不穏な空気
初めて会ったその日から、カリナはアリスと絡む機会が多くなった。
朝の挨拶から始まり、授業の合間にはちょっとした話題を見つけては話しかけてくる。昼食の時間には、カリナの隣席に座って彼女の行動を見てきた。
時折、一緒に弁当を食べる機会も発生するようになった。
片方が軍事用訓練飯、片方がパン一つと、かなり地味な飯が多い。
「……ねぇ、アリス。大丈夫なの? 昼ごはん、かなり少ないように見えるけど……」
カリナが少し心配そうに尋ねる。
アリスはパンをちぎりながらにこっと笑って首を振った。
「うん、大丈夫だよ! これでも足りるから!」
「そうは見えないけど……」
アリスの手元を見ると、彼女が持っているのは小さなパン一つ。それに飲み物もなしでは、カリナの目には到底満足できる食事には思えない。
「私ね、お昼はあんまり食べないの。夜にいっぱい食べるから平気!」
「……そんな偏った食事で、本当に平気なのかしら?」
「だいじょぶだって! それに、カリナちゃんのごはん見てるとお腹いっぱいになる気がするし!」
無邪気に言いながら、アリスはカリナの弁当に視線を落とす。軍事用の訓練飯として準備された質素な料理で、豪華さとは無縁のものだが、アリスにとってはどうやら興味津々らしい。
「それ、何が入ってるの?」
「ただの保存食よ。お世辞にも美味しいとは言えないわ」
「へぇー、いいなぁ! 私、こういうのちょっと憧れるんだよね! なんだか冒険者みたいで!」
「冒険者……?」
「そっ、冒険者! 最近読んでいる小説で、そういう描写が出てきたんだ! 恋愛系でさ、ちょっと悲しい場面もあるけど、面白いんだ! カリナちゃんも、どうかな?」
「……好意は嬉しいけど、私は読まなきゃいけないものがあるの」
そう言いながら、軍学部の書籍を取り出す。沢山線が引かれた書籍を開くと、
「す、すごい……!」
アリスの目に星々が輝き、彼女はまるで宝物を見つけたかのようにカリナの書籍を見つめている。
「これ、ぜーんぶ読んでるの!? しかも、こんなに線とかいっぱい……」
「当たり前よ。軍学部の学生として、学ぶべきことは山ほどあるわ。これでも足りないくらい」
カリナはさらりと答えるが、アリスの驚きは収まらない。
「すごいやぁ……私なんて、こんなにぎっしり書かれた本、読んでるだけで寝そう!」
「寝ちゃいそう、じゃなくて寝るんでしょうね」
「うわ、鋭い! 正解!」
アリスは悪びれることなく笑い、カリナは呆れたようにため息をついた。
「でもさ、これってどんなことが書いてあるの? 軍学って聞くと難しそうだけど……やっぱり、戦争のこととか?」
「……そうね、戦場での戦術や地形を活かした部隊の配置、補給線の管理……実戦を想定した内容がほとんどよ」
カリナが簡潔に答えると、アリスは「へぇー!」と感心したように声を上げる。
「なんかカッコいいね!」
「確かに、そうね。戦術を応用した崩し方や防衛方法の問題を解くのは、興が弾むわ!」
「すごーい! 私もなんか真似してみたくなっちゃう!」
賑やかな会話。それに、心が弾み、ほんの少しだけ表情が柔らかくなる自分に気付く。
それでも、カリナはすぐに気を引き締めた。
「……簡単に言うけど、アリスには向いてないと思うわ。この分野は、失敗が命取りになることだってあるの」
少し硬い口調で言うカリナだったが、アリスは全く怯むことなく、ニコニコと笑みを浮かべている。
「でもさ、そういうのを考えるのが得意なカリナちゃん、やっぱりすごいな~って思うよ!」
「……あなた、褒めてばかりね。本当に私の話、理解してるの?」
「もちろん! ……たぶん!」
アリスの曖昧な返事に、カリナは思わず溜息をついた。それでも、この明るさに救われている自分がいることを、どこかで認めざるを得ない気がしていた。
(……こんな子がそばにいるなんて、今までの私には想像もできなかったけど……悪くないわね)
心の中で小さくそう思いながら、カリナは書籍に視線を戻しつつも、隣で笑うアリスの気配を心の片隅で感じ続けていた。
※
そんな平穏な日々を過ごしていたある日。
「カリナさま、お電話です」
従者の男から、そんな連絡が送られてくる。
「電話の主は?」
「ケビン様です。王立学院に通われているあの」
「ケビンか……いいだろう。出よう」
普通学校に置かれた個室で本を読んでいた彼女は、既読部分に栞を差し込み受話器を取る。
「やぁやぁ、お姫さん! 体調はどうかな?」
「別に普通だ。談笑ごとなら切るぞ」
馬鹿にするような態度に苛立ち、電話を切ろうとする。
「待った待った! 俺っち伝えたいことがあるんだよ!」
「伝えたいこと? ……恋愛事じゃなくてか」
「……まぁ平時ならそうだけどさ。今回は緊急なんだって」
声色が重くなったのを感じ取り、カリナの眉間へしわが寄る。
「与太話でさ、召集令が学生にかかるかもしれないって話があんだよ」
「――! その話、どこから!?」
「教職員の奴らだよ。廊下で話してることを聞いて、すぐ伝えた方がいいなって思ったんだ」
どぅどぅと言いたげな態度で電話越しの相手は続ける。
「姫さんがどうするかはわからんけど、覚悟はしといたほうがいいぜ?」
「覚悟って、なんの?」
「決まってんだろ。周りとの人間の別れだよ」
別れという言葉を聞いて複雑な表情になる。カリナは生まれつき母がいない。物心がついた時には、離婚したと父から聞かされている。それ故に、別れということにはあまりピンとこない。
母からの愛情を受けていないまま、少し距離を置く父からの厳格な教育を受けた弊害だった。
「……人の別れっていうのは、寂しいものなのか?」
「ったりめーだろ! 人間なんだから、それぐらい思って当然だぁ!」
「……そういうものなのか」
「そういうもんだよ。まぁ、とにかく。仲良い人がいるんだったら、事前に伝えとけ。戦争は、簡単に死ぬからな。永遠のお別れになってからじゃ、辛いぞ。んじゃ、あばよ! 不愛想なお姫さんっ! ――ってやべ、あとひ」
カリナが電話を切った。
「誰が不愛想じゃ、コラ」
最近言われていなかった煽り文句に苛立ちながら、その場を去る。
(……別れ、か。どんな気持ちになるんだろうな)
カリナは顎下に手を当てながら考えをめぐらせる。
が、答えは一つも出てこなかった。
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