第7話

* * *


 走ってきたので、肩で息をしていた。


「はい、先生。ご飯買ってきた」

 弁当が二つ入ったビニール袋を花妻の前に掲げる。


「あのなぁ、千秋」


 千秋は学校の近くにある弁当屋で、肉野菜炒めの弁当を二人分買って戻ってきた。呆れながらも花妻は千秋に千円札を渡してくる。

 その流れで財布を出してお釣りを返そうとすると受け取りを拒否された。


「先生、お腹空いてるんでしょう。早く食べよう」

「本当なぁ、何から、お前に教えたらいいんだろうなぁ」


 花妻の呆れ声が重ねられる。


「肉野菜炒め弁当、ダメだった? 野菜嫌い?」

「嫌いじゃねーよ」

「じゃあ、とんかつ弁当の方がよかった?」


 深い深い、ため息を吐きながらも、花妻は千秋の買ってきたお弁当を受け取ってくれた。


「メニューのことで怒っているんじゃない」


 花妻はビニール袋の弁当を一つ取って、一つを千秋に返す。


「じゃあ、なんで怒ってるんですか」

「先生は、先生なんだよ。大人の自分が生徒に世話されて、なさけない気持ちになる」

「そんなの、関係ないよ」

「関係あんの」

「この前、俺に親切にしてくれたの嬉しかったし、それで……先生のこと、好きだって思ったから、だから、先生には健康でいて欲しい」

「あぁ、そう、ありがとな」


 意を決して告白したつもりだったのに、花妻には軽く流されてしまった。


「あの……花妻先生」

「何、ここで食べていいよ。後ろの席使いな」

「あ、りがとうございます。先生も食べて」

「おー食うよ」


 しぶしぶといった形で花妻は弁当の蓋を開けた。

 花妻は机に向かって食べ、その背中を見ながら千秋も後ろのテーブルの前に椅子を置いて食べていた。


「ねぇ、先生、今日、授業のとき名前で怒ってたでしょう」

「昔からだよ、この名前で揶揄われてたの、千秋、なんか遊佐に言おうとしてたよな。別に放っておけばいいんだよ。怒るのは先生の仕事。生徒は生徒で仲良くしてくれ」


 その声は少しトゲトゲしていた。そして、先生と生徒で線を引かれた。

 最初から分かっていた。けれど線を引かれたのが悔しくて、さらに線を越えてしまう。

「あの、俺! 亜樹って名前の由来、知りたい。教えてください」

「それ、知ってどうすんの?」


 振り返った花妻の顔を見て背筋が凍った。

 それは教室で遊佐を叱ったのと同じ目だった。心底腹を立てている目。


「……好きな人の、ことならなんでも知りたいって、先生分からない、ですか」

「分からん」


 ぴしゃりと拒絶された。

「だって、俺」

「あぁ、もう。黙っておこうと思ってたけど、千秋」

「はい」

「昼間ノートに書いてたことが、本気でも冗談でも、お前の気持ちは否定しない。それは、俺が先生だから、だ」


 ――花妻先生に好きになってもらうには。


 先生は、ちゃんと読んでいた。


「先生、だから……か」

「そうです。弁当ありがとうな。食べたら、帰ってくれ」


 冷たい声だった。昼間の遊佐と同じ、絞りだすようにして言葉を返していた。


「わかり、ました」

「俺がお前に優しくしたのは先生の仕事をしただけだ。あと、先生以外の部分は、俺の自由だよ。毎日カップ麺食べてても、生徒のお前には関係ない」


 言われた瞬間、食べている弁当の味がわからなくなってしまった。


 一方的な好意を伝えて、花妻を怒らせてしまったのだけは分かった。


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