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 2hillの転落事故のあった日、救急担当医だった道本敬一郎医師は現在、整形外科の外来を担当しているという。外来の診察が終わる昼過ぎには体があくだろうからという永井看護師のアドバイスに従い、明神は一旦病院を出、近くのファーストフード店で時間をつぶした。


 頃合いを見て外来を訪れ、道本敬一郎医師に会いたいと告げた。ここでも名刺が役にたった。


「何の取材でしょうか」


 明神の名刺を机の上に置き、道本医師は明神に一瞥をくれた。


 朝から患者を診続けてきた道本医師の顔には疲労の色が濃く浮き出ていて、声には力がなかた。


「2hillの件です」


 単刀直入に切り込んだ。道本医師は2hillの名前で事情を理解したらしい。「本当に死んだか確かめたいといったところですか」と、半ばあきれ顔で言った。


「死んでますよ。医者が言うから間違いはないです」

「ということは、道本先生、先生が2hillの死亡を確認したと」

「そうです。当時は救急を担当していましたし、あの日の受け持ちは私でしたから」

「あの日……転落事故のあった日ですね」


 すでに永井看護師から聞いて知っている情報ではあるが、念には念を入れて確認を重ねる。


「事故のあった日のことを詳しく教えていただけますでしょうか」

「新聞記事になるのでしょうか。名前が出るのはちょっと……」


 道本医師は困惑していた。


「記事にはしません」

「では、なぜ取材をしているんです?」


 鋭い質問を浴びせかけられ、ひやりとした。名刺を渡してしまった以上、嘘はいずれ露見してしまう。意を決し、本当のことを打ち明けることにした。


「妹をなくしました。後追いで……。彼女は生き返らない。なのに、2hillは生き返ったという。納得がいきません。この茶番劇に終止符を打って2hillをあの世に送り返したいのです。二度とこちらに戻ってこれないように」


 信じたかどうか、明神の話を聞き終え、道本医師は明神の名刺を手に取った。


「明神……珍しい名字ですね」

「私は東京出身なのですが、高知県に多い名字なのだそうです」


 就職活動中、面接のたびに名前の話になったのを思い出した。


「2hillについての記事を書いていませんでしたか、三年前に。名前に見覚えがあります」

「特集記事を書きました」


 古館にしても道本医師にしても2hillに関わった人間は2hillに関する事柄を鮮明に記憶している。明神にしてもそうだが、三年という時間が三日ほどしか経っていない感覚でいるのだ。


「三年前、私はこの病院に勤務し始めたばかりでした」


 道本医師がゆっくりと語り始めた。


「あの日、7月28日は暑い日でした。夜になって熱中症の症状が現れた患者が何人か来ましたが、それ以外は静かな日だったのです。夜中過ぎでした。近くのビルから転落した男性がいるという連絡があり、彼が搬送されてきました。搬送されてきた時点では2hillだとはわかっていませんでした」


「2hillだとわからなかった……どうしてですか?」


「搬送時は混乱していますし、顔をじっくりと見ている余裕はありません。我々の仕事は命を救うことが最優先です」


 道本医師の説明は理にかなっている。言い訳などではなく混乱していたのは確かだろう。


「2hillだとわかったのはいつですか?」


「看護師の一人が2hillじゃないかって騒ぎだしまして。我々の仕事は命を救うことが最優先だと叱りつけました。有名人だからといって処置対応は変わりません。患者は患者です。処置に集中するようにと言い渡しました」


「なるほど。では、彼は搬送時にはまだ生きていた?」

「医者が宣告するまでは『生きていた』ことになります。しかし、そうですね、一般的に見れば彼は搬送時にはすでに死んでいたことになります。高所から転落し顔面を強打、出血もしていましたし、搬送された時にはすでに心臓は止まっていましたから」


「顔面を強打? それでよく2hillとわかりましたね」

「見る人が見ればわかるのでは? 私は芸能関係はうといので看護師たちが騒いでいてもピンときていませんでしたが」


「本当に2hillでしたか?」

「わかりません」


 食い下がる明神に対し、道本医師が気分を害していた。


「指紋を取ったり、声紋を確認するわけではありませんから。でも本人でしょう。プロデューサーだとかいう人が2hillだと確認しましたから」


 プロデューサー……小早川秀行だろうか。簡単に容姿を伝えると、道本医師はその人だと肯定した。


「死亡診断書は先生が書かれた?」

「『死体検案書』です。書式は同じ物ですが、亡くなった状況によって作成する書類が異なります。事故のような場合は死体検案書を作成します」


 では、舞が死んだ時も死体検案書を作成してもらったのか。悲嘆に暮れる両親にかわって死亡届を作成、提出したのは明神だった。医者からもらった書類には舞の死因の他、舞の名前などの情報も記載されてあった。2hillの死体検案書にも2hillの本名が記載されているはずだ。


「その検案書を見せてもらえませんか?」

「駄目ですよ」


 道本医師は即答で拒否した。


 明神にしても快く見せてもらえるとははなから考えていない。舞の死体検案書が勝手に他人に見せられていたら不愉快だし、道本医師の拒絶は医者として当然の行為だ。


 しかし、どうしても2hillの死体検案書は見なくてはならなかった。


「先生、2hillは死んだのによみがえったと主張している。よみがえったと言う2hillが転落事故以前の2hillと同一人物だと確認もされています」

「ああ、あのテレビ番組ですか。あんなの、何かのトリックですよ。まともに受け止めては駄目です」

「しかし、表立って同一人物と断定された以上、先生が『死んだ』と宣告した人物は別人だった可能性が出てきます。……まずいのではありませんか?」


 明神は道本医師を凝視した。


 道本医師は鼻をつまんだり、顎を撫でまわしたりと落ち着きがなかった。困ったことになったとこめかみを揉んでいたかと思うと、突如、コンピュータを触りはじめた。


「ちょっと失礼します」


 道本医師が席を外した。その隙にすかさずモニターを覗き込んだ。 モニターには何かの記録が映し出されていた。


 それは死体検案書の記録だった。名前、住所のほかに死因、死亡した場所などの情報が書き込まれている。


 死亡場所はビルの住所、死因は転落死。2hillの死体検案書だ。


 名前は? 素早く目を走らせ確認する。


「二野宮達也」、2hillの本名か。


 急いでスマホを取り出し、モニターの写真を撮る。その直後、モニターは暗くなったかと思うと海辺の写真が映し出された。


 明神は道本医師の診察室を後にした。


 心臓の高鳴りがいつまでも収まらない。


 謎に包まれていた2hillの正体に近づく手がかりを得たのだ。


「二野宮達也」……「ニノミヤタツヤ」「ニノミヤ」「ニノミヤ?」……つい最近耳にした名前のような気がする。しかし、どこで耳にしたのかは結局思い出せなかった。

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