ワラガオ卿。ちゃんとノックをして入ってください。許可はしてませんよ?」
ワラガオ卿と呼ばれた男は艶やかな黒い外套で瘦せ身を覆い隠しながら薄ら笑いを浮かべている。それはどこか、小馬鹿にしたような響きを含んでいた。
「お堅いですねぇ……そもそも、我々貴族層が融資をしなければ軍事製品を買えないでしょうに。もっと、下手に出たらどうです?」
「ぐぬっ……」
エストンは言い方に苛立つ様子を見せつつ、首を縦に振った。あまりにもきな臭い印象を与える男に対し、カリナはちょっとばかり嫌悪感を抱く。
「さて……話について教えてください。興が乗っているので協力しますよ」
「では、お伝えいたします。ずばり、学徒出陣を取り下げていただきたいです」
「ほぅ! そう来ましたかぁ!!」
カリナの発言にワラガオは手をぱんと鳴らしてから大きく開き、口角を上げる。
「学徒出陣の取り下げ、それはつまり兵力を落としてでも若人を救うということですねぇ。ふむふむ、なるほどぉ。理解しました。じゃあ一つ質問ですが、誰から徴兵を行うのです?」
その質問について、しばらく考える。
現在のブレス王国は、以下のような仕組みに分かれている。
・騎士団長(最高司令官)
・将軍(地域軍や主要軍団の指揮官)
・近衛憲兵(エリート部隊)
・憲兵(後方支援・治安維持部隊)
・近衛騎士(王族や貴族の護衛・指揮官級)
・騎士(一般指揮官・前線部隊の中核)
・雇われ兵士(最下層・前線部隊)
政治に強く寄与する者たちを守る役目を担うのが、近衛憲兵。
戦地派遣しても問題ないのは、騎士と雇われ兵士くらいである。
「現状、騎士と雇われ兵士の多くは戦場に駆り出されています。これ以上駆り出すと有用な『祝福』を持つ人間たちを失いかねません。ですよね、エストン将軍?」
「……よくまぁそこまで調べたものですね」
「貴族たるもの、情報の裏をとることは重要でございますから。それに……私の認識ですと祝福を持たない人間は替えがききます。彼らはお盛んでございますし、食糧自給も自分たちで賄えるぐらいにはあるでしょう」
気持ち悪いニタリ顔で皮肉めいた声でカリナを見る。馬鹿にするような視線が滲み出る様に、嫌気がさす。このまま立ち去りたくなる。だが、それでは意味がない。
カリナは決して逃げずに、目の前の男から目をそらさない。12歳とは思えぬほどの度胸で。
「ほぅ、中々に良い目をしてらっしゃる。流石、アルドリック王の血縁者なだけ、ありますね」
エストンはカリナに微笑みかけながら足元を整えて、
「さて、情報は提供しました。これを基に回答を考えてください」と、問いかける。
カリナは、少しだけ口を噤んだ。目を瞑り思考の海に沈む。10秒、20秒、と刻刻時間が経過をしていく中――1分ほど経過したところで、目を開いて答える。
「……徴兵に応じて、税金を免除するやり方はどうです? それを行えば負担軽減を行いたい人間がのってくるはずです。前途有望な若者を減らすよりも断然ましだと思います」
カリナの意見はもっともである。若者を減らせば、将来的な国益を担う労働層が減るのだ。安定した収入を賄うなら、負担を軽くしたい人間を呼ぶというのが合理的なのだ。
「ふむ、合理的ではありますが……けど、いくつの人が乗りますかね。考えてくださいよ。大人は貴方が思っている以上に強く、欲深いんです。欲深い彼らが、簡単に従うと思いますか? 私なら、契約だけを結んでどこかへ身を潜めますね。契約書だけあるなら、生きて帰ることで借金などの負担は減らせますし、何より死ぬリスクはないでしょう」
「自主性にすると強制する力がない限り、失敗するわけです。それを踏まえたうえで、今回は徴兵先を普通学校にしました。既に徴兵する学校側へは、死亡者に応じた保険金を出すという交渉は済ませております。死亡者数に応じて金を出し、仕事に役立てて貰うものですよ」
