地獄への第一歩
カリナの宣誓から二週間後、学徒出陣の日が訪れた。
朝霧が立ち込める中、普通学校の広場には、戦場へ向かう学徒たちが整列していた。その姿はどこか不揃いで、誰もがどこか落ち着かない表情を浮かべている。彼らの装いは訓練用の薄手の布製の服で、汚れやすく、ほつれた箇所が目立つ。その服には戦場に赴く者が身に付ける防護の意図など微塵も感じられなかった。
カリナ・トラナグルも、その列の中に立っていた。簡素な上着の上に紐で止めただけの軽い胸当てを身につけ、腰には短剣が一本ぶら下がっているだけだ。これでは並の技量だと敵の剣を防ぐどころか、目の前で立ちすくむしかない。
――なるほど、軍部は低階級の人間に資源が回せないようだ。
王女は苦々しい表情でため息をつく。
「……カリナちゃん。必死に学んできたけれど……生き残れる、かな」
隣から声をかけられ、振り向くと、アリスがこちらを見上げていた。彼女もまた、訓練用の薄い服に身を包み、同じ武器を抱えている。
「大丈夫よ、アリス。一緒に勉強したでしょ? あれを忘れなければ、大丈夫よ」
カリナは全体に講義した内容と、やる気のあるものにだけ教えた戦場での気概持ちを思い出すように諭す。だが、アリスの表情は変わらない。
「……でも、怖いよ」
アリスの言葉には、戸惑いと不安が滲んでいた。それも無理はない。戦場に赴くと言っても、彼女たちは訓練の延長に過ぎない状態で送り出される。まともな武具も与えられず、命を守る術も持たない――これではただの捨て駒だと感じるのも当然だった。
カリナは唇をぎゅっと結んだ。返すべき言葉を見つけられないまま、アリスの顔を見つめている。
「学徒たち、準備はいいか!」
広場に緊張が走る。カリナもアリスも、言葉なく小さく頷き、隊列を整えた。簡素な装備に身を包んだ学徒たちが、互いに不安を隠しながらも、次々に動き出す。その姿はまるで、戦場という名の渦に飲み込まれる小枝のようだった。
「諸君らには、戦場を変えるための役割が与えられている! 祝福を持たぬ無力集団であることには変わりないが、いないよりはましだ!」
「塵も積もれば山となる、その格言通り、見せつけてやれ!!」
指揮官が「以上っ!」と言うと、その場を去っていく。武器を持った子供たちは、自分たちがゴミであるという扱いに嫌気がさすような態度を見せている。
(……サイテーな鼓舞だな。盛り下がるのも無理はないか。前に読んだ書籍でも今回行われた鼓舞が行われていたらしいし、末端を冷遇するのは各国共通なのかも)
以前読んだ書籍の内容を、軽く思い返す。
かつて王国と隣国との間で繰り広げられた長き戦争の記録書。乾いた紙に記された文字はどれも血の匂いが染み込んでいるようで、読むたびに胸を締め付けられた。
彼女の思い返した内容は、ある兵士の体験談。兵士は当時15歳の誕生日を迎えたばかりの若い少年だった。防具と呼べるのは薄汚れた革の胸当てだけで、手に持たされたのは使い古された鉄剣。先端はすり減り、柄の革も剥がれていた。訓練では誰もが敵を倒せると信じていたが、戦場に立った瞬間、彼は自分の無力さを思い知らされたという。
「お前たちはゴミだ。精々、あがいて見せろ」
訓練した自分たちをバカにしてきた人間の言葉がありありと実感できるほど、実力差があったとの記述が残されている。戦場では力を持たない個など価値がないのだ。
『敵が目の前に現れたとき、体が動かなかった。剣を握った手は震え、声も出なかった。ただ、恐怖だけが全身を支配した。それでも死なないために、無我夢中で殺した。そうじゃなきゃ自分が壊れてしまうから。しょうがなかったんだ』
戦争は理屈ではなく、生死の境で本能が試される場だ。
戦術も、計画も、無意味になる瞬間がある――そう記されていた。
そして、記録を記した少年兵は、その後の戦闘で命を落としたと記載されていた。
(あの少年も、防具もろくにないまま戦場に放り込まれた……私たちと同じように)
カリナは自分の訓練服の袖を見下ろした。粗末な布地は簡単に刃を通してしまうだろう。が、戦場へ来たからには愚痴を垂れることはできない。今は王女としてではなく、国の一端の兵士として戦う。それだけを考えねばならないのだ。
拳をぎゅっと握りしめ、意識を引き戻す。
