【第8話】脳が溶けるって! 個室居酒屋で密着バトル!・後編(side:石冷)

 この俺、石冷 定武(いしびえ さだたけ)は、自分で言うけどダメな男だ。

 見た目はどこにでもいるような普通の男だけど……

 頼りないし、情けないし、人と話す時は緊張してばっかり。

 姿勢もちょっとだけ悪いかな。


 そして今日は多分、人生で一番緊張している。



「先輩! はいっ、あ〜ん!」


「ちょっ! 棚橋さんっ! さすがにそれは!」


 やばいって! 死ぬって!


「あぁ〜もう! 先輩かわいいですねぇ〜!」


 いや、かわいいのはキミの方です。

 人類初の『あ〜んで死ぬ人間』になりそう。


 棚橋 梨都(たなはし りと)ちゃん。本当にかわいい後輩だ。

 何がかわいいって、そりゃあらゆる全てが高いレベルでかわいい。

 

 それに距離感がバグっている。

 俺の気持ちを知ってか知らずか、信じられないくらい構ってくれる。



 そんなりとちゃんに振り回される日々。

 めちゃくちゃハッピーなんだけど、絶対からかわれてるだけなんだよなぁ。

 今のだって、反応を見て楽しんでいるんだろう。


 だから、りとちゃんにとっては恋愛感情じゃない。

 はぁ……切ない……



「あっ、じゃあ私も! はいっ、あ〜ん!」


「って! 柚香さんまで!」


「あははっ! 石冷君、耳まで赤いよ!」


「柚香さん絶対酔ってるでしょ!」


「ん〜? ふふっ、そうかも?」


 大東 柚香(だいとう ゆか)さん。尊敬できる先輩だ。

 何が尊敬できるって、そりゃあらゆる全てが高いレベルで尊敬できる。

 そして……まぁ、アレだ……かわいい。うん。


 でも距離感はバグってない。

 柚香さんは誰にでも明るく優しく接している。


 だけど最近は……前よりちょっと近い気がするぞ。

 今のだって、普段は絶対にやらないし。

 こないだの抹茶メロンでもからかわれたし。


 学生時代からの付き合いで、職場も一緒。

 それで親密になったって事なのかな?


 だから、柚香さんにとっては恋愛感情じゃない。

 はぁ、切ない……

 

 いや酔ってるだけか。

 でも酔ってる柚香さんを見るのも初めてだな。



「ちょっと〜先輩! あたしといるのに、なんで他の事考えてるんですかぁ〜?」


 りとちゃんが俺を見つめながら言う。

 いつもと同じような事だけど、お酒のせいか心なし顔が赤い。


「いや! 私もいるんだけど!? ねぇ? 石冷君っ!」


「むぅ、じゃあ柚香さんの事考えてたんですか?」


「そうなの石冷君? 何考えてたのさ?」


「あ、あのっ……その……」


「あたしと柚香さん、どっちがかわいいかな〜とかですかぁ〜?」


「え? そうなの!?」


 2人が俺をじっと見つめる。なんだよ、この状況。

 かわいい女の子2人と個室居酒屋なんて。

 


 天国かよ。



「あたしですよね〜? せ〜んぱいっ!」


「え、今は私の事考えてたんだよね? じゃあ私だよね!?」


「むぅ! どっちですか!?」


「いやっ……それは……」



 地獄かよ。



「え、ええっと……そ、それはその……」


 もちろんどっちも可愛い。

 けど、そんな恥ずかしい事が俺に言えるわけがない。


 ああもうっ! どうすればいいんだ! 誰か助けてくれっ! 

 全国のイケてる男性の皆さん! 俺にこの場を切り抜ける力をっ!



 すると、そこへ割って入るように店員がお皿を下げにきた。


「すみませ〜ん。空いてるお皿お下げしますね〜」


「あ、ありがとうございます。お願いします。え〜っと、空いてるのは……」


 店員が取りやすいように皿をまとめる。

 よし、これでこの場はいったんリセットされたぞ。ナイス店員!


