第25話 トラウマ
翌朝昨日の涙と涎と鼻水で汚れ切ったダイヤの顔を見た皐月は
「まず顔を洗ってきなさい」
と不機嫌そうに言ったが、無事に目覚めたダイヤにホッとしているようでもあった。
俺も同じ気持ちだった。昨日は皐月に、死にはしないから、と言われたが心配で心配でたまらなかったのだ。
気づいたら、ダイヤの寝息を確認し続けていて、朝になっていた。ダイヤが目覚めたときは思わず涙があふれそうだったが、皐月にその様子を見られると後でいじられるだろうから何とか我慢した。
「おかげさまでもう大丈夫です。ありがとうございました」
すっきりした顔をしているが、足をまだ引きずっているのを俺は見逃さなかった。これ以上迷惑をかけたくないと思い、やせ我慢しているのだろう。
「ヒール
未だ引きずっている足にスキルを使う。
「本当に大丈夫ですから、この先に備えて魔力は温存しておいてください」
「魔物とは私が戦うから問題ないわ」
俺は魔力がなくなるまでスキルを使い続けた。
「本当の本当にもう大丈夫ですよ」
ダイヤは軽く歩くそぶりをした。今度は嘘ではないようで2本の足はしっかりと大地を踏みしめ軽快な足取りだった。
ふいにダイヤは真剣な表情で振り返り俺と皐月を交互に見つめる。
「昨日はどうもすみませんでした。伊織君と皐月さんのおかげで、すっかり良くなりました。ありがとうございます。守るのがあたしの仕事なのの逆に守られて、面目ないです」
謝るようなことではない。それに仲間がピンチの時に助けるのも当然だ。そう言おうと思ったが一瞬早く皐月が口を開く。
「謝罪は聞き飽きたわ。感謝してほしくて助けたわけでもないの。元気になったんなら先を急ぎましょ」
気持ちは俺と一緒のはずなのに、どうしてこんなにも伝えるのが下手なのだろうか。
「皐月さんは、ダイヤが無事で本当はすごく安心しているんだよ。これからもあまり気負わなくていいから」
皐月が寝袋を片付け、出発の準備をしている隙に、こっそりダイヤに耳打ちした。
「ええ、わかってます」
ダイヤは軽く微笑みながら言った。
再び歩き出した俺たちの前に1体のゴブリンが現れた。1体だけだし武器も持っていないので余裕な相手だ。だが何となく嫌な予感がしてダイヤに目をやると、異様なほど震えて怯えている。薄々危惧していたが、昨日のアスピスとの戦いがトラウマになっているようだ。先日のトロールの一件も拍車をかけているのだろう。皐月もそんなダイヤの様子に気が付いたようで、魔物から守るようにダイヤの前に1歩前に出た。
「私1人で大丈夫だから、伊織君はダイヤのそばにいてあげて」
振り返らずゴブリンを見据えたままで言う。
「ウォーター
皐月とゴブリンの戦闘が始まった。
「大丈夫か? もう少し離れていよう」
怯えきっているダイヤの手を取り、皐月から距離を取る。
「あたしは大丈夫なので、伊織君も皐月さんと戦ってあげてください」
口ではそう言っているダイヤだが、体の震えは止まる気配がない。こんな状態の人を差し置いて、この場を離れるわけにはいかない。皐月は強いから大丈夫だろう。
「大丈夫だから。いざとなったら俺がダイヤを守るから」
言いながら背中を擦ってあげることしかできない。
「ウォーター
遠目にだが皐月がゴブリンの顔面に1撃当てて距離を詰めたのが分かった。いつものように至近距離で能力を使い、窒息させるだろうなと思ったが、皐月が能力を使うより一瞬早くゴブリンの拳が、皐月の顔面目掛けて放たれる。
「危ない!!!」
咄嗟にそう叫んでしまった。横で同じように戦況を見つめていたダイヤは、いきなり叫んだ俺の言葉に、びくん、と体を震わせた。ダイヤを無意味に怖がらせることになってしまい、自分の失態を悔やむ。
いつもなら真っ先に駆け寄り、スキルで俺たちを守ってくれるダイヤだが、皐月のピンチにもこの怯え様とは相当な重傷のようだ。
皐月はぎりぎりのところで拳を躱し、ゴブリンを窒息させて事なきを得た。
皐月が小走りに駆け寄ってくる。
「ダイヤ、大丈夫?」
聞いた皐月の顔は俺に向けられている。
「はい、全然問題ありませんよ」
未だに俺に視線を向ける皐月に、俺は無言で顔を横に振るしかなかった。
「ダイヤ、怖いなら1度プーカに戻ろうか。家に帰るのは嫌かもしれないが、俺たちと一緒にいるよりは危険はないはずだ」
家、と聞いた瞬間ダイヤが固唾をのむのが分かった。
「私たちと一緒に旅をすることは強制しないわ。このままだとダイヤの精神が心配よ。ちゃんと私たちで送って行ってあげるから」
ダイヤは俯き気味に必死に、首を横に振っている。まるで駄々をこねてる子供のようだ。
「怖くないので大丈夫です」
