考え事をしながらバクバク食べていたジュリモネアも、さすがにいい加減満腹になる。果物をチビチビと食べたり、デザートを突っつき始めるようになった。


 ドルクルト侯爵は本当に病人かと思えるほど元気にダンコム伯爵夫妻と歓談しているし、ナミレチカは真面目腐った顔で姿勢を正して座っている。エングニスはニコリともせず(もっともジュリモネアだってエングニスの笑顔を見たことがない)、真っ直ぐ前を向いているもののナミレチカを見ているようではない。


 ドルクルト侯爵家の使用人たちはリザイデンツを除き、この晩餐会を大いに楽しんでいる。一番下手では子どもたちがカードゲームやチェスに興じ始めた。そして大人たちもそれを咎めたりしない。


 リザイデンツはもちろんドルクルト侯爵に付きっ切りだが、ダンコム伯爵夫妻との歓談に加えられているようだ。一緒になって笑っている。


 ふと隣を見る。するとキャティーレと目が合った。そしていつもならすぐに目を逸らすキャティーレが、目を逸らさない。そしてゆっくり立ち上がった。

「わたしたちは引き上げよう」

ジュリモネアにそう言うと、広間に向かって

「わたしとジュリモネアは部屋に戻る――皆は思う存分楽しんでくれ」

と適切な大きさの声で言った。召使の席から拍手が沸き起こる。しっかりね、キャティーレさま、なんて声も聞こえる。

「行こう、ジュリ」

キャティーレに促されてジュリモネアも立ち上がった。


 エングニスが急いで立ち上がり、広間のドアを開けた。ナミレチカがキャティーレとジュリモネアが出た後に広間を出ると、エングニスも出てきてドアを閉めた。そしてナミレチカとともにキャティーレたちに一礼してから追い抜いていく。


 新婚初夜なのだから当たり前と言えば当たり前だが、ジュリモネアの部屋で過ごすと言われていた。ナミレチカとエングニスにはキャティーレたちより先に部屋に戻って出迎える仕事があった――


 そのまま女神の部屋ジュリモネアの部屋に行くのかと思っていたのに、

「少し散歩しよう」

キャティーレが庭に出る。月のない夜だ。空にはいつにもまして星が煌めいている。


 ジュリモネアをエスコートするキャティーレは完璧だ。すらりとした姿態は歩いていても崩れることがなく、ジュリモネアの歩調に合わせゆっくりと庭を行く。時おりある段差ではさらに足を緩め、ジュリモネアを気遣っている。そしてキャティーレにしては珍しく、ジュリモネアに微笑みかける……全ての仕草が美しく隙がない。


 そんなキャティーレに見惚れるばかりのジュリモネア、自分がどこを歩いているのか判っていない。いつか夢見るジュリモネアが座っていたベンチの横や、一緒に踊った原っぱを通り過ぎても気付かない。その度ジュリモネアの様子を窺い、なんの変化もないことに苦笑するキャティーレをと受け止めて微笑み返している。


 夢見るジュリになりはしないかと言うキャティーレの期待は叶わず、とうとう女神の部屋ジュリモネアの部屋のサンルームのドアの前まで来てしまった。ナミレチカとエングニスはとっくに部屋に戻っているはずだ。軽くドアをノックする。だが、なんの応答もない。まさかキャティーレたちが庭を回ってくるなど予測していなかったのだろう。それぞれ控えの間と控室で待機しているのかもしれない。


 どうしたものかな……キャティーレが振り返り、少し後ろにいるジュリモネアを見る。するとジュリモネアはさらに後ろ、花壇を見ていた。ネルロが植えてくれたペンタスの花壇だ。すでにちらほらと蕾が開きかけている。

「ジュリ?」

ハッとしてジュリモネアがキャティーレを見る。

「ナミレチカを呼んでくれ」

「えっ? えぇ……」


 自分で呼べばいいじゃないと一瞬思ったが、ナミレチカがドルクルト侯爵家の召使じゃないから遠慮したんだと思い直したジュリモネアだ。


 キャティーレが後ろに下がり、前に出たジュリモネアが大声で叫ぶ。

「ナミレチカ! ここを開けて!!」

ついでにドアも叩いてみようか? でもドアはガラス製。だからキャティーレも思いっきりは叩けなかったんだわ。だから続けて呼んでみた。

「ナミレチカー、ナミレチカーーー!」


 サンルームのカーテンが引かれたのは、十回くらい呼んだあたりか。

「ジュリモネアさま!」

慌ててドアの鍵を外すナミレチカ、ジュリモネアが振り返って、得意げにキャティーレを見る。

「ドア、開いたわよ」


 キャティーレは花壇に降りていた。いや、花壇に立っていた。足元には踏みつけられたペンタスがくったりと萎れている。

「キャティーレ……何してるの?」

ジュリモネアの質問にキャティーレが首を傾げる。

「ドアが開くのを待っていた」


「キャティーレ……そこ、花壇よ?」

「ん?」

ゆっくりとキャティーレが自分の足元を見る。


「ジュリの声があんまり大きいんで、少し離れた。花壇とは気づかなかった――早く部屋に入ろう」

囲いの煉瓦を跨いで花壇から出るとジュリモネアに近付くキャティーレ、気付かなかったはずはないとジュリモネアが思う。だけど、耳元でキャティーレに『今夜は風呂も一緒だ』と囁かれ、何も言えなくなった――


 大広間では晩餐会が続いていた。特に召使いたちのテーブルでは時おりドッと笑い声が起きている。そのくせ話し声はヒソヒソしている。余り大っぴらには言えない冗談を言っているのだ。そんな冗談はたいてい下ネタと相場が決まっている。母親たちが慌てて子どもらを『そろそろ寝なさい』と追い返したことでもそれが知れる。


 発端はキャティーレがジュリモネアを連れて広間を出たこと、要は新婚夫婦が何をしているかをあれこれ冷やかして笑っているのだ。これ、ドルクルト侯爵やダンコム伯爵夫妻に聞こえたらまずい。だから声を潜めて話している。


 最初は巧くと心配していたのが、酔いも手伝ってどんどん大胆な話になっていった。キャティーレが退場するときに『しっかり!』と声をかけた者がいたのも悪かった。

「あんなこと、言わなきゃよかった」

マリネが溜息を吐いて後悔する。しっかり、と言ったのがマリネってわけじゃない。


 マリネが言ったのは『心配することないよ。だってシーツに印が付いていたのを見たわ』――初めての夜、キャティーレのシーツについた血痕をマリネは見ている。リザイデンツに頼まれて洗濯係に渡したシーツだ。だからなんにも心配ないと言おうと思ったのに、それが余計に猥談を煽ってしまった。


「なぁに、気にするな」

スレンデがマリネを慰める。

「みんなキャティーレさまのご結婚が嬉しいのさ――明日になればこんな冗談は忘れて、いつもの真面目なみんなに戻る」

「それならいいけど……」

「それにさ、こんな話をするのも、お子の誕生を待ちかねているからだよ」

スレンデがマリネに微笑む。


「それにしても、婚姻式が待ちきれなかったって? キャティーレさまはジュリモネアさまが随分とお気に召したんだな」

「それについては良かったわ。キャティーレさまがお幸せなら、それが一番」

「キャティーレさまが嫌がってるんじゃないかって気にしてたもんなぁ……この分だと、思ったより早くご懐妊かもしれないぞ。そしたらまたお祝いだな」

嬉しそうに笑うスレンデを見詰め、わたしたちの子どもは? と問いたいマリネ、だけどどんなに望み努力したってどうにもならない――ワインと一緒に言葉を飲み込むしかなかった。

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