第42話 手当て

1歩も動けない俺と、満身創痍の皐月を抱えて歩くことはできないため、その場で野営の準備をダイヤは始めた。まだ日暮れまでには時間があるが仕方がない。途中無理して手伝おうとする皐月を制して、ダイヤはてきぱきと動いている。

「お2人はそこで横になっててください。2人とも泥だらけなので軽く水で洗いますね」

そう言ってダイヤは水を汲みに、近くの川の方へ向かった。

「なんだかダイヤに申し訳ないわね。私たち完全にお荷物よ」

俺の横で寝転がっている皐月が、ため息混じりに呟いた。


「そうだな。ダイヤのためにも安静にして、早く動けるぐらいにはならないと」

目を覚ました時は、混乱と当惑とで体の痛みも多少誤魔化せていたが、落ち着いて冷静になると今にも悲鳴を上げてしまいそうになるほどに、体中が痛む。必死にズボンの袖を掴み、荒い呼吸を繰り返して今にも叫びだしそうなのを堪える。今夜は痛みで眠れないのは明白だ。


しばらくすると、水を一杯に汲んだダイヤが戻ってきた。それにタオルを浸して絞っている。

「まずは皐月さんから。万歳してください」

そう言ったダイヤが、母というか看護師というか、とにかく可笑しくて俺は少し笑う。それに比例して体の痛みも少しだけ、本当に少しだけ和らいだ気がする。

皐月はされるがままダイヤに体中を拭かれている。俺の血で汚れた髪も、ダイヤの手で綺麗に洗われている。

「私は自分でできるわよ」

「だめです。おとなしくしてないと治るものも治らないですよ」

いつもと立場が逆転している。皐月に年長者としての威厳がなくなっている。


「はいおわり。次は伊織君ですね」

ダイヤはタオルを綺麗に洗って絞り、今度は俺の体を拭く。くすぐったさと恥ずかしさで、自分でも顔が赤くなるのが分かる。早く終われ早く終われと、心の中で念じる。多分皐月にやってもらうと、恥ずかしさなどないのだろうがダイヤとなると、途端に照れ臭くなる。

「体中棘が刺さりまくってるじゃないですか。痛いと思いますけど我慢してください」

ダイヤは俺の腕を丁寧に見回して、1本ずつ棘を抜き始めた。正直痛いかどうかもわからない。もっと痛む場所が体中にあるので、これくらいでは今の俺にはほとんど何も感じない。

「おわりました。よく我慢できましたね」

世話を焼いてくれるのは嬉しいが、なぜ俺たちを子ども扱いするのだろう。ダイヤが1番年下なはずなのに。ダイヤの自分がしっかりしないとと言う気持ちがそうさせているのだろうか。


辺りも暗くなり、横からは皐月の寝息が聞こえる。ダイヤは焚火を焚いてその近くに腰を落としている。どうやら今晩は1人で見張りをするようだ。俺はというと、やはり痛みで寝付くことなどできずにただただ綺麗な星々を眺めて、少しでも痛みを誤魔化そうとしている。今のところ効果はほとんどない。


ダイヤがふいにこちらを向き、目が合った。驚いた顔をしながらそっとこちらに寄ってきて、俺の隣に腰を下ろした。

「何で早く寝ないんですか? 寝ないと魔力も回復しませんよ」

ダイヤが優しく訊ねてくる。

「そうしたいのは山々なんだけど、体中が痛すぎて、うまく寝付けないんだよ」

ダイヤは、俺の腕に優しく自身の手を置いた。

「ごめんなさい。あたしがもっと早くに駆け付けることができたら」

昼間と同じ謝罪をダイヤが繰り返した。目元は泣き腫らした影響で赤くなっている。その目を細めて、心底申し訳なさそうな表情をしている。そんな顔を見ると体だけでなく心も痛んでくる。


