亜人兵

「……アリス。一つ守ってほしいことがあるの」


 樹齢数十年を超える木々が連なるオーリスの森へ向かう道中。

 黒髪を揺らしながら、カリナが振り返った。

 アリスが頷いたのを見てから、言葉を続ける。


「それはね。必ず、私の言う通り行動すること。緊急時以外は、必ず離れないこと。それさえ守ってくれれば、生存確率が上がるわ」

「……つまり、どういうこと?」

「簡潔にまとめると――あの軍からは離れるってことよ」

「……え?」


 アリスの足が止まる。顔は青色に染まり、瞳孔が大きくなる。


「何言ってるの……? あんなに、熱心に教えてたじゃん!」

「教えたわ。えぇ、確かに教えたわ。でも……今日の彼らを見て分かった。あれじゃ真面に戦うことなんてできないってね」

「じゃあ……見捨てるの?」

「――えぇ。そうよ」


 カリナの言葉に、アリスが信じられないと言いたげな顔を見せる。


「なんで……? なんで、なの?」

「生存確率を上げるなら、足手まといを入れない方がいいって思ったから。それに、私はあなただけを守れればそれでいい」


 カリナは決して振り返らない。悔しい顔を見せれば、優しいアリスがきっとみんなを助けようとする選択肢を選ぶから。


 だからこそ、彼女は決して弱みを見せない。

 友を救うためなら、修羅にでもなって見せるといわん覚悟で、彼女らは森へ入る。地面がひんやり濡れており、草木には水滴が散見する。雨が降ったらしい。


「土が濡れているわね。体を冷やすといけないから、袖は肘まで覆っておきなさい」

「わ、分かった……」


 二人は森の中を進んでいく。


「……カリナちゃん、本当に戻らなくていいのかな?」

「戻りたければ、戻っていいわよ。その代わり……私は助けないわ」

「………………カリナちゃん、泣いてる?」

「…………べつに、ないてないわ」


 カリナはまばたきを増やしながら、姿勢を低くし歩いていた。

 そんな時だった。軍の塊が形成されていた方向から、悲鳴があがったのだ。


 運悪く、敵兵士とでも接触したのだろう。粗末な武器が与えられた者と十分な武具を与えられた者とでは、実力差がかけ離れる。


「たすけてぇえええええええええぇえええ!!」


 声になる悲鳴、言葉にならないうめき声。何かぶつかる音。

 例え目の前で見なくとも想像できる情報が、彼女たちを苦しめる。


「やっぱり、助けに……!」

「――いいかげんにして!」


 立ち上がろうとするアリスに対し、カリナが振り返って肩を掴む。


「実戦経験を持たない貴方が行ったところで、ひどい未来が待つだけよ。それに王国がいつ頃、救援に来るかわからないわ。怪我をすることは避けた方がいい」

「だからって……だからって! 見捨てるの!?」

「仕方ないでしょ! 私だって……私だって、必死なのよ!」


 幼いからこそ生じる完璧論と、エリートだからこその現実論。

 互いに解決不可能な言い合いが、続いているころ。


 それは現れた。


「ヴヴヴヴゥ……」

「……!? 獣……の、人間……!?」


 それは細すぎる腕と足、瘦せこけた腹部、無駄に長い爪、人間の顔を持っていた。

 亜人と呼ばれる、人間と獣の混合種だ。体躯から察するに、子供だろう。


(なんで子供が、こんなところに……?) 


 カリナが目の前の生物を分析しつつ、後方のアリスへ「下がって」と指示する。

 彼女は目の前にいる醜悪な生物に怯えているせいか、カリナの指示が聞こえていないようだった。


「グォァァッ!」

「……くそっ! やるしかないかっ!!」


 カリナは装備していた武器を持ちながら敵を見る。敵は少しだけ助走をつけてから獣特有の俊敏性を活かして襲いかかってくる。


(どれだけ汚染されているか分からない相手の一撃を貰う訳にはいかない。ここは、いつものやり方をするか)


 カリナは瞬時に判断してから、ぬかるむ地面の上でサイドステップ。

 胴体を反転させて右腕を爪で裂こうとする攻撃には短剣の柄で対処した後、相手の腹に蹴りを入れる。


 ケビンとの演習で行っている俊敏ないなしとカウンターは、見事にヒットした。

 敵の奴隷兵士がゴホゴホと腹を抑えて苦しんでいる。様子を見るに飢餓状態だと、カリナは判断した。だが、言葉が通じる相手ではない以上、情けは不要だ。


「ガァッ!」


 がなる声が聞こえてくる。カリナが胴体を踏んづけた声で生じた悲鳴だ。

 涎を飛ばしながら生き残ろうと必死に抵抗する。だが、結末は虚しい。


 刃の刺さる音とともに、獣が口から血をこぼす。それは、背中から心臓が抉られたことで生じた生理反応だった。カリナは心臓に刺さったことを獣の様子から確認し、そのまま抜く。

 

 噴水のように上がる血が緑の目で捉え、後ろに下がる。血しぶきは最初こそは勢いがあったが、段々と勢いを無くしていく。痙攣していた体が動かなくなった頃、少女は冷酷な表情を少しばかり緩め、友を見る。


 肩に揃えた栗色の髪を揺らしながら、泣いている。


「……ごめんね、こんな場面を見せちゃって」

「……違う、違うの。私、友達なのに……何にも……できなかった……!」


 カリナはアリスが短剣を抜いていたことに気が付く。

 どうやら加勢しようとしていたらしい。

 だが、無理だった。恐怖に負けて、体が動かなかったのだ。


「アリス。ありがとう。加勢しようとしてくれたんでしょ?」

「うん”……でもっ……むりだっだ……ごわぐで……できながっだ……」


 カリナは、震えるアリスにそっと手を差し伸べた。短剣を握るアリスの手は力なく震え、冷たく汗ばんでいる。その様子に、カリナは胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。


「……仕方ないよ。誰だって、こんな状況は怖いもの」


 カリナは優しく語りかけながら、周囲に警戒の視線を巡らせた。幸いにも、周辺に敵兵の姿は見当たらない。しかし、どこかで小さな物音が響き、その音に敏感になったアリスの肩がピクリと跳ねる。


「アリス、大丈夫。今は私たちだけみたい。だから少し落ち着こう」


 カリナの言葉に、アリスはうなずいたものの、その顔には恐怖が色濃く残っている。彼女の目には、まだ戦場で目にした凄惨な光景が焼き付いているのだろう。


「アリス、覚えておいて。怖いのはみんな一緒。でも、怖いままで動かないと……それこそ死んじゃうの。だから……もし、戦えるようになったら。その時は……ともに戦ってくれると嬉しいな」


 カリナはあえて真実を口にした。その声には、覚悟を決めた強さと、アリスを守り抜こうとする決意が込められている。


 アリスは目を伏せ、弱々しく震えながらも、短剣を握り直した。


「……ありがとう、カリナちゃん」

「これぐらい、どうってことないよ。私はいつも、助けられてたしね」


 カリナは微笑み、アリスの頭をそっと撫でる。

 数秒そうした後、手を貸して立ち上がった。

 互いに互いを支えあう二人。


 そんな彼らを、空から注ぐ日の光だけが見つめていた。

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