第39話 空中散歩
泣き喚くダイヤを無視してエイデンはポーションを飲み干した。
「あ゙あ゙あ゙ーーー! あたしのなのに!」
「ちょっと黙ってなさい」
皐月はダイヤを軽くあしらった。
「どう? レヴェルは上がった?」
俺が聞くと、エイデンは不思議そうな顔をして答えた。
「そんなの教会に行かないとわからないよ」
確かにそうだ。俺は飲んだ瞬間レヴェルが上がって、すぐにでも向こうに連れて行ってもらえるものだと思い込んでいたが、よく考えれば確かに、教会に行かなければレヴェルも上がるはずがない。1番近い教会は、俺たちがいたマンダリン村だろうか。ここにはとてもじゃないが教会があるとは思えない。
「護衛に俺たちもついて行った方がいいかな?」
この男1人では魔物に勝てるとは思えない。1日以上かかるマンダリン村に、エイデンを1人で行かせるのもすごく申し訳ない。
「いいよ、教会なんてすぐそこだし」
「そうなの?」
「すぐそこにレッター村があるから、今から行ってくるよ。30分ほどで帰ってくるから少し待ってて」
そう言ってエイデンは小走りで山沿いの道を進んでいった。
「ダイヤ、いい加減に泣き止みなさい。」
後ろを振り返ると、まだダイヤは泣き止んでいなかった。
「まだもう1つあるんだしいいじゃないか」
俺も皐月に加勢してダイヤを宥める。
「観賞用と保存用なんです」
そういうものだろうか。俺にはよくわからない感覚だった。
「観賞用と保存用って、街に着いたら道具屋に売って金にするんでしょ。だから私は盗賊と戦うことにしたのよ」
ダイヤが驚愕の表情を浮かべている。せっかく泣き止みそうだったのに余計なことを言わなくても、と思う。
「あと1つしかないのに、それも手放せって言うんですか? 皐月さんは鬼だったんですか?」
「そうよ鬼よ」
適当に皐月があしらうと、ダイヤは途方に暮れたように呆然としている。
「まぁ、これを買い取ってもらわないと俺たちは宿にも泊まれなくなるし、仕方ないじゃないか」
「そうですけど……」
可哀想だが俺たちの生活のためには仕方がない。
そうこうしているとエイデンが、額に汗を滲ませながら走って戻ってきた。
「おまたせ。しっかりレヴェルを上げてきたよ。多分、君たちも持ち上げられると思うようになったと思うけど。えっと、1番重いのは君だったよね、試してみてもいいかな?」
屈託のない笑顔で、エイデンはダイヤに訊ねた。
また面倒なことになりそうだと思った俺の予感は、的中した。
ダイヤは目を吊り上げて、エイデンに詰め寄っている。泣いたり怒ったり忙しい奴だ。
「別に重くないです! そういう発言はどうかと思います!」
別にエイデンは悪くないと思うが、今のダイヤは情緒不安定なので、少し気の毒にも思う。
「わかったから。ごめんごめん。とりあえず君から浮かせてみるね。テレキネシス
エイデンがダイヤに能力を使うと、ダイヤは軽々と浮かんだ。
良かった。これで持ち上がらなかったら、また面倒なことになってたところだ。1番ホッとしたのはエイデンのようで、安堵のため息を漏らしている。
「わーー! すごいすごい。ほんとに浮いてますよ」
さっきまでの怒りはどこへやら、一転してダイヤは楽しそうに歓声を上げている。
「じゃあこのまま運ぶね。怖かったら下を見ないほうがいいよ」
エイデンはそのまま、ダイヤを浮かせたまま、谷の真ん中あたりまで移動させた。俺も後でこれを体験するのか。考えただけで恐怖で鳥肌が立ってきた。
「うわー! 高い高い! すごーい!」
ダイヤははしゃぎながら、空中で無邪気に俺たちに手を振っている。まるで子供のようだ。俺は引き攣った笑みで手を振り返す。
「楽しんでるみたいだからサービスしてあげるよ。それ!」
エイデンは腕を上下左右に動かし、その動きと連動してダイヤの体も動く。さながらジェットコースターのように、縦横無尽に空を飛び回っている。
「キャーーーー!」
何やら叫び声をあげているが、恐怖の悲鳴ではなく歓声に近い声だろう。本当に怖かったら声も出ないはずだ。
しばらく空中遊泳を楽しんだダイヤは、そのまま優しく向こう側の山の麓に降ろされた。
「次はどちらが行く?」
エイデンが皐月と俺を交互に見て訊ねる。
正直怖いから後がいいなと思って皐月に目をやると、皐月の顔は青ざめ、額から脂汗を流していた。
「伊織君先行きなよ。私は最後でいいから」
皐月の声は思いっきり震えていた。間違いなく高所恐怖症だろうな。それも重度の。
「いや、俺も怖いしなるべくなら最後がいいんだけど」
「伊織君先行きなよ。私は最後でいいから」
さっきと全く同じことを皐月は言った。壊れてしまったようだ。
仕方がない。目を瞑っていれば何とか大丈夫だろう。覚悟を決めて1歩前に出る。
「さっきみたいなサービスはいらないから。なるべくさっと運んでください」
「そう。わかったよ。テレキネシス
体の芯がなくなったかのような感覚に襲われた。そう思った瞬間、足は地面から離れ、皐月とエイデンを見下ろす格好になった。奇妙な感覚だった。どちらかと言えば不快な感じで、文字通り地に足がつかない、という感じがした。それに、これは長くはもたないだろうな、という予感もした。波に揺られているときの比にならないくらい、三半規管にダメージがはいっている気がする。