今は、記録に書かれていた悲惨な結末を頭に浮かべている場合ではないのだ。
(アリスと生きて帰る。今は、ただそれだけを考えるんだ)
意識を切り替えながら、ふと、横を見た。
アリスが無言のまま、目を震わせている姿がうつる。
(言葉をかけるとしたら、何がいいんだろう)
巨大馬車へ乗り込む道中、乗り込んでからも考えていたが、回答は生まれない。
馬車が整っていない道を掛けると、元居た場所はあっという間に小さくなった。
規則正しい車輪音が地面を鳴らすだけの時間に、周りの空気が重くなる。
彼女は硬い座席の上で少し体勢を整え、窓の外をちらりと見た。
揺れる布の隙間から見えるのは、広がる荒野と遠くに連なる薄暗い森林地帯。戦場となるオーリスの森だ。
「パパ、ママ、会いたいよ……」
「腹減った……うまい飯が食いてぇ……」
「もっと親孝行すればよかった……」
誰かの言葉が、重々しい空気を生み出す。だが、逃げる企てをする者はいない。
馬車に武器を持った大柄な兵士が乗っているからだ。逃げられないようにするための監視ということは、簡単に理解できる。
カリナは重々しい空気を変える言葉を思い浮かばなかった。
戦場の重苦しい空気が彼女の聡明な思考力を奪っていったのだ。
「………………」
言葉は出ない。ただ、重さだけが体にのしかかる。
寂しい。冷たい。寒い。辛い。
言葉にならない感情に、体中が冷たくなっていった。
(どうすればいい。どうすれば、この不安を和らげられる)
カリナが不安を抱きながら馬車に揺られていると、右手が掴まれる。
ほんわかとした温もりに驚き顔を向ける。腕の先には、アリスがいた。
「……もっと、強く握って」
アリスの言葉に従い、カリナは力を込めて手を握る。
互いの熱がゆっくり伝わり、冷えた体の先端が、温かいそれに満たされる。
友の温もりにカリナは少しばかり、安堵感を覚えた。
「――ありがとう、アリス。お陰で恐怖が和らいだよ」
カリナはアリスを見て、優しく微笑んだ。
「よかった……やっぱり、笑顔がかわいいね」
「そういう言葉が出てくるってことは、いつもの調子を少しだけでも取り戻せたのかしら?」
「――うん。少しだけ、ね。でも……やっぱり怖い」
カリナは体育座りで俯くアリスの傍に近づく。
「怖いぐらいがちょうどいいのよ。怖くないと思って冷静さを欠けば、死んでしまうから。前の授業で教えたでしょ? 戦場では、冷静さを持った人間が勝つって」
「……そう、だったね。授業で教えてくれたこと、覚えているよ」
「……安心したわ。ちゃんと学んでくれていたようね」
全身全霊を注いだ講義内容が、しっかりと伝わっていたと知り安堵する。
そんな彼女に対し、アリスがちょっとばかり頬を赤らめながら、口をひらいた。
「ねぇ、カリナちゃん。一つ、伝えたいことがあるんだ」
「なに?」
「何度目かわからないけどさ……友達になってくれて――本当に、ありがとう」
何度目かわからない言葉。
だけれど、それは、彼女の心をほぐすのにはちょうどいいものであった。
「……えぇ、そうね。私もなってよかったわ」
カリナは目を閉じながら優しい声で言った。
「……ともに、生きて帰りましょうね。約束、なんだから」
「――うん。約束」
互いに笑いかけながら、そんな約束を交わしていると。
「到着だ、降りろ!」
その言葉とともに、馬車が止まり強制的に降ろされる。太陽が高々と空に昇っていることを見るに、昼頃であると推測する。右手を見ると、黒煙が昇っていることから戦場が近いのだと把握することができた。
「お前たちはこれから歩兵として戦地で戦ってもらう! 生き残りたくば、中央側にある補給場へと向かえ! そこなら、ある程度の備蓄があるからな!!」
くその役にも立たない上層部の声が響いたあと、馬車が去っていく。
(地図もなしにどうやって探せばいいんだよ……って、言いたいけど。馬車が去ったから声をかけることすら無理だな)
もはや逃げる術は残されてなどいない。目の前に広がる広大なオーリスの森に前進するしか選択肢は残されていなかった。
「……アリス」
「……カリナちゃん」
少女たちは互いに顔を見合わせて、頷きあう。
そして、彼女たちは――地獄へと、足を踏みだした。
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