第4話 皐月の話
皐月が神妙な面持ちで話し始める。
「私はこの世界にきてすぐに二人の優しい夫婦に話しかけられた。もちろん何を言っているのかわからなかったけど。私もこの世界に来た瞬間の伊織君と同じように、ここが異世界だなんて夢にも思ってないから必死に拙い英語でコミュニケーションをとろうとしたわ。森の中にいた見たこともない生物を見たり街の人々が使う魔法を見てここが、私のいた世界とは違う世界なのだと確信した。
そんな時にある夫婦に話しかけられた。
男性はトミー・アーレンド、女性はトミー・イアラという名よ。どちらも50前後ぐらいだった。二人は私を文盲の迷い子だと思ったのか家に案内して食事を出してくれた。
とにかくここが異世界だと確信した私は元の世界に帰る方法はないかと思案した。そのために文献を読めば何かわかることもあるかもと本を開いてみたけれど一文字も読めなかった。そこで私はまず言語学習からだと思い、絵本のような恐らく子供向けであろう本から学びだした。幸いここには書物が十分すぎるくらいにあるし、言葉はわからなかったけど何となくの雰囲気で二人は私がここに暮らすのを歓迎するような感じのことを伝えてくれたし。
そして私はここで三人暮らしをすることになった。いつも本と格闘している私を見かねてある時アーレンドさんが私に言語学習用の教材を買い与えてくれて一気に勉強が進んだ。そんな日々が半年ほど続き何とか日常会話くらいは読み書き出来るようになった。そのころに知らされたの、夫婦は子宝に恵まれなかったこと、私を実の娘のようにかわいがっていること、私が来てくれて幸せだったこと、そして能力やスキルのこと。
さらにそこから勉強を続け二人の仕事の手伝いをしながら、私と暮らせて幸せだと言う二人には申し訳ないが元の世界に帰る方法を調べ続けた。
そして去年二人は森に入ったきり帰ってくることはなかった。必死に探したわ。町の人たちも協力してくれたけどついに二人は見つかることはなかった。魔物に食べられた。誰も口にはしなかったが誰もが何となく感じていたこと。私は未だにわからない、なぜ二人が普段は行くことのない山に入ったのか、このあたりにはスライムしかいないのになぜ魔物に負けたのか。
そして私は一人になった。一人で仕事をこなしながら何度も元の世界に帰る手がかりを得るためにこの街じゃないどこかに行こうとした。だけどあの二人が魔物に殺されたのを考えると怖くて一歩が踏み出せず、ずるずると今日まで生きてきた。そして今朝あなたに出会った。私と同じ世界から来た伊織君に出会い二人ならどうにかなるかもしれないと勇気をもらった」
語り終えると皐月は大きく息を吐きだした。喋り疲れたのだろう。
今の話を聞いていろいろと納得した。どうして皐月がここの言語を話せているのか、急に放り出されたこの世界でどうやって生きてきたのか、一人暮らしにしては持て余しているこの家の大きさも、いろいろと謎が解決された。
「大変だったんだな」
こんな話を聞いた後にかける言葉を持ち合わせていなかったので月並みな言葉しか出てこない
「まあね、でもそこそこ楽しかったのも事実」
意外だった。皐月はこの世界を憎んでいるものだとばかり思っていた。皐月が楽しかったのは偏に今はもういない夫婦のおかげだろうな。
ふと部屋の隅に目をやると見慣れない物があった。家庭用の冷蔵庫ほどの大きさで円柱型のくすんだ金色のもの。
「あれは何?」
皐月が俺と同じ方向に目を向ける。
「あれは、帯電機よ。あれに電気をためておくの。能力が電気の人は自分で溜めるんだけど私たちみたいにそうじゃない人は電気の能力の人が補充しに来てお金を払ってそれを買うの」
「俺が電気系の能力だったらよかったのか」
皐月が呆れたように笑う。