目線を逸らしながらダイヤは言った。嘘をつくときのダイヤの癖だ。
「それにプーカまで戻ったら、先を急いでいる伊織君や皐月さんの迷惑になりますから」
皐月が呆れたようにため息をつく。
「ダイヤがずっと怯えている方が迷惑よ」
流石にその言葉にはショックを受けたのかダイヤはすでに半泣きだ。
「ごめんなさい。言い過ぎたわ。私たちと一緒にいるということは、昨日のような出来事が何度もあるかもしれない。それでも私たちと一緒にいたいの?」
「はい……」
弱々しくダイヤが答える。
どうする? と視線だけを俺によこして無言で訊ねてくる。ダイヤには聞こえないように皐月の耳元に顔を近づける。
「本人が帰りたくないって言ってるんなら強制はできないよ。もう少し俺たちと一緒にいて、様子を見て精神に異常をきたしそうなら、無理やりにでも手を引っ張て家に帰そう」
皐月は俺の提案に無言で頷いた。
「一緒に行こダイヤ」
その言葉を聞くと顔を輝かせて俺の方を見つめる。
「いいんですか?」
「ああ」
「今度はあんな失態はしませんから安心して私を頼ってください」
言いながらもダイヤの体はまだ少し震えている。頼るのはまだ先になりそうだ。今まで幾度も守ってくれたのだから今度は俺たちが守らないと。
幸いなことに今日はスライムとゴブリンにしか出会わなかった。しかも1体ずつだったので皐月1人で何とかなった。
「魔物って単独行動が多いのか?」
ガーゴイルやゴブリンは集団で行動しているのを見たが、それ以外は基本単独だった。ゴブリンも2体だったので集団と言えるのかは微妙なところだけど。
「そうでもないらしいわよ。種族によってこの魔物は単独行動、この魔物は集団行動、みたいな決まりはないらしいの。私たちがあまり群れに出くわしていないのは、単純に運がいいだけだと思う。旅を続けていたら嫌でも出会うでしょうね」
皐月のその言葉通り、翌日俺たちはスライムの群れと出会うことになった。それも3匹や4匹ではない。軽く見積もって20匹はいるだろう。
見たことのない光景に判断が遅れてしまった。見つけた瞬間逃げればよかったが、あっという間に囲まれてしまった。こうなれば倒すしかない。
相変わらずダイヤは怯えた様子を見せている。体の震えを収めようと自分自身を抱きしめるような仕草をしている。その目には涙をためているが、こぼすことはしないように堪えている。やはり、俺と皐月の2人でやるしかないだろう。
「ウォーター
皐月は片っ端からスライムに能力を使っている。
俺も後れを取らぬように、目についたスライムから殴りにかかる。時々鈍痛が来てよろめいてしまいそうになるが、何とか踏ん張り数匹は倒したが、やはり数の暴力には勝てずに背後から攻撃を喰らい、跪くように倒れてしまった。その隙に、何匹ものスライムに上からのしかかられてしまう。
「ぐぅぅぅ!」
思わず情けない声が漏れてうつ伏せに倒れてしまう。スライムと言えど一方的に攻撃を喰らうと、命を落とす危険もある。
振り払いたいが、あまりの数の多さに、それさえ満足にできない。夢中で両手を振り回すがダメージがはいっている感覚はなく、それどころかスライムの攻撃は増々激しくなり、立ち上がることなど到底不可能に思えた。
「がぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!!」
重い一撃が腰にのしかかり、あまりの痛さに声と冷や汗が出る。どうしようもなさに戦意が喪失しかける。体のどの部位にも、のしかかられているためどこも動かすことができない。このままじっと耐えるしかないのだろうか? 意識が朦朧としかけたその時
「ウォーター
少しだけ、のしかかられていた背中が軽くなる。その隙に全身の激痛を耐えて、俺は立ち上がり体制を立て直す。どうやら俺の情けない呻き声を聞いた皐月が、助けてくれたようだ。感謝を伝えようと皐月の方に目をやると、10匹ほどのスライムが皐月の背後に回り込み飛び掛かる寸前だった。
「危ない皐月さん!!」
叫んだだけで、脇腹に痛みが走り思わず顔をゆがませてしまう。
皐月は俺の声を聞いて振り返ったが、スライムはもうすぐそこまで迫ってきていた。
「え!?!?」
珍しく皐月が覇気のない声を上げる。
もう間に合わない。そう思いながらも腕を上げ照準を皐月の背後のスライムに合わせる。
「ファイアー…」
「ディフェンス
だめ元で能力を使おうとしたが、俺より一瞬早く使われたスキルによって、俺の声はかき消された。
ダイヤの声だ。
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