「あちら側からすれば、臨時収入が入ってくるようなものですよ。何故なら、『祝福』を持たぬ人間など、生きる意味のない存在だからです。祝福されなかった生者等、いくらでも替えはきくのですよ。あなた様に言うことではないですがね」
カリナはエストンの理路整然とした説明に苛立つ自分と納得する自分がいた。契約ごとを交す立場になれば、個人よりも団体登録の方が確実だからだ。それに、学生が遠くから単独で戻る、なんてことは不可能だ。
彼女たちがいる普通学校からオーリスの森の距離は、馬車を走らせて三時間。装備を持たせた歩兵が歩くとしても、半日以上はかかる計算だ。行軍のために近場まで馬車で移動しても、そこから徒歩で帰還するのは距離的に困難なのだ。
考えれば考えるほど、合理的だと称賛する言葉しか出ない。たしかに、出ないのだ。
だからこそ――彼女は、嫌悪感を抱いたのだ。
こんな簡単に、金持ちの貴族の言葉だけで、アリスたちの命が踏みにじられてもいいのかと。
「……確かに、合理的ですね。でも、だからって……祝福持ちじゃないからって、普通学校から強制的に徴兵するというのはどうなんですか? 志願制にすれば、いいと思うのですが」
「なぁるほど、確かにありですねぇ。で、人数確保はできるんですか?」
「えっと、それは……」
「即答できないんですね。じゃあ、無理ですよ」
ワラガオは頬が裂けんばかりの笑みを浮かべて言葉を返す。あまりに邪悪な笑みにカリナは蛇ににらまれたような寒気を感じた。
「12歳の子供にしては上出来ですが、交渉事は拙いとしか言えないですね。大人っていうのは、常に天秤をかけます。金も命も平等に天秤をかけて、どちらが大きな利益をもたらすか、考えるもの。それが前提なのに、温情で人を救いたいから変えろ……バカとしか言えませんね」
「言葉を慎め!」
「慎まれるのはそちらでは? 先ほどの融資話をもう忘れたと?」
エストンはワラガオの言葉に口をつぐむ。
「王女様。もしも、力が欲しいのであれば、知識をつけるべきです。知識は『祝福』に一つたりとも負けるものではありません。将来的に、王を目指されるのであれば。是非とも、そういう知識を深めてくださいませ。もし、学びたいとかあれば……私がしっかりと対応いたしますので、いひっ。それでは、失礼しましたっと」
胡散臭い笑みを見せながら勤勉さを説く男は、場をかき乱して去ろうとする。が、何かを思い至ったように振り返り、カリナたちへ提案した。
「一つ、いいことを思いつきました。今回の戦争で普通学校の者たちを守りたいのであれば、戦場に立たれてはいかがでしょう?」
カリナは思わず目を見開き、ワラガオの言葉に耳を疑った。
戦場に立つ。それも、一国の王女が。
ありえない。あまりにもありえない。
「世迷言はやめてください!」
「エストン将軍、またですか。全く、これだから軍人は……」
「もう決めた! たたき殺す!!!」
部屋に置いてあった剣を握りしめ、エストンが叫んだ。その状態を見かねたカリナが二人の間に割って入る。
「抑えてください、エストン将軍」
「抑えろ!? これだけ馬鹿にされて抑えろと!?」
「えぇ、そうです。だって、金銭的融資を受けているんですよね?」
カリナから話を振られたワラガオは顎をなぞりながら肯定の意を見せる。
「勿論です。私がなければ、国力は二割、いや五割は下がる。そうなれば……この国は破滅でしょうね。だからこそ、殺すなどと……失礼事は、許されませんな。会議で処罰されたいですか?」
「貴様っ……!」
「抑えてください、将軍」
カリナは何度目かわからない静止を行ってから、剣をしまわせた。
おぉ、怖い怖いと軽口をたたいてからワラガオは続ける。
「なぜ、戦場に立つべきか。単純なことですよ。あなたが戦場に立って、その指揮を執れば、兵士たちも士気を上げて戦える。名を知られた王女が前線に立つことで、兵士たちに活力を与えられるのです。何より、勝利すれば女神として、あがめられる。もしかしたら、他者を守ることもできるでしょう」
