第43話 タイガ
数日間俺たちはその場を動くことができなかった。
俺は相変わらずの重傷で毎日ヒールをかけているが、まだ歩けるまでには至らない。皐月は歩けるには歩けるようだが、まだまだ本調子ではないようで、時々苦痛に顔を歪めている。ダイヤは、あの木の魔物との戦いで負った傷はかすり傷程度だったらしく、今も元気にぴんぴんしている。
そういった理由で、俺たちは先に進むのは困難だと判断して、もう少し傷が癒えるまではこの場に留まろう、ということで話がまとまった。
マンダリン村の若者から貰った魔物の肉も尽きてしまって、俺と皐月はダイヤが狩ってきたスライムを食べては、ただ横になる生活をしていた。とても申し訳なく思っているが、何せどんなに頑張っても体が動いてくれない。座ることはできるが、立ち上がるまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。
さらに数日後。もう12月に入っただろうか。綺麗だった紅葉は着実に葉を減らしつつある。皐月は自由自在に動ける程ではないが、歩くには問題なさそうなくらいには回復している。一方の俺は、いまだに歩くことすらできず毎日横になっている。
「あたしが伊織君を負ぶって歩くので、皐月さんはゆっくりでいいのであたしに付いて来て下さい。しんどくなったらすぐに言ってくださいね」
そう言ってダイヤは、俺に背中を向けてしゃがみ、自分のお腹側にリュックをかけて、顔だけをこちらに向けて、早く掴まれという目線を送ってくる。
まさか女の子に負ぶられる日が来るとは思いもしなかった俺は、恥ずかしさを我慢しながらダイヤの首元に手を回し、落ちないように力を入れる。
「申し訳ないな」
「構いませんよ。伊織君は前にあたしを負ぶってくれたじゃないですか。そのお返しです。それに伊織君は軽いから特に負担でもありません」
そうは言っても、やはりダイヤは重そうで、呼吸を乱しながらゆっくりと歩き始めた。後ろを振り返ると皐月もゆっくりと付いてくる。そのまま俺たちは頻繁に休憩を挟みながらも、着実にタイガに近づき、3日ほど歩いたところでついに到着した。
「やっと着いたわね」
皐月が感慨深そうに言った。俺も感動すら覚えゆっくりと街の様子を窺う。ダイヤに負ぶられたままなので視界は広くないが、それでもこの街がホークやプーカに比べて大規模だということはわかる。
「早く病院に行きましょう」
ダイヤは皐月には取り合わず、さっさと街の中に入っていく。流石に人が多いところで女の子に負ぶられるのは、耐えられないほどに恥ずかしい。街の人たちからも不思議そうな目を向けられ、俺はダイヤの背中に顔を隠す。こうなることが分かっていたので、ここに着く少し前に、街に付いたら何とか自分で歩くから、とダイヤに言ったが「まだ大怪我が治ってないんですからダメです。それに伊織君、私たちがあの谷で、エイデン君に体重を言っているときすごくニヤニヤしてましたよね。恥ずかしかったのでそのお返しです」と言い返され、俺の意見は通らなかった。
「病院って言ったって俺たち金ないぞ。別に自分でヒールをかけてればそのうち治るんだから、それでいいだろ」
俺たちの全財産はたった3万ケルマだ。この世界には健康保険などの制度はないので、医療を受けるとなるとそれなりの金がかかる。
「わかってますよ。でもそれだと治るのはまだまだ先になりますよ。それまで伊織君や皐月さんが辛い思いをするのは、私は嫌です」
嫌ですと言われても、金がないのだからどうしようもない。皐月も怪訝そうにダイヤを見つめている。
「お金なら大丈夫です。これがありますから」
そう言ってダイヤは前にかけたリュックを開けて、少しだけ何かを出した。一瞬何かわからなかったが、それはインピリカルポーションだった。
「いいのかそれ。大事にしてたじゃないか。いつかすべてのポーションを集めたいんだろ。そんな希少なポーション、もう2度と手に入らないかもしれないぞ」
俺は数日前に夢見心地で聞いた、ダイヤの話を思い出していた。亡くなった大好きな道具屋の店主のためにも、いつかすべてのポーションを集めたいと言っていたのに。
「伊織君も言ったように、私たちは自分自身にヒールをかけれるんだから無理して病院に行く必要ないわ」
皐月もダイヤのポーションの話を聞いていたので、俺に加勢する。
ダイヤは後ろを振り返り、俺と皐月に目をやると軽く微笑んだ。
「あの時もあたし言いましたよね。ポーションを集めるのも大事だけど、伊織君と皐月さんの方が大事だって」
「でも……」
俺はさらに言葉を返そうと思ったが、ダイヤが急に足を止めたので言葉を止めて前を見る。そこには、プーカで見たものとは比べ物にならないくらい大きな道具屋があった。
「それに」
ダイヤはそこで1度言葉を切って大きく息を吸った。
「それに、伊織君や皐月さんと出会えてなかったら、こんなポーション見ることすらできなかったでしょうから。このポーションを見れただけでも、あたしは幸せです。ありがとうございます」
そう言ってダイヤは、俺を道具屋の前のベンチに腰掛けさせて、1人で中に入っていった。
皐月が静かに俺の横に腰を落とす。
「なんか最初に見たときと印象全然違うよね」
皐月は、今しがたダイヤが入っていった道具屋を見ながら言った。
「確かにそうだね。なんか強くなってる気がする」
「そうよね。あの大型の魔物を1人で倒しちゃうんだもの。出会った時のダイヤからは想像もできないわ」
