少女の宣誓

 カリナたちが目的地である普通学校に到着したのは、月明かりが淡く地面を照らし始めた頃だった。


 古びた木造校舎は、昼間ならば穏やかな雰囲気を醸し出しているのだろうが、夜になるとその佇まいは一変し、不気味さすら感じさせる。窓から漏れる明かりが唯一の救いだった。


 遠くからでも校舎の前に人影が動いているのが見えた。それに気づいたカリナが馬の速度を緩めた瞬間、明るい声が闇を切り裂くように響いた。


「カリナちゃーん!  お帰りぃー!」


 校門前で威勢良く手を振りながら待つのは、友人であるアリスだった。


「お嬢様。ご友人がお待ちですよ」

「……うん、ありがとう」


 馬から降ろされたカリナは従者にお礼を伝えてから、帰る背を見送った。寒風が、肌をほのかに揺らす。


「よかったー! 無事に帰ってきてくれて嬉しいっ!」

「…………あなたの元気な様子を見て、少し安心したわ」


 カリナはふっと笑みを見せてから、共に校内へ入った。

 二人の足跡が不規則に廊下へ響く中、アリスが話しかける。


「……その、どうだった? 変わった、かな?」

「……ごめん、だめだった」

「――」


 アリスは一瞬、何も言わずに黙っていた。

 笑顔だった顔からそれが消えたかと思えば――瞳から涙がこぼれた。


「……アリス」


 堪えきれないと言わんばかりに涙を流すアリスの背を、少女はさする。

 心の奥底から、自分を嫌う言葉が湧き上がってくる。


(あそこで、案を出せていれば……アリスを泣かせずに、すんだのに)


 しばらくの間、二人の間に気まずい空気が流れる。互いに言葉を言えない重々しい雰囲気に、胸が押しつぶされそうになる錯覚を覚えた。


「……ふー、泣き止んだ!!」


 重苦しい空気を破ったのは、悲しいはずのアリスだった。


「……大丈夫?」

「うん、もう平気だよ! だってさ……カリナちゃんも、戦うでしょ?」

「……え?」

「なんでわかったの?って顔してるね。そりゃ、わかるよ! だって、友達だもん!」


 透き通るような声が夜の静けさを切り裂く。少女の瞳が真っすぐカリナを見つめ、揺るぎない信頼をその奥に宿している。


「カリナちゃんは、あのまま王城に留まることだってできたのに、こうして戻ってきてくれた。それが私にとって――とっても嬉しいことだよ!」


 彼女の言葉に込められた純粋な想いに、カリナの胸がじんと熱くなった。


(あぁ、なんてこの子は強くて優しいんだろう)


 カリナは、太陽のように輝く笑顔を浮かべる彼女の姿を見つめながら、ふとそんな考えが胸をよぎる。彼女の笑みは、闇夜に射し込む一筋の光のようで、疲れた心を自然と温めてくれる。


 けれど、その温かさに癒されながらも、カリナの心には確かな重みがあった。


 今後のことをじっくりと考えなければならない――。


 彼女は何度も覚悟を決める必要があることを理解していた。王城を離れた決断が間違いでなかったと胸を張れるように、心を何度でも落ち着けて、自分に問い続けるしかない。


 「学徒出陣」という現実が突きつけられた今、仲間たちに何を伝え、どう導くべきか。彼女はその責任の重さを嫌というほど感じていた。それは、彼女一人の肩に背負うには、あまりにも大きすぎる荷だった。


 カリナは目を伏せ、一度深く息をつく。顔を上げ、目の前にいる少女の無邪気な笑顔を見つめた。自分を信じ、待ち続けてくれたその姿に、彼女の心の中で静かに灯がともる。


 (私一人でできないのなら――仲間たちと共に歩むしかない。きっと、それが最善の道なのだから)


 そう思いながら、カリナはそっと微笑み返してから、重い入り口を開く。


 空気が重い。開口一番感じた周りの視線が、痛い。

 仲間たちが、互いに言葉を交わすでもなく、ただ静かに各々の席で姿勢を正している。風船のようにたまった不安を口に出して堪るかと言わんばかりに。


 カリナは教室全体を見渡してから、教壇へと向かう。

 床に響く靴音すらが、無遠慮に静寂を切り裂いているように感じられた。 

 カリナの一挙手一投足を追うように、周りの視線が集まる。

 そうして、彼女は重たい足を動かしてそこに到着した。


「みんな……」


「……ごめんなさい。方針を変えることは、出来なかった……」


 教室の静寂を破って伝えた言葉に、教室の静寂が崩れ去る。机に突っ伏して泣くもの、何かをぶつぶつ呪怨のように呟くもの、無言で涙をつたわせるもの。そのすべてが絶望していることを


 教室の静けさを破ったその声は、ひどく冷たく響いた。その瞬間、教室にいた誰もが反応した。静かだった空気が、一気にざわめきへと変わる。無言で涙をためる者、息を詰めて肩を震わせる者、何かを言いかけながらその言葉を飲み込む者――。彼らの様々な表情が、まるでカリナの心に矢を放つようだった。


 カリナは一瞬、何も言えなくなった。その場に立ち尽くしながら、自分が告げた言葉がどれほど彼らの心に影を落としたのかを思い知る。仲間たちを危険にさらす決断。それは、彼女自身が理解していた以上に重く、残酷なものだった。


 目の前の顔ぶれを見渡せば、誰もが一様に不安の色を隠せない。それでも、カリナは内に秘めた決意を押し出すように、再び口を開いた。


「みんなに、聞いてほしい」


 その一言で再び沈黙が戻る。カリナは意を決して前を向き、言葉を続けた。


「私は……あなたたちと同じように、戦場へ立つ」


 その言葉が響いた瞬間、教室に一瞬の静寂が訪れた。予想だにしなかった言葉に、全員が目を見開く。彼女の意思がどれほど真剣か、誰もがそれを感じ取ったようだった。


「な、なんで!!?」


 最初に声を上げたのは一人の少年だった。彼の声がきっかけとなり、次々と驚きの声が教室中から上がる。


「王女様が、現場に行くなんて!」

「そんなの、ありえない!」


 彼らの動揺は自然なものだった。その場にいる誰もが、彼女の決意を受け止めきれずにいた。


 カリナは、そのざわめきの中で静かに彼らの目を見つめた。やがて、全員が次第に口を閉じ、その視線を彼女に向ける。カリナは、冷静に口を開いた。


「私は、王女だからこそ戦場に立つべきだと思っている。だって私は……いつか、この国を変えたいって夢を持っているから」

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