「安心して、たとえ伊織君が電気の能力でもレヴェル1や2では何の役にも立たないから」
確かに皐月のレヴェル5の水の能力であれくらいなら1や2では何の役にも立たないだろうな。
「さてと」
皐月が立ち上がりテーブルの上のスライムの破片を両手で救い上げキッチンのほうへ向かう。
「お腹すいたでしょ伊織君、何か作ってあげる」
そう言われて初めて自分が空腹だったことに気が付く。そういえばこの世界にきてから何も口にしてない。今スライムを持ってキッチンに行ったがあれをどう料理するのだろうか、ああいうものをこれから毎日食すのかと思うと憂鬱になる。食文化も早く慣れなければ。
「何か手伝おうか?」
「いいわよ別に。疲れてるでしょ」
そう言ってもらってほっとする。ああは言ってみたものの正直もう俺の体は疲れきっていた。この世界にきて初めて見る事柄の連続だし一日中歩きっぱなしで、体力的にも精神的にもくたくただ。
「できたわよ」
いつの間にかうとうとしていた俺に皐月が声をかける。
気が付くと目の前に料理が広がっていた。野菜の鍋とスライムを薄くカットしたものがある。
「野菜鍋とスライムの刺身よ。味に文句を言ったら二度と作らないから。あとこの世界に白飯はないからそれは我慢してね」
作ってもらって文句など毛頭言うつもりはないが、絶対に言わないでおこうと改めて心に決めた。
恐る恐るスライムを口に運ぶ。まったく味は期待していなかったが中々美味しい。魚の刺身に似た味と触感だ。
「美味しいよ」
素直な感想を口にすると皐月がかすかに微笑んですぐに真顔に戻る。
「当たり前でしょ」
野菜の鍋もなかなかにおいしい。ハイペースで食べ進めあっという間に平らげた。
どうやら相当に空腹だったようだ。少しだけ元気も回復した気がした。
「洗い物は俺がやるよ」
「いいわよ、水道代もったいないから。私はいつでもどこでも水出せるから、私がやるわ」
「もしかして生活に必要な水って毎回能力で出してるのか?」
「そうよ。飲み水も自分で出して自分で飲んでるわ」
当然でしょと言わんばかりの顔をする。
「能力って無限に使えるのか?」
「無限ではないわよ。レヴェルが上がるごとに魔力の消費も激しくなる。訓練すればそこそこ長時間使っても大丈夫よ。あと、私が女っていうのもあるわ。男が生まれつき女より筋力があるのと同様に、女は生まれつき男よりも魔力が高いの」
だからか、街で見かけたNPの割合は男女半々だった。体力の必要な職業だろうに女性の割合が多いなと思ったが今の話を聞いて納得した。
皐月がてきぱきと食器を片付ける。俺が皐月といて何か役に立てるだろうか。料理もできなければ能力も火だと活躍する場面が少ないんじゃないだろうか。それに能力やスキルも皐月とは雲泥の差だしスライム一匹とすらまともに戦えなかった。俺がいたところで皐月の足を引っ張るだけなんじゃないだろうか。
「なあ、俺って必要かな」
洗い物をしてる皐月の背中に声をかける。
「そう思うんだったら明日からの勉強と能力の訓練死ぬ気で頑張って。それに、そばに誰かいてくれるだけで結構心強いものよ。もちろん役に立ってくれることに越したことはないけれど」
皐月はアーレンドさんとイアラさんがいなくなってからのこの1年孤独だったのだろう。いや、この世界にきてからずっと孤独だったのかもしれない。早く元の世界に帰れるように何とか役に立って見せよう。普段はのらりくらりな性格だと自覚しているが女の子が目の前で寂しそうな声を出すと何とかしてあげようと思うもんなんだな。
「庭に出ましょ。多分涼しくて気持ちがいいわよ」
洗い物を終えた皐月が呟く。
この家に庭なんてあったのか。外観に気を取られすぎて気が付かなかった。
皐月の後を追って部屋を出る。西日がまぶしかった。もうこんな時間か。長い1日が終わりかけていた。
