初めての友達
ふと周囲を見渡すと、残ったのは一人の少女だけだった。
その少女、栗色の髪を肩に揃えたその姿は、カリナの視界の隅でじっとその食事を見つめている。彼女の視線には好奇心がにじみ出ていた。
(……なんだろう、この子)
カリナは軽く目を伏せて、水筒で口を湿らせると、弁当箱を閉じる。上品に「ごちそうさまでした」と言ってから、ゆっくりと弁当箱を片付ける。
その瞬間だった。
「カリナちゃん、そのお弁当、自作なの?」
穏やかな、どこか親しみを感じさせる声が響いた。カリナが声の方向に視線を向けると、そこには両手で頬杖をついた少女がいた。瞳は明るく、無邪気に輝いており、彼女の表情には揶揄や悪意のかけらも感じられなかった。純粋な興味が垣間見える。
その予想外の反応に、カリナは少し動揺した。今まで付き合ってきた人々は、彼女に対して見下すか、興味を失うかのどちらかであったため、こういった反応は初めてだったのだ。
動揺を隠すように、カリナは少し言葉を詰まらせながら返す。
「半分正しくて、半分違いますね」
「……? ごめん、どゆこと?」
「えっと、料理の内容については私がお願いして、作っていただいたってことですね。以前から父上もそのようにやられていたので、自分でやるという行動は慣れていないんですよ」
「へぇー! なんだか、カッコいいね!」
その言葉に、カリナは少し困惑した。彼女が自分の食事法を「カッコいい」と言ったことに、どう反応してよいのか分からない。
「かっこい……い……?」
「うん! だって、自分の体を考えているってことでしょ! そういうの、中々出来ないよ! だからすごい! カリナちゃん!!」
カリナは何も言えず、少し照れくさい気持ちになる。思わず首をかしげ、再び弁当箱を片付ける。
「……そうなの、ですか。なんだか、ちょっとこそばゆいですね」
「私、アリスっていうの! 折角だし、案内するよ!」
アリスと名乗ったその少女は、明るい笑顔で手を差し出した。
彼女の言葉には、一切の裏が感じられなかった。カリナは、その無邪気な気持ちに少し驚きつつも、返事をした。
「……いいのですか? 折角のお昼時なのに」
「だいじょぶ! だって、お昼食べないから!」
「それは、お弁当を忘れてきたからですか?」
「うぅん。私、二食性にしてるの。朝と、夜だけ」
「おなかが減っちゃわないですか?」
「大丈夫! 体力だけは自信あるから! ささ、いこう!」
カリナはアリに手を取られる形で席を立った。
賑やかな少女を見ながら、思考を巡らせる。
手を振ってくるのをぼんやりと見つめた。なんだか意味が分からない。
お昼を食べないから、どうして案内をしてくれるんだろう?
利益も何もないのに、なんで優しく接そうとするんだろう?
そんな疑問を感じている間も、カリナたちは歩を進める。
「こっちが教室棟で、あっちが食堂。えっとね、それから――」
アリスが軽快に説明を続けるのを聞きながら、周囲の反応に気を配る。生徒たちの視線がちらちらと集まり、その視線が少しばかり冷ややかなものを感じると、不安げに口を開いた。
「……アリスさん、どうして皆、私を見ているのかしら?」
一瞬、きょとんとした顔をした後、ぱっと明るく微笑んで答えた。
「え、だってカリナちゃん、目立つから!」
「目立つ……?」
「うん!だって可愛いし、綺麗だし、服も上品だし!絶対に特別な人ってバレバレ! 多分、小さな村から来た地主様でしょ! きっとそうだよ!!」
少女は屈託のない笑顔を見せた。
「……いえ、違います。私は、この国の王女です」
カリナは、人混みが少なくなったタイミングを見計らって勘違いを訂正する。その言葉を耳にしたアリスは、目を見開きながら大きく口を開き、
「どっひゃー!? 王女様ぁー!」
と、奇妙なポーズをとりながら大声を出す。
カリナは慌てて目を白黒させつつ、しー、とジェスチャーし周囲確認する。
人が少ないようだった。彼女は肩から息を一つ吐いてから、腰に手を置き、
「声が大きいです!」
「ご、ごめん!でもびっくりしちゃって……本当に王女様だったなんて!」
