留学先にて
「んじゃな、姫さん。俺に会いたいとか言うんじゃねぇぞぉ?」
時は流れ、留学当日。
ケビンが、いつもの軽薄な調子で腕を組み、壁に寄り掛かる。
「……別に、言わないよ。アンタ、金ばっか要求してくるし」
「んははははは! それが俺だからな! 金はいくらあってもいいし!」
「守銭奴ね……」
カリナは呆れた顔つきで男を評す。
「おいおい~、泣きそうじゃねぇか。どうする? ハンカチいるか?」
「いらないわよ」
「はいはい、そうですかいっ」
学園長は、すでに形式的な挨拶を済ませ、ほかの用事があると言って立ち去っていったため、今、カリナを見送るのはケビンと彼女を普通学校へ連れていくための馬車に乗った、荷物持ちの従者だけである。
「……姫さん、絶対に泣いて帰ってくるなよ。お前は、国を変えるんだからな。そして、俺の金も工面してくれるわけだしよ」
「しないよ」
「ガーン! マジかよっ!」
「そりゃそうでしょ」
カリナはほんの少し、今までの自分を見せてしまった気がして、恥ずかしくなったが、それでも言葉にした。
ケビンはひと息吐いて、肩を揺すりながら「そろそろ、出発だろ?」と言った。手を挙げ、軽く笑って見せる。
「……それ、何?」
「ハイタッチだよ。お互いの健闘を称えるやつ。どっかの国で流行ってるらしいぜ?」
ケビンは得意げに言うが、カリナはまったく知らなかった。
「……え、知らないけど」
「はぁ~、まだまだ経験不足だなぁ」
ケビンが肩をすくめ、ふざけた口調で言ったが、カリナは言葉の裏にある優しさを感じ取っていた。
「ま、いいや」とケビンは言いながら手を下ろし、少し真面目な口調で続けた。
「とにかくだ、姫さん。頑張ってこいよ。あんたはいずれ、この国の王となるお方なんだからな」
「――うん、頑張ってくるよ」
カリナは真剣に返す。彼女自身も少しの不安を感じながら、それでもしっかりと自分を信じていることを確認していた。
ケビンは少し笑って言った。
「大丈夫そうだな。じゃあな。また会ったら、金貸してくれや」
カリナが「それなら借金を返してから言いなさい」と言い返す暇もなく、ケビンは足早に去っていった。彼女は後ろ姿を見送り、少しだけ寂しさを感じたが、それ以上に強く感じるのは彼の言葉と笑顔だった。
深呼吸をして、気持ちを整える。すべてを背負う覚悟を持って、カリナは一歩を踏み出した。
待っていた馬車に乗り込み、扉が閉まると、外の景色は遠ざかっていく。
クズではあるが、自分を差別しない男。そんな人物とのやり取りを終えた彼女の曇り心は、少しばかり晴れていた。
(……頑張るよ、私)
そう心に誓いながら、馬車が揺れ始める。横に移る景色に顔を向けた。
王国の広大な大地が徐々に広がり、町を抜けると、森や畑が続くのどかな風景が目に映る。空は澄み渡り、頬を撫でる風が心地よい。のどかに広がるこのような景色はどこか新鮮で、ほんの少しだけ非日常のように感じられた。
そんな静けさの中、ふと小さな不安が胸をよぎる。
カリナの父、アルドリック・トラナグル――
天から授かった『祝福』の力を持ち、逸話を数多く残した偉大な王。
『祝福』を持たないカリナにとって、父の存在は重い。
学院を飛び級で卒業するほどの学力を示し、演習で実績を残しても、父からの評価は冷たい。彼にとって『祝福』を持たない自分は、劣った存在に過ぎないのだ。
(くよくよしても、しょうがないだろ。切り替えろ、私)
自分を奮い立たせるように、カリナは深呼吸をした。
新しい一歩を踏み出すために、気持ちを整理しようとする。
「カリナ様。まもなく到着しますよ」
御者の声が、車内に響く。カリナは窓の外に目を向け、目の前に現れた建物を見つめた。
「……あそこね」
馬車が向かう先には、大きな門が見えた。王立学院のそれと比べると、かなり古びている。修繕もほとんどされておらず、どこか時の流れを感じさせる。色合いも地味で、目を引くものではなかった。それでも、ここが自分にとっての新しい場所だと、自然に胸が高鳴る。
カリナは、足元を確かめるようにして馬車を降りると、凛とした顔を上げ、髪を揺らす。多くの人々が、初めて見るような服を纏うカリナへ注目を注いでいく。
「貴族様のお出ましだぜ」
「生まれが違うからって、お高くとまりやがって」
「すごい衣装。……もしかして、あれが最近の話であがったお嬢様?」