 って……いやいや、なんだこれ。

 ダサいだろ。ダサすぎるだろ俺。


 こんな誰もが羨むシチュエーション。俺自身も望んでいた事だろ。実際めっちゃ幸せだ。

 なのに気の利いた一言も言えないなんて。



 情けない。泣けてくるほど情けない。



 なんて自己嫌悪していると……


「ん、すみません。ちょっと失礼しますね」


 りとちゃんが立ち上がった。


「え〜、りとちゃんどこいくの?」


 柚香さんがりとちゃんの腕を掴む。


「って、もう! 柚香さん分かるでしょっ!」


「ううん、わっかんない」


「れ、レコーディングですよぉ! だから手を離してください!」


「はぁ? レコーディング?」


「察してくださいよぉ!」


「全然わっかんないわ。石冷君わかる?」


「え、えっ!」


 いや、分かるよ。分かるけど言っていいのかコレ。

 りとちゃんは……


「ちょちょちょっ先輩! 何考えてるんですか!?」


「えっ!? 俺声に出てた!?」


「なになに? 私にも分かるように説明してよ!」


「いや、その……レコーディングってのは、音を入れるからつまり……」


「あぁなるほど。音入れで、おトイレって事か」


 りとちゃんの顔がさっきよりも一段と赤くなった。


「あぁぁぁガッデム! 柚香さんデリカシーなさすぎです!」


「あっはは! そんな恥ずかしがる事ないじゃん! いいよ、行ってきな」


 掴んだ手を離す柚香さん。

 りとちゃんは何も言わずにスタスタと歩いて行った。



「はは、やっぱ石冷君の事を考えてない時は全然わかんないな」


 柚香さんが苦笑いする。


「ん? どういう意味ですか?」


「いや、なんでもない。そんな事よりさ……」


 柚香さんの顔が苦笑いから不敵に変わる。


「石冷君、ちょっと隣に来なよ」


「え、なんでですか?」


「なんでも」


「は、はい」


 隣って……さっきまでりとちゃんが座っていた席だけど。

 俺は言われるがままに座った。


「えっと……なんでしょうか?」


 すると、柚香さんは素早く俺の肩に手を回した。


「ちょっ! 柚香さん!」


 そして耳元まで顔を近づけて囁く。


「さっきの答えさ……まだ聞いてないんだけど?」


「はっ! はひっ!?」


 柚香さんの吐息がかった声が、まるでASMRのように耳に絡みついた。


「で、どっちなの?」


 すかさず二回目の囁きが来た。

 ヤバいって! 脳が溶けるって!


「なななな、なにがっ、ですかっ」


「だからぁ〜、さっきの。私とりとちゃんどっちが可愛いかって話」


 柚香さんが覗き込むようにこっちを見つめる。

 

「ゆ、柚香さんっ! 顔近っ……」


 密着寸前の距離と、バグりそうな感覚で何も分からない。

 俺の心臓はドキドキで爆発しそうな程に脈打っていた。


「こないだはさ、言ってくれたじゃん?」


「い、いつですかっ」


「覚えてないの? 前に買い出し行った時」


「そそっ、そんな事言いましたっけ」


「服買った時にさぁ。あーあ、あれ嘘だったんだー」


「ああっ! あれは、そのっ! 本当ですっ!」


「じゃあ私じゃなくて服が可愛かったって事なんだー」


「そそそそそ、それは……ちがっ」



 その時だった。



「ガチャメラエェェェェ! 柚香さぁぁぁぁん! なにやってんですかぁ!?」


 店に響く大音声(だいおんじょう)。

 りとちゃんが戻ってきた。


「わっ! びっくしたぁ!」


「なんで先輩が隣に座ってるんですか! なんでそんな近いんですか! パワハラとセクハラを一緒にしないでくださいっ!」


 息を荒げてまくしたてるように言うりとちゃん。

 

「なっ、そんなんじゃないし! てか早くない!?」


「先輩があたしの事考えてないから急いだんです!」


「はぁ!? なにそれ!?」


「あたしも隣に座ります! 詰めてくださいっ!」


 そう言って無理矢理に押し込んで俺の隣に座るりとちゃん。

 2人描けの席に3人座ってるんだから、そりゃあもうギチギチの密着状態だ。


「はひぃ〜」


 俺の口から、声にならないような情けない音が漏(も)れ出す。

 もうマジで訳がわからない。意識が朦朧(もうろう)として、理性も限界寸前。


 今どうなってんだ? 俺は死ぬのか?



 するとそこへ--


「あ、あの……お客様。他のお客様のご迷惑になりますので……」


 店員が注意にやってきた。


「あ、すみません!」


 とっさに謝ってしまった。俺はなんもしてないけど。


「あと、店内でそういった行為はちょっと……」


「そ、そうですよね!」


 とっさに認めてしまった。俺はなんもしてないけど。


「え〜、でも個室ですしぃ〜」


 講義するりとちゃん。


「いや、個室でもダメだろ!」

「そうだぞ! そっちの女の子声デカいよ!」

「さっきトイレでもぶつぶつ言ってたし」


 他のお客さんもりとちゃんを咎(とが)める。

 これはちょっと擁護できない。



「た、棚橋さん、出よう! 柚香さんも!」


「えっ……」


「あっ……」


 居た堪れなくなった俺は、2人の手を掴んで慌てて席を立った。





 そこから先は、急いでお会計して、そのまま解散。

 しかしまぁ、俺は二度も店員に救われたな。


 

 いや……本当にダサいな、俺。



 誰もが羨むシチュエーション。俺自身も望んでいた事。実際めっちゃ幸せ。

 なのに気の利いた一言も言えない。ましてや『救われた』なんて。



「イケてる男になりたいなぁ……」



 帰り道で1人つぶやく。

 2人の腕を掴んだ両手には、まだ暖かい感触が残っていた。

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