「謝られるともっと体が痛むよ。何か楽しい話をしてもらいたいな。そうだ、ダイヤは何でそんなにポーションが好きなんだ?」

ポーションと言う言葉を聞いた瞬間、ダイヤの表情が少し柔和になった気がした。その表情のままダイヤはゆっくりと話し始めた。


「あたしがこの世界に来た時、エルノンという嫌な奴に拾われたことは、話しましたよね。その家は金持ちだったので、蔵書は大量にあったんです。

ある日いつものようにエルノンの目を盗んで、語学の勉強のために適当に本を漁っていると、たまたまポーションの図鑑を見つけたんです。その時まであたしは、この世界にポーションがあるなんて知らなかったです。それで、中を見てみると色とりどりの綺麗なポーションがあって、あたしは瞬時に心を惹かれました。鮮やかな外見もそうなんですけど、あたしにはそれが何だかとても非現実的な感じがしたんです。魔法のような能力に比べたら、いくらか現実的なんでしょうけど、なぜだか当時のあたしはそう感じたんです。あの時はまだ読み書きがそれほどできたわけではないので、図鑑の説明文もほとんどなにを言っているのかわかりませんでしたけど、ただポーションの絵を見ていると、不思議と心が少しだけ楽になったんです。ここではないどこかに心だけ行ってしまったような、そんな感じです。


それからは、こっそり家を抜け出して道具屋に通ってましたね。もちろん、あたしにお金は与えられていなかったので、ただただ眺めるだけでしたけど。その道具屋の方がまた優しくて、あたしが興味深げに見ているポーションをいつも詳しく解説してくれたんです。そんなことをされて、あたしは増々ポーションが好きになりました。道具屋の方はいつも見ているだけのあたしを気の毒に思ってくれたのか、1つポーションをくれたことがあったんです。効果はポイントが2ポイント貰えるという大した代物じゃないんですけど、あたしはその気持ちが嬉しくて、今でもお守りの様にバッグの奥に入れてるんですよ。


図鑑は何度も熟読して覚えてしまったので、頭の中で持ち運んでます。その方はよく、『いつかすべてのポーションを集めて生で見てみたいなぁ』と口癖のように言ってました。ですがその夢は叶うことなく、その方は他界してしまいました。それと同時に店もなくなったんです。あたしと伊織君で行った店は、そのあと新しくできた店なんです。その方は元々病気がちで、持病をいくつも抱えていたんです。きっとこの世に未練たらたらだったと思いますよ。その時くらいからあたしは、元の世界に帰りたいと思う気持ちと同じくらい、いつかすべての種類のポーションも集めてみたいなと思ったんです。そうしたら道具屋の店主も少しは報われるのかなって。夢半ばで死んじゃうなんて可哀想ですから。まぁそういうわけで、私はポーションが好きなんです。もちろん第一優先はこの世界からの脱出と、伊織君と皐月さんが無事でいられることなので、それは安心してください」


そのあたりまで聞いたところで俺はいつのまにか寝てしまったようだ。途中夢の中にダイヤが出てきたような気がしたが、記憶がはっきりとしない。


「おはようございます。体調はどうですか?」

ダイヤが覗き込むようにして言った。寝不足なのかダイヤの目の下は、少し色が悪いように思えた。

「ダイヤのおかげで、何とかゆっくり寝れて少しはましになったよ」

「あら、ダイヤに何をしてもらったらゆっくり寝れるの?」

皐月は自分の傷口を撫でながら訊ねた。

「内緒です。ちょっと特別なことをしただけです」

ダイヤが意味深な言い方で皐月をからかう。皐月はその言葉を聞いても大して興味がないようで、「あっそう」とだけ返した。


「もう少し面白い反応が見られると思ったんですけどね」

ダイヤは不満気に呟き、村の若者から貰った魔物の肉の残りを調理し始めた。

「でもまさか、ダイヤがポーションにこだわる理由にそんなわけがあったとわねー」

皐月は悪い笑みを浮かべながら、わざとらしく言った。俺もダイヤの話の途中で皐月が起きていることには気づいていたが、聞かれてまずい話でもないだろうと思い、あえてダイヤには黙っていた。


「聞いてたんですか! 信じられません。盗み聞きするなんて」

「聞いたんじゃなくて聞こえたの」

その後も皐月とダイヤは、いや正確にはほとんどダイヤが一方的に何やら言い合っていた。傷口に響くからやめてほしいと言ったが、俺の小さな声は2人の声に搔き消され、空に舞ってどこにも届かなかった。

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