不意に体が横にスライドし始め、谷の方へ近づいていく。俺は思いっきり目を瞑り、恐怖心から、手を爪が食い込むほどの力で握った。目を瞑っていてもやはり怖い。
「うぅぅぅ」
思わず情けない声が漏れた。とにかく早く着いてくれと願って、心を無にしようとしたがうまくいかない。まだかまだかと思っていたら、遠くからダイヤの声が聞こえた。声の遠さからして、まだ向こう側まで距離がありそうだ。
「伊織君~~! 何で目を瞑ってるんですか? もったいないですよ~~!」
何やら呑気なことを叫んでいる。だがダイヤのその呑気さで、恐怖心が少しだけ和らいだのも事実だ。確かにこんな経験、二度とないだろうから目を瞑っているのも勿体ないかもしれない、と思えるほどの心の余裕も出てきた。俺は意を決して、恐る恐る薄目を開けた。すると眼前には険しい山に広がる、圧倒的な紅葉が見えた。イチョウやモミジとは少し異なるが、何となく似ている木々だ。とにかく、うるさいほどの赤と黄色が俺の目に飛び込んできた。ところどころ太陽の光を反射して、きらきらと光り輝いている。
さっきまでの位置からも見えていたが、近くで、それも空中で見ると感動はひとしおだった。緑の、「み」の字もないその光景に、しばらく見惚れていた。しばらく辺りの光景を眺め、俺は余計なことをしなければいいものを、足元の方に視線を向けてしまった。自分が今、はるか上空ということを思い出させるには十分な光景に、薄れていた恐怖心が再び込み上がってきた。
もう1度目を瞑りやり過ごしていると、急に足の裏に固い感触があり、咄嗟のことだったのでそのまま尻餅をついてしまった。どうやら無事にたどり着けたようだ。俺はほっと胸をなでおろす。
「伊織君大丈夫ですか?」
ダイヤがこちらに駆け寄ってくる。
「問題ないよ。ただ少し酔ったみたいだ。皐月が来るまで座ってるよ」
「どうでしたか?空中散歩は楽しめましたか?」
「楽しさ3割、怖さ7割ってとこかな」
「あたしは楽しさ12割でした」
もうポーションのことは忘れたのか、ダイヤは嬉しそうに微笑んでいる。
「あんなに縦横無尽に動いて、酔わなかったのか?」
俺なら間違いなく空中でリバースしていただろう。
「あたし酔うって感覚が分からなくて。車もバスも船に乗っても、1度も酔ったことがないんです」
ダイヤの意外な長所を発見することができた。
そういえばダイヤは、北海道出身だと言っていたな。もしかしたら子供のころから船に乗せられて、鍛えられているのかもしれない。いや、北海道イコール漁は、短絡的かな。
「皐月さん大丈夫かな?」
独り言のつもりだったがダイヤに聞こえていたらしく「皐月さんどうかしたんですか?」と訊ねられた。
「俺の数十倍はビビっていた」
「へー。意外ですね。こういうの楽々こなせそうな感じだと思いました」
ダイヤが心の底から意外だというような声で言った。
「俺もそう思ってたっよ」
「もし元の世界に無事戻れたら、皐月さんを連れて、ジェットコースターとか乗ってみたいですね。うんと怖いやつ」
皐月は言わずもがなのドSだが、ダイヤも大概だなと思った。
「やめておいた方がいいよ。何発か拳を加えられる」
ダイヤは「それもそっか」と言って、俺の横に腰を落とした。少し肌寒い気がして、俺は無意識にお尻だけ動かして、ダイヤに少し寄った。
もうすぐ冬だなと呑気なことを思いながら、目を凝らして皐月の方に視線を向ける。
遠くてよく見えないが、何やらエイデンと言い合っていた皐月だったが、ようやくふわっと体が浮いた。そのままこちらに向かってくる。近づくにつれて皐月の様子が分かってくる。顔はやはり真っ青で、スカートの端を思いっきり握っている。足はばたつかせ、勿論目は瞑っている。
その、恐怖とはこのことだ、という様子に、流石にダイヤも俺の時の様に、目を開けてくださいとは言わなかった。
何事もなく皐月は、俺たちの目の前に着地したが、俺と同様バランスを崩して、そのまま派手に前方に頭からこけた。まるで漫画のようなこけ方だ。可愛い衣装には似つかわしくない行動に思えた。こけたくて、こけているわけではないだろうが。
「皐月さん大丈夫ですか?」
ダイヤの心配の声まで俺の時と同じだ。だが皐月の返答は俺とは違っていた。
「大丈夫なわけないでしょ! ショック死するかと思ったわ!」
俺たちを怒っても仕方ないと思うが、行き場のない怒りをどこかにぶつけたいのだろう。気持ちは何となくわかる。
皐月は立ち上がり、ふらふらとした足取りで茂みの前に跪いて、頭を下げている。顔色は真っ青を通り越して、色がない。
どうやら吐くみたいだ。俺も立ち上がり、皐月のそばに寄り背中を擦ってやる。
「おえっっ! ゲロヴェロヴェロ!!」
派手な音を立てて吐瀉物をまき散らしている。涙や鼻水も一緒に零れている。
「はぁはぁはぁ……」
ひととおり胃の中のものを出した皐月は、息も絶え絶えにその場にうずくまっている。俺はリュックからタオルを出して皐月に差し出す。
「ありがと」
短く返して、皐月は自分の能力で顔を洗って、口をゆすいで顔を拭いた。
「さっ、行くわよ」
急に立ち上がって言った。何という切り替えの早さだ。
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