第5話 旅立ち
皐月は庭の花壇に腰掛ける。しばらく、役目ははたしていないであろう花壇だ。
恐らく二人の死後は手付かずなのだろう。皐月はあまり花には興味はないのかもしれない。これまでの言動的に花が好きな可憐な女の子というイメージは完全にない。
「はぁー面白かった」
その言葉を聞きながら俺も皐月の横に腰掛ける。
太陽は8割方沈み辺りも夜の気配が漂い始めた。
「こんなに笑ったの久しぶり。ううん、笑うっていうこと自体久しぶりかも」
そう言った皐月の横顔は少し儚げに見えた。
「寂しかったんだな。別の世界から来たことは誰かに言ってないのか?」
「言ってない。そんなこと言ったって頭がおかしいと思われるか相手にされないかのどちらかよ。だから伊織君も言わないほうがいいわ、頭がおかしいと思われてもいいなら無理に止めはしないけど」
言わないでおこう。頭はおかしいと思われないに越したことはない。
皐月が伸びをしてため息をつく。彼女も疲れているのだろう。
「伊織君はさっき能力ってあんまり使えないんじゃないかって言ってたけど、私は基本ポイントは能力に振るわよ」
「なんで?スキルのほうがいいんじゃないか?痛い思いをするのは嫌だし」
「そのほうが手っ取り早く旅ができる。つまり早く元の世界に帰れるかもしれない」
皐月らしい考えだと思った。怪我を治せないリスクを負ってまでも早く元の世界に帰りたいのだろう。
「この世界のことは大体教えたわ、だから今度は伊織君の番。教えて、ここ数年で私たちの元いた世界がどうなったのか」
俺はここ最近の出来事について話した。未知のウイルスが世界中に蔓延し世界が一変してしまったこと、それにより得たもの失ったもの。ヨーロッパの国が戦争を始めたこと。連日連夜特集が組まれる日本人メジャーリーガーのこと。
話し終えると皐月は黙り込んで寂しげな表情でしばらく空を見上げていた。きれいな顔立ちだなと今更ながらに思う。もう完全に日は沈み切って夜が始まっている。明かりが少ないこの世界では星々が圧倒的に綺麗だ。どこか吸い込まれそうなほどの無数の光。
「数年で世界っていろいろ変わるのね」
皐月は噛み締めるように呟く。
「この世界にも太陽も月もある。太陽は東から現れて西に隠れる。天の川も夏の大三角だってある。不思議よね、ここっていったいどこなのかな」
そんな疑問の答えなど俺が持ち合わせているはずもなかった。
こうして俺の異世界生活初日の長い長い一日が終わった。
翌日からは昨晩のしみじみした雰囲気とは打って変わって皐月のスパルタじみた教育と実践に慣れるためとポイント稼ぎのためのスライム討伐と畑仕事の手伝いが並行して行われた。途中逃げ出したくもなったがそんなことをしたら皐月に何を言われるかわかったものじゃない。それにあの時の皐月の寂し気な表情を思い出すとどうしてもここで逃げ出すわけにはいかなかった。
そんな生活が1か月ほど続いてスライムは余裕をもって倒せるようになった。
「ここってスライム以外の魔物いないのか?ほかの魔物のほうがポイントの効率いいんだけど」
「この近くにはいないはずよ。それに今の伊織君ではスライム以外は倒せない。それくらい他の魔物は強すぎるらしいわよ。本の情報によると」
そこまで言うと皐月は困ったような表情になる。
「だから、絶対に1人で他の魔物を倒そうなんて思わないでね。伊織君が死んだら私はまた独りぼっちだから」
そんな表情でそんなことを言われたら俺に選択肢はない。これまで通りスライムだけを相手にし続けよう。
そして俺がこの世界にきてから半年がたった。何とか読み書きできるようになりスキル、能力ともにレヴェル3まで上がった。本当はスキルだけを上げたかったのだが能力もレヴェル3くらいあると日常生活が便利だろうということで一応上げておいた。皐月は能力もスキルもレヴェルはそのままのようだ。高レヴェルなほど必要なポイント数も跳ね上がると言っていたのでまだ足りていないのだろう。
そして、秋も深まった10月ごろいよいよ旅立ちの日がやってきた。
俺たちは最低限の荷物をリュックに詰めいざ旅立つ。
「この家ともおさらばね。もう二度と戻ってくることはないでしょうね」
家を出たとき珍しく皐月が感傷的なことを言った。たった半年しかいなかった俺ですらこの家に愛着はあるし、彼女なりに思うところがあるのだろう。
てっきりこのまま街を出て外に向かうのかと思ったが皐月は中心地のほうへ足を向ける。
「どこ行くんだ?」
「本屋よ。地図を買いに行くの。何かと便利でしょ。伊織君地図は読める?」
「位置情報が動いてくれるスマホアプリですら迷うかな」
皐月は驚いた顔をする。
「伊織君って方向音痴だったの、私と同じね、使えないわね。これだと買うだけ無駄ね。まあいいわ、プーカが東にあることは本を読んで分かってるからとりあえず東を目指せばいいはずよ」
皐月は踵を返して町の外に向かった。
自分のことは棚に上げて使えないと言われたことに腹が立ったがそんなことより幸先が悪い。大丈夫なのだろうかこんな調子で。
数十分歩いて街の外に出る。ここから俺たちの旅が始まると思うと不安と恐怖とほんの少しの高揚感がある。
いつもはそこまで遠くに行ったことはないから1時間ほど歩いたところで初めての場所に来た。草原にある獣道のような長々とした道だ。気温も快適で風が心地よく快晴だ。こうも天気が良いと何もなくても機嫌がよくなるもんだ。皐月に白い目を向けられながらも鼻歌を歌っていた時前方に何かが見えた。人影のような気がして近づいてみるとそれはゴブリンのようだった。しかも2体。完全に油断していた。さっきまでのご機嫌な気持ちはどこへやら恐怖で呼吸がうまくできない。皐月が息をのむのが分かる。向こうも俺たちに気づいているようだ。早くも旅になんか出るんじゃなかったと後悔してくる。
「あれってゴブリンだよな」
「そうみたいね、私も実物を見たのは初めて」
震える声で皐月がそう返した。
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