2-15
「2hillが整形した二野宮達也だとすると、やはり例のテレビ番組での指紋と声紋の一致はトリックがあると考えてよさそうですね」
「そうなんだが……」
「まだ何か引っかかるところが?」
古館は、上野里加との会話を思い出していた。彼女は2hillは二野宮達也だと断言した。だが、彼女の言い分では、二野宮達也は転落事故の前から2hillであったという。彼女と話をしているその場でそれはあり得ないと否定したが、上野里加は納得しかねるといった様子だった。
上野里加によれば二野宮達也は事故前から2hillであったという話をすると、明神も考えこんでしまった。
「あり得ない。転落事故では確かに人が死んでいる。事故前から二野宮達也が2hillであったとすれば、今2hillを名乗っている人物は二野宮達也ではないはずです。でも、上野里加は、二野宮達也だと確信している。死んだ人間が生き返るはずはないんだ。だから、事故前の2hillは二野宮達也ではありえない」
「そうなんだ。実際、二野宮達也が上京する前から2hillは表舞台で活躍している。その矛盾点についても指摘したが、彼女は二野宮達也が2hillだと言い張るんだ」
「その根拠は?」
「音楽だそうだ」
「また音楽ですか」
「2hillの音楽には二野宮達也の癖が出ているんだとさ」
「音楽も癖ですか。それは指を動かす癖とは違って目には見えないですね……」
明神が鼻をつまんで擦り始めた。それが考え事をする時の明神の癖らしい。
「ああ!」
突然、大声を出したかと思うと、明神が頭をかきむしった。
「考えてもわからない。こういう時は……」
明神が食卓の上にあったミカンを手に取った。当然、食べるのだろうと思っていたが、明神は一向に皮をむく気配がない。それどころか、ミカンを握りしめ、食卓を凝視している。食卓の上にはもう一つミカンが転がっている。
「どうしました?」
あまりにも明神が黙ったままでいるものだから、古館は声をかけた。明神の反応はない。相変わらず食卓のミカンを凝視している。その表情がこころなしか強張っている。
「明神さん?」
「ミカンが……」
「ミカンがどうかしたか?」
「僕が手に持っているミカンと、食卓の上のミカン……」
自分の手の中にあるミカンと食卓のミカンとをかわるがわる見やっていた明神だが、「そういうことか!」と突如、声をあげ、古館を驚かせた。
「2hillは2人いると」
「ミカンはどうした」
「ミカンですよ」
きょとんとしている古館の目の前で明神が食卓の上に二つのミカンを並べてみせた。明神と古舘との間に一直線上に置かれた二つのミカンは似たような大きさも相まって一つのミカンがあるようにしかみえない。
「顔と声です」
「声です」と言いながら、明神は二つのうちのミカンの一つにつまようじを突き刺した。
古館の目の前には、爪楊枝の刺さったミカンとそうでないミカンが並んでいる。
「2hillを一人の人物だと考えるから、死んだ人間が生き返るはずがないという疑問が生じてしまうんです。でも、もし最初から2hillは二人だったとしたら? 二人のうちの一人が死んだところで、もう一人が表舞台に出てきても矛盾は生じない。その人物も2hillだったのだから」
「顔と声、か」
古館は二つのミカンを両手に取り、しげしげと眺めた。
「そうです、顔と声」と、明神が古館からミカンを取り上げた。
「僕はてっきり食卓の上にはミカンが一つしかないと思っていた。だから、僕が手に取ったというのに食卓の上にまだミカンがあるのを見て驚いたのです。二つのミカンは一列に並んでいて、僕の位置からは一つしかないように見えた。でも実際には二つのミカンが並んでいた」
明神が二つのミカンを縦に並べてみせた。爪楊枝のささっていないミカンが古館にむかって先頭で、背後に爪楊枝の刺さったミカンが控えている。古館の側の正面からみればまるで爪楊枝のささったミカン一つきりが食卓の上にあるように見える。
「僕が思うに、二野宮達也は声役を担当していたのではないかと。だとすれば、声紋が一致した理由に納得がいきます。何しろ、歌っているのは本人ですから」
興奮隠しきれず、明神の声はうわずって、顔も赤い。古館にも興奮が伝染した。だが、興奮はうわべだけ、生焼けの肉のように興奮の中心には冷たい事実がある。
「指紋も一致したぞ。二人だっていうなら、指紋は一致しないはずだ」
「指紋のトリックはわかりませんが……」
明神が渋い顔をしてみせた。
「いいだろう。指紋の件はひとまず置いておくとして、だ。2hillが顔役と声役の二人一役だと仮定してみよう。二野宮達也が声役というのは矛盾がない。死んだのは顔役だったんだろう。死んだ顔役は二野宮達也として葬られた。その後、声役だった二野宮達也が顔を整形して表舞台に現れる。だとすれば、北村の『サイン』が事故後の2hillの顔にしかない理由の説明がつく」
古館はミカンに手をのばした。皮をむくと、爽やかな香りが辺りに散った。筋を取り、房を口の中に放り込む。ほんのり甘酸っぱい果汁が口に広がった。
「顔役の人間か。心当たりがある」
「本当ですか?」
明神が声を上げ、椅子から腰を浮かしかけた。
「おいおい、椅子から落ちるなよ」
古館にそう言われ、明神は苦笑いを浮かべて椅子にきちんと座り直した。
「3年前、2hillだと思われる人物を追っていたんだ。転落事故のせいで2hillの正体を暴く必要性がなくなったもんで取材を途中で取りやめたんだが。もう一度、あの線をあたってみる価値はあるかもしれない」
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