第35話 お礼

「おーい!! ちょっと待ってくれ」

村を出て行こうとした俺たちは、何となく聞いたことのある声に呼び止められた。

振り返ってみると、そこには初めてこの村に来た時に、やけに俺たちに、主に皐月につっかかって来た、人相の悪い若い男が走ってくるのが見えた。面倒くさいのが来たなとげんなりした。皐月も表情を強張らせている。

「誰でしたっけあの方? どこかで見たような」

ダイヤに関しては憶えてもいないようだ。小声で教えてあげると、納得したように頷いた。


「何の用かしら。私たち急いでるんだけど」

皐月が冷たく突き放す。

「冷たいなー。お前らに1つ言いたいことがあって」

相変わらず言葉遣いは悪いが、この前みたいに敵意むき出しと言う感じではない。本来の彼はこんな感じなのかもしれない。

「あれ、お前そんな服装してたっけ? めっちゃ可愛いじゃん」

皐月に向かって若い男は褒めるが、皐月の表情は殺気立っている。

「それ以上服装のことについて言ったら、殺すわよ。で、用件は何なの?」

いきなり殺すと言われた若者は面食らったようで、一瞬たじろいだ。


「悪かったよ。それよりこの前はお前らを疑ってすまなかった。お前ら盗賊からポーションを取り返してくれたんだってな、ありがとな」

そう言って若者は軽く頭を下げた。まさかそんなことを言われるとは思わなかったので驚いた。

俺たちはこの村に長いこといたのだから、礼や謝罪を言うタイミングならいくらでもあっただろうがこの最後の最後のタイミングになったのは、彼なりに葛藤したのだろうか。


「そ。私たちはもう行くわ」

またしても皐月は冷たく突き放す。

「やっぱり冷たいな。お詫びとお礼の印に、これをお前らにやるよ」

若者は袋から何かを取り出して、それを俺に渡してきた。かなりグロテスクな見た目のそれは、ところどころ赤く染まっている。嫌がらせだろうか。

「何これ?」

「これはアックスピークの肉だよ。かなり日持ちするから何かと便利だと思うぜ」

若者は得意げに俺たちに説明する。

「わざわざありがとう」

俺は素直に感謝の言葉を口にして軽く頭を下げる。ダイヤもそれに続いて、皐月も渋々と言った感じで礼を言った。ついでに俺は1つ気になっていたことを若者に訊ねた。


「気を悪くしないで聞いてほしいんだけど、この村ちょっと変じゃないか? 何というかうまく言えないんだけど、村人全員に俺たちに対する不信感というか、不気味さというか、壁みたいなものを感じるんだけど」

最悪またこの若者は、声を上げて怒鳴るのではないかと思ったが、予想に反して若者は驚いた顔をしている。

「お前らも感じていたのか?」

「お前らもってことはあなたも感じていたの?」

皐月が興味深げに訊ねた。

「まあ何となく。俺はこの村で生まれこの村で育ったからこの村のことしか知らないから、俺が変なのかと思ってたけど、やっぱりあいつらの方がおかしかったんだな」

若者は1人で納得して何度も頷いている。


「あ、そうだ。もう1つ聞きたいんだけど。タイガの行き方ってわかる?」

「タイガ? あんな治安の悪い町に行きたいなんて、やっぱりお前ら相当な変わり者だな」

タイガは治安が悪いのかよ。そういうことは早く教えてくれよ。俺は黙って皐月に非難の視線を向ける。皐月は俺の視線を受けてもどこ吹く風だ。

「タイガならここからずっと南東の方にあるけど、お前らどっから来たんだ?」

「プーカよ」

「なんでわざわざそんな遠回りしてるんだ?」


全員が無言になった。方向音痴過ぎて遠回りしてしまっていたことを、誰も言い出せずにいた。最短で目指しているつもりが、随分と北に逸れてしまったようだ。やっぱりここで道を聞いてよかった。

「悪い悪い。聞いちゃいけねえことだったか。タイガならとりあえずそこの道を真っ直ぐ歩いて、橋を渡っていくのが最短だ」

俺たちの沈黙を勘違いして受け取った若者は、その後も丁寧に道順を教えてくれた。

「気をつけてな」

若者は最後にそれだけ言って、どこかに行ってしまった。

案外いい奴なのかもしれない。俺はこの村に来た時のあの若者の印象の差に、思わず手のひらを返した。


「さ、行きましょ」

皐月の一言で俺たちは、再びタイガに向けて歩き出した。

皐月の足取りはやはりかなり遅い。俺とダイヤは、皐月に合わせてゆっくりと歩く。

「そうだ思い出した。今日の分の魔力まだ使ってないや。皐月さんじっとしてて」

俺は特に怪我の具合が悪い場所を中心に魔力を全て使って、ヒールをかけた。さっき1つレヴェルを上げたから多少は効き目がいいはずだ。

「ありがと」

皐月は素直に礼を言って、スカートを揺らしながら歩き始めた。

俺たちは皐月に合わせて再びゆっくり始めた。


俺はいつか皐月が言っていたオフェンスタイプは犯罪者やその予備軍が多いという話を思い出した。

あの時はオフェンスタイプに同情したが、あの盗賊が3人が3人ともオフェンスだったので、少しだけその噂も信憑性があるのではないかと思い始めていた。


「怪我の具合はどうですか? 皐月さん」

ダイヤは心配そうに皐月の顔を窺う。

「あなたたちの献身的な介護のおかげで順調よ」

「それはよかった」

「この服もそう思えば悪くないかもしれないわね。いや、そんなことないか」

皐月は歩きにくそうなふわふわのスカートを、恨めしそうに見つめている。


ゆっくり歩いていることも相まって、皐月の姿は優雅そのものだ。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、というやつだろうか。

「伊織君、何をじろじろ見つめているの? 少し気持ち悪いわ」

居心地悪そうに皐月はたじろぐ。

「少し見惚れていただけだよ」

俺は素直に思ったことを口にする。

「良く堂々とそんなことを言えるわね」

皐月は少し赤面している。物珍しさに顔を見つめそうになるが、今度はもっと辛辣なことを言われるような気がして、やめておく。


「珍しく皐月さんが顔を赤らめてますよ」

ダイヤが嬉しそうに余計なことを言う。その言葉を聞いた瞬間、皐月は目つきが鋭くなりダイヤを小突く。ダイヤは大げさに痛がり、それを見た皐月は少し微笑んだ。どうやら機嫌はそこまで悪くないようだ。

2人のやり取りを微笑ましく見ていたら突然2人とも立ち止まり、俺はつんのめりそうになる。


「何? どうした?」

「あれよ」

皐月は無言で前方を顎でしゃくった。そちらに目をやると、遠くの方にいるゴブリンと目が合った。

すかさず皐月が1歩前に出て攻撃の体制をとる。俺はすぐに皐月の手を引いて後ろに下げる。


「何するのよ」

不機嫌そうに俺の方を睨む。

「皐月さんはまだ怪我だらけじゃないか。ここは俺たちに任せて」

皐月はなおも食い下がる。

「伊織君もう魔力ないでしょ。ダイヤだってディフェンスなんだから、負けないかもしれないけれど勝てもしないわよ」

そんなことはわかっている。だが俺とダイヤには試してみたいことが1つある。相手がゴブリン1体というのは、それを試すにはちょうどいい。ダイヤもわかっているようで、俺の目を見て無言で頷く。その瞬間ゴブリンは、俺たちに向かって走り出してきた。


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