家の横に目をやるとなかなか立派な庭がそこにはあった。その奥には畑もある。
皐月が畑のほうに足を運ぶ
「アーレンドさんとイアラさんがやっていた畑を引き継いで私が管理してるの。これが今の私の仕事。これで月10万ケルマほど稼いでる」
「ケルマ?」
西日に目を細めながら俺の疑問に答える。
「この世界の通貨よ」
畑に着くと何やら作物が植えてあり芽が今まさに出てきたところという様子だ。
「ウォーター
皐月がそう言うと手から勢いよく水が出た。最初に見せてもらった時よりは控えめな勢いだ。皐月はその水を畑全体に降らせる。なるほど、水の能力が圧倒的に日常生活では便利だな。
一通り水をまき終えた皐月はこちらに近づいてくる。
「伊織君結局まだ一度も能力使ってないわよね。今練習してみない?」
「皐月さんが使ってるのを見てうずうずしてたところだよ」
数時間前に皐月に教えられた能力の使い方を思い出す。
手を前に伸ばし精神を集中させる。なんとなく体の中心が熱くなってきてるような気がする。
「ファイアー
「おおー!」
皐月が静かに歓声を上げる。
使えた。俺にも能力は使えたが....。どのくらい遠距離なのかと思ったら手からわずかに30センチほどのところで火が出た。その火もライターよりも微かな火が一瞬出た程度だった。
「もしかして俺って能力の才能ない?」
「そんなことないわよ。レヴェル1だったらそんなもんよ。がっかりするならやっぱり近距離にすべきだったのよ、そしたら威力ももっとましだったでしょうね」
皐月の慰めを聞いて俺は遠距離を選んでしまったことを少しずつ後悔し始めていた。
「練習したりもっとレヴェルの高い能力を獲得したら距離も伸びてくるわよ」
ショックを受けている俺とは対照的に皐月はあっけらかんとしている。
「次はスキルを使ってみましょ」
「俺のスキル、ヒールだけど今二人とも怪我してないから使いようがないんだけど」
「じゃあ怪我したらいいじゃない。この辺で思いっきりスライディングでもすれば擦り傷になるでしょ」
鬼のようなことを平気で言ってくる。確かに砂利のある土だから恐らく擦り傷はできるだろうが怖いに決まっている。怪我をするとわかってて滑り込むなんてアホの所業だ。だが怪我をしてる人が誰もいない以上やるしかないだろう。中途半端にやると何回もやる羽目になるだろうから1回で決めよう。
10歩ほど全力で走って目をつぶって思いっきり滑り込む。右足の
「ほんとにやると思わなかった」
腹が立つが怪我を治すのが先決だ。先ほどと同じように精神を集中させる。
「ヒール
少しだけ血の出る量が減った気がする。もう1度呟いてみる
「ヒール
4度ほどスキルを使ったところで血は完全に止まったが傷は全く癒えていない。それになんだかどっと疲れた感じがする。能力と合わせて連続で5回魔力を使った。どうやら今の俺には5回が限度らしい。やはりスキルもレヴェル1だとこんなものかと落胆する。
足音が近づいてくるので顔を上げると皐月が立っていた。まだ少しにやにやしていた。
「伊織君勇気あるねー」
俺の横にしゃがみ込みながらそう言う。
「皐月さんがやれって言ったんじゃん。1人だったらこんな馬鹿な真似は絶対にしない」
少し語気を強めて返答する。皐月はまだ笑ったままだ。
「ごめんごめん。ヒール
皐月が二度スキルを使うと怪我はほとんど目立たないくらいになっていた。痛みもほとんど感じなくなった。
「能力やスキルは毎日使って慣れていけば同じレヴェルでも威力は上がるわ」
「能力はいいとしてもスキルは毎日は使えないよ」
「毎日ここに滑り込めばいいじゃない」
皐月は飛び切りの笑顔でそう言った。
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