「お美しい……まるでバラの棘のようだ」
カリナは、ギャラリーの言葉に一切気を取られることなく、校内へと入る。
「そろそろ、一人でもっていくわ」
「かしこまりました」
従者と別れ、一人歩を進めていくと職員室が見えた。
そこで担任と挨拶を交わしてから、廊下を歩き、担任の後ろから教室へと入る。足を踏み入れると、十数名の生徒たちが一斉にこちらを見た。予想通り冷やかさと、興味を含んでいた。
カリナは静かに一歩前へ出ると、しっかりとした声で名乗る。
「王立学院から留学に来ました。カリナ・トラナグルです。よろしくお願いします」
凛とした声が響き渡ると、渇いた拍手が起きる。
拍手の中でカリナは微かな違和感を覚えた。
紛れるように、耳に届く声があったのだ。
「姫様のくせに、ここに来るなんて落ちこぼれなんだろうな」
カリナの足が一瞬だけ止まるが、すぐさま言葉を振り払うように歩みを進めた。彼女の顔には、微塵の表情の乱れも見せず、目線は前を見据えたままだ。
(ここでも『祝福』を持たないことへの偏見はあるのかもしれない。でも、それで歩みを止めるわけにはいかない。だって私は……父のような、偉大な人物にならないといけないんだから。それが私が生きる理由、生まれた理由なんだ。)
思いを胸に、カリナは着席する。授業が始まると、教室内は静寂に包まれた。
カリナは真剣な眼差しで黒板に向き、背筋を伸ばしながらノートに手を動かす。
「まじめだなぁ……」
「俺らも頑張るかぁ」
姿勢が、周囲の生徒たちの姿勢を引き締める。
次第に私語は減り、教室は落ち着きを取り戻した。
やがて、昼を迎える。
昼休みの鐘が鳴り響き、賑やかな音が廊下に広がる。教室の扉が開くと、生徒たちは一斉に席を立ち、騒がしく外へと飛び出していく。
カリナはひとり、黙々と席に座ったまま、持参していた弁当箱を取り出した。
従者に作らせた特製の食事。蓋を開けると、周囲からは注目の視線が集まる。
中身は、シンプルだ。水気のないクラッカー、湯がいたばかりの鮮やかな色を保つ野菜、そして薄く切り分けられた胸肉。無駄のない配置で整然と詰め込まれ、どれも食べやすく工夫されている。
あまりに質素な内容だ。
周囲の生徒たちは一瞬困惑したような表情を浮かべる。
カリナは、静かにクラッカーを手に取ると、それを噛みしめた。乾いた音が小さく響き、周りの喧騒が一層鮮明に感じられる。
「カリナさんの弁当、なんか地味じゃない?」
「普通、王女様の食事ってもっと豪華じゃないのかな?」
「あれって本当にお弁当? 軍隊みたいじゃない?」
耳に届くか届かないかの声が、興味本位で集まる。だが、カリナの動きには一切の変化がない。表情も無く、ただ機械的にクラッカーを噛み、次に野菜を口に運ぶ。
談笑も、味を楽しもうとする様子もまったく見受けられない。
ただひたすら、食事を進めているだけだ。
彼女が貴族らしからぬ質素な食事をとる理由は、二つあった。
一つ目は、体にエネルギーを効率よく取り入れるためだ。豪華な料理に時間を割くよりも、必要最低限の栄養を摂取する方が合理的だと考えている。
そしてもう一つの理由は、何時、戦争に向かう事態になっても対応できるようにするためだった。もしも王国が滅びるような危機に直面すれば、国民を総動員して戦わなければならない。その時、贅沢な食事など夢物語となるだろう。
彼女は、最悪の状況を常に想定し、それに備えることが重要だと考えていた。これは、戦場で贅沢を楽しむ暇などないことを、経験や訓練を通じて理解しているが故の考えであった。
しかし、経緯など知らぬ者たちは肩透かしを食らった反応を見せる。
当然だ。彼らは上流階級を書籍や新聞でしか知らない。故に、毎日何を食べてたかということは知る由もないのである。
「お上品な食べ物だったらつまもうと思ったんだけどなぁ……」
「あれだけ味気ないと、興味も失せるよね」
「しゃーない、購買行こ!」
生徒たちはすぐに自分たちの考えに従って動き出し、カリナの食事に関心を示すことはなかった。普通の生徒ならば、豪華で華やかな料理を期待するのだろう。それだけに、目の前の質素な食事はあまりにも地味に見え、驚きとともに失望を生んだ。
その間にも、カリナは黙々と食事を続けていた。
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