「俺たちも強くなってるのかな?」
皐月は、道具屋に向けていた視線を俺の方へ向ける。
「きっと強くなってるわよ」
そうだろうか。俺にはいまいちわからなかった。
「自分のことは、意外と自分が1番わからなかったりすることもあるのよ」
皐月は自信満々な表情で言った。俺自身ではよくわからないが、皐月がきっと強くなっていると言うのだったら信じてみようと思えるので、不思議だ。
しばらくするとダイヤはバックを大事そうに抱えて店から出てきた。きっとあのバックの中には大金が入っているのだろう。
俺はまたもやダイヤに負ぶられて、病院へ連れていかれた。10日ほど入院し、俺は激しい動きはまだできないが、日常生活は問題なく送れるくらいには回復した。もっとも俺たちの日常生活は激しい運動の連続なのだけれど。皐月の方は、もうほとんど傷は癒えたようで、俺より一足先に退院した。
「さてと、どうしましょうか? お腹すきましたね」
無事退院した俺を迎えに来てくれたダイヤと皐月は、目的なく歩いているように見える。
「またこれで金もなくなったし、店でご飯を食べるのはやめておきましょ。街の外に出てスライムかゴブリンでも倒すわよ。伊織君もリハビリがてら一緒に行くわよね」
「ああ」
特に断る理由もないので俺も同行する。
流石の皐月も、ダイヤが大切なものを売った金で新しい服が欲しいとは言い出さず、文句も言わずに、未だにロリータ風の服を着続けている。
「ディフェンス
不意に茂みから出てきたゴブリンに対して、ダイヤが素早くバリアを張って俺たちを守る。助かった。退院してすぐまた入院する羽目になるところだった。
バリアに防がれたゴブリンは、咄嗟に茂みに隠れた。
「ファイアー
俺は茂みごと燃やして隠れたゴブリンを炙り出す。
「ぎぃぃっ!」
予想通りゴブリンは、燃え盛る火から悲鳴を上げて跳び上がった。
「ウォーター
すぐに皐月が跳び上がったゴブリンに対して能力を使う。1度、空に向けてレヴェル7の能力は使っていたが、魔物に対して使っているのは初めて見る。皐月の手から勢いよく放出された水は、ゴブリンの腹に入り、少し体をえぐった。流石に貫通はしないものの、体は少しへこんでいる。そこから血がおびただしいほどに流れ、ゴブリンは口から血を吐いて跪くように倒れた。まだ死んではいないようだがとんでもない威力だ。これならば、わざわざ顔面に使って溺死させなくてもいい。
使った皐月自身も驚きはあったようで、「すごいわね」と自身の手とダメージを喰らったゴブリンを交互に眺めている。
俺はほとんど身動きが取れないゴブリンに近づき、顔面を下から思いっきり蹴り上げて、仰向けに倒れたそいつの喉を踏みつぶして、絶命させる。途中やはり体のところどころが痛んだが、我慢できないほどではない。
俺たちは、今しがた死んだゴブリンを食べて、まだ食料は備蓄しておいた方がいい、という皐月の提案に乗って、また魔物を探し始めた。
「ねえ、伊織君ダイヤちょっと来て」
日も少しずつ暮れかかり、もう今日は諦めようかという空気が漂い始めたとき、少し離れたところで皐月が、何やら俺たちを呼んでいる。皐月にしては珍しく、その声には興奮が混じっているような気がした。俺は魔物が現れたのかと思い、慌てて皐月に駆け寄る。
しかし、辺りを見回しても魔物らしきものは見当たらない。代わりにあるものが目に入った。ひどく古びてツタが生い茂り、わかりにくいが廃墟のようだ。家というよりは倉庫に近いかもしれない。それくらい小さな建物だ。いずれにしても人が住んでいないことは、外観を見ただけで明白だった。
「なんですかあれ?」
俺と同じく慌てて皐月のもとに駆け寄ったダイヤが、不思議そうに訊ねた。
「わからないけど、何だか昔の貴重な本とかありそうじゃない?」
そうだろうか? 確かに言われてみればそんな気がしないでもないけど。
「漫画の中じゃないんだから、都合よく古びた廃墟に貴重な本なんてないと思うけど」
「もう漫画の中みたいな世界なんだから、あるかもしれないじゃない」
皐月は、物分かりの悪い子に言い聞かせるような口調だ。
「でもどう見ても雰囲気が尋常じゃないぞ」
そう、ただの古びた廃墟なら何ら問題はないけれど、今にも皐月が中に入ろうとしているその廃墟は、漂っている雰囲気が普通ではないのだ。俺のこの世界に来てから半年の勘が、危険だと叫んでいる。ダイヤもそんな雰囲気を感じ取っているようで、両腕をしきりに撫でまわしている。
「雰囲気があるから貴重な資料もあるんじゃない」
皐月は当然でしょとばかりに言った。無茶苦茶な理論だが、皐月はもう行く気満々だ。
「とりあえず明日にしませんか。今日はもう日も暮れてきてますか」
「それもそうね」
ダイヤの言葉に皐月はあっさりと納得した。助かった。どのみち明日は中に入ることになるのだろうけど、とりあえず俺はホッとする。
宿代程度はまだあるので、俺たちは街に戻り1番安い宿を探した。やはり野宿では見張りは交代でやるものの、いつ魔物に襲われるかわからない恐怖の中で眠るので、なかなかぐっすり眠れない。狭くてボロい宿でも野宿よりは遥かにましだ。それに最近はめっきり気温も下がり、寒さでうまく寝付けないことも増えた。
無事に格安の宿を見つけ出し、3人でぎゅうぎゅうになって眠っていると、突然外から慌ただしい声が聞こえて、3人一斉に飛び起きた。
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