アリスは両手をパタパタとさせ、すっかり興奮している様子だった。
その様子に、カリナは少し苦笑しながら、内心で「なるほど、これが天然ってやつか」と分析した。
「それで、どうしますか?」
冷静に問いかけたカリナに、アリスは首をかしげながら答えた。
「どうするって……何を?」
カリナは少しだけ眉をひそめ、いつもの調子で言葉を口にした。
「何をって、決まっているでしょう。私にここまで関わったのだから、何か代価が欲しいのでは?」
その言葉は、彼女がこれまでの人生で無数に耳にしてきたものだった。人々の手のひらで転がされるような生活の中で、代償を求めることが当然だと感じていた。
彼女が見てきた世界では、誰もが見返りを求め、何かしらの利益を得るために言葉を交わしていた。気に入られるために賄賂を渡し、貧民には情報を引き出すための金を流す。
人々の行動は呼吸するように自然で、決して珍しいことではなかった。それが当然だとすら思っていた。
だから、アリスが代償を求めてくるのも、きっとその延長線上にあるのだろうと、カリナは無意識のうちに思い込んでいた。深く考えずに口にした言葉だったが、同時に彼女自身の世界観が反映されたものでもあった。
「欲しいモノを言ってくだされば、用意しますが……どうしますか?」
その言葉を、カリナはあくまで冷静に、そして無意識のうちに発した。彼女はまるで、これが人間関係における当然の礼儀であるかのように、すんなりと言葉を紡いだ。
だが、アリスの反応は予想とまったく異なっていた。彼女の顔に浮かんだのは、驚きと戸惑いの表情だった。
「え、代価って……そんな、カリナちゃんが望むものなんて、ないよ!」
カリナはその無償の答えに、目を見開いてアリスを見つめた。あまりにも純粋で無防備なその言葉に、彼女は一瞬、言葉を失った。
不安そうな顔つきで、言葉にする。
「じゃあ、なんで昼も食べずに私へ案内をしてくれたんですか?」
カリナが再度問いかけると、アリスはまるで何も考えずに元気よく答えた。
「決まってるじゃん!カリナちゃん、かわいいもん!!」
その直球な言葉に、カリナは目を見開き、顔が一瞬で真っ赤になった。予想もしなかった告白に、驚きと戸惑いの入り混じった表情を浮かべる。
「かっ……かわ!?」
言葉が詰まって、何も返せずにただその場に立ち尽くす。思わず手で顔を押さえたが、その温かさがよりいっそう顔を赤らめさせた。アリスの言葉に頭が混乱し、どう反応すべきかが全くわからない。
「か、かわいいって……そんなこと、言われても……」
思わず目をそらしながらも、カリナは何とか冷静さを取り戻そうと必死に言葉を絞り出した。だが、アリスはお構いなしに続ける。
「え?気にしてない感じだった?」
アリスは首をかしげ、少し不思議そうに笑った。その表情は、まるで彼女にとっては何の疑問もなく、何気ないことを言っただけのように感じられた。
「でも、本当だよ!その綺麗な髪も、お人形さんみたいな顔も、ぜーんぶかわいい!」
その言葉を聞いた瞬間、カリナの胸の中で何かが弾けるような感覚が走った。どうしてこんなにも気恥ずかしいのか、理由がわからない。彼女の言葉は予想外すぎて、カリナの思考が追いつかないまま、ただ動揺を重ねていった。
「そ、そんなことを急に言われても困ります!」
言葉を選ぶ暇もなく、必死に反応した。
アリスは全く悪びれる様子もなく、ただ明るい笑顔を浮かべ続ける。
無邪気な表情に、カリナはどうすればいいのか分からず、戸惑いを隠せなかった。
アリスの自由すぎる言動は、これまでカリナが関わってきたどんな人間とも異なっていて、その素直さと明るさがまるで新しい世界を見せてくれるかのようだった。
「あ、でもそうだなー、じゃあ、一つだけもらおっかな!」
その言葉に、カリナは思わず警戒の色を浮かべた。突如として現れたアリスの変化に、カリナは一瞬身構えたが、同時に好奇心と少しの不安が入り混じった気持ちが胸に広がった。
「……何を?」と、カリナは慎重に尋ねる。