「他者を……守る……」
カリナの脳裏に、無邪気に喜ぶアリスの姿が映る。その記憶は彼女の心をぽかぽかと温かくしてくれた。饒舌に口を回す男は続ける。
「あなたが王国を治めるには、まず『国民』に認めさせる必要があります。それには、あなたが名を上げ、信頼を勝ち取る必要がある。王女としての力を見せることが最も早い手段なのです」
「そして、実績を残せば国内の人間は認めます。当たり前です、大衆はみんな『逸話』を求めているのですから。逸話が広まれば、あなた様に好意を持つ人間が現れるはずです。やがて、国王ともなれば……国の市場が潤うのは、確実でしょう」
つらつらときれいごとだけを並べていく。
確かに納得できるが、一方で見落としがあるようにも感じられた。
「ワラガオ卿。もしも私が死んだら、どうなるのですか?」
カリナがふと思い浮かべた問い。
それに一瞬だけ、ワラガオが睨むような顔で返す。
が、次の瞬間には笑顔に変化していた。
(……なんだろう、勘違い……かな?)
「そんなことは、考えない方がよろしいかと! 死ぬなんてことを一度でも考えたら戦場で不幸を招きかねません! 絶対に生き残る、その強い姿勢を保持しておくことが最も重要だと! 私は、思います。んじゃ、失礼しますね。ひひっ」
突然声量が大きくなったかと思えば、最後は落ち着きを取り戻し、部屋を出る。
何か違和感が生じていたが、特に断る理由はない。彼女はそう判断する。
「……エストン将軍。私、出兵します」
カリナの言葉に、エストン将軍は驚きの表情を隠せず、目を見開いて彼女を見つめる。その沈黙が、数秒間、部屋の中に重く響いた。
「カリナ様、あなたは……」と、エストンは言葉を探しながら口を開いた。
「私が、選んだ道です。決してワラガオ卿にのったとかではなく……私の心から自分で考えて判断したのです」
カリナはエストンの言葉を聞きながらも、しっかりと前を見据えていた。
その言葉に、エストンは目頭を押さえる。
「ご立派になられて……うれしいです!」
「そう言いなさるなら、被害を減らすように動いてください」
「――承知しました! このエストン、全身全霊であたります!」
カリナは感涙する将軍を見つつ、部屋を後にしようとする。
「――少しお待ちを、カリナ様。ご友人の元へは、すぐにお戻りに?」
そんな彼女の背を、エストン将軍が声で静止する。
「はい。ただ、馬を返してしまって……」
「それなら、一頭貸し出します。手の空いているものをよこし、移動に協力させるという方針でいかがでしょう」
その思いやりに、カリナは深く感謝の気持ちを抱いた。
「ありがとうございます、将軍」
「お気になさらず。無事に戻られることを願っています」
その言葉にカリナはもう一度深く頭を下げてから、部屋を後にする。
少し歩いたところで、将軍の命令で手配された馬と従者が待機している場所に到着する。カリナは女性の後ろから手を回す形で馬に乗り込んだ。
冷たい風が頬を撫で、髪を揺らす。馬の歩みに合わせて、カリナの心も少しずつ落ち着きを取り戻していった。王城を背にして、静かな街の中を駆け抜けると、街灯の明かりがまるで夢のようにぼんやりと照らし出す。足音が響き、馬の蹄の音が夜の静寂の中に溶けていく。
普通学校までの道のりは思ったよりも長く感じられた。だが、彼女はその時間を無駄にせず、心の中でこれからの決意を新たにしていた。仲間たちと共に迎えるべき未来が、確実に迫っている。そして、戦いがどれだけ過酷であろうとも、カリナは自分の足でその未来に向かって進んでいく覚悟を持っていた。
時折、夜空に輝く星々が、鈍く輝く。
その星を見つめながら、絶対に皆を助けると決意を固めるのだった。
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