アリスはその言葉に答えることなく、にっこりとした笑顔を浮かべたまま、何かを考え込むようにしている。その顔には、これまで見せたことのない、わずかな遊び心が宿っていた。カリナはその予想外の展開に、さらに警戒しながらも、何か答えが来るのを待った。
「決まってるでしょー?カリナちゃんの笑顔!」
その言葉に、カリナは思わず聞き返した。
「えっ……笑顔?」
アリスはにっこりと笑って、そのままカリナに向かって明るく言った。
「そうだよー!さっきからちょっと緊張してるみたいだし、笑ったらもっとかわいくなると思うの!」
カリナは驚きとともに顔を赤らめ、口を開けたが、言葉が出てこなかった。予想外の言葉に、どう答えるべきかがわからなかった。
「そ、そんなこと……急に言われても……」
その言葉を返す間にも、アリスは全く動じることなく、次々に言葉を続けた。
「うーん、じゃあ練習!」
アリスは突然、自分の頬を引っ張り、大げさにニコニコとした笑顔をカリナに向けて見せた。その姿があまりにも自然で、思わずカリナの目が少しだけ見開かれる。
「ほら、こんな感じでやってみて! いっせーのーで!」
その無邪気で突拍子もない提案に、カリナは思わず戸惑いながらも、ついつい反応してしまう。
「い、いっせーのーでって……!」
カリナは言葉に詰まったが、アリスの笑顔に引っ張られるように、わずかに口元を緩めてみる。
「お、いい感じいい感じ!それそれ!」
アリスは手をぱちんと叩き、満面の笑顔でカリナを見つめた。その無邪気な反応に思わず心が軽くなり、くすりと笑いがこぼれる。
「あっ、今のすごくいい! やっぱりカリナちゃんは笑顔が最高だね!」
その言葉を聞いた瞬間、カリナは一瞬だけ顔を赤らめたが、同時に胸の中に温かい感情が広がるのを感じた。まるで寒い冬の日に、温かな光が差し込んだような、心地よさだった。
「も、もう……お世辞ばかり言わないでください!」
カリナは顔をそむけながら、照れくさそうにそう言ったが、アリスの笑顔はますます輝きを増す。
「お世辞じゃないよ! 私、本気で言ってるんだから!」
アリスの言葉に、カリナは一瞬驚いた表情を見せた。しかし、すぐにその真剣さが伝わり、少しだけ心が温かくなる。
「……それなら、嬉しいですが。なんでそこまで、かかわってくれるんですか?」
カリナは静かに問いかけた。アリスの言葉には隠しきれない誠実さがあり、その理由を知りたくなった。しかし、その問いに対する答えは、予想外の形で返ってきた。
アリスは軽く首をかしげてから、まっすぐにカリナを見つめた。その瞳は、少しの迷いもなく、強い意志を感じさせた。
「決まってるじゃん! カリナちゃんと、友達になりたいからだよ!」
その言葉は、まるでまっさらな白紙に描かれた希望のようだった。アリスは、何のためらいもなく心の内を打ち明けていた。その笑顔と共に放たれた言葉に、カリナは一瞬言葉を失った。
心の奥で、どうしてこんなにも素直で真っ直ぐな人がいるのか、少しだけ驚きと共に感じた。アリスのように、何も気にせず、人と心から向き合える人が、こんなにも少ないことを、カリナは痛感していた。
カリナは、しばし黙ったままでいた。すると、アリスが首をかしげ、少し不安そうに言った。
「もしかして、変なこと言ったかな?」
その問いに、カリナは急に顔を赤らめて、急いで言葉を返した。
「いえ、そんなことは……ただ、少し驚いただけです」
その言葉に、アリスはすぐに明るく笑顔を見せた。
「よかったー! じゃあ、これからいっぱい遊んで、いっぱい話そうね!」
カリナはその笑顔を見て、少しだけ肩の力を抜くことができた。普段の自分なら、きっとこんな風に心を開くことはなかっただろう。そんな変化を与えてくれたのは、目の前で笑ってくれる少女がいるからだ。
「ありがとう、アリス」
「どういたしまして! さっ、教室へ戻ろう!」
カリナは、アリスから伸ばされた手を取って教室へと戻る。
最初に学校へ入った時よりも、心が軽やかになりながら。
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