死の炎、生の炎
戦勝宣言はどう行うべきか――答えが出ないまま、王城の入口に設けられた本陣へ戻れば、城内の物資状況について報告がきていた。
城内には幸い、食糧も財貨も多く残されていた。特に小麦をはじめとした各種穀物は、ある程度の籠城に耐えうる備蓄が残っていた。貴族連合側は、この早さで決着がつく想定をしていなかったのだろう。正確な量を取りまとめるよう兵站担当者に伝えれば、横で、エティエンヌが安堵した表情で目尻を下げた。
「我々は当面飢えずにすみそうだな。これで、市民への税も大きく減らせる」
「って、今減らすのか!」
驚いて横顔をまじまじと見つめる。王都を奪還したとはいえ、まだ戦いは終わっていない。費用や糧食の負担は続く。今ここで税を減らしてしまえば、戦費の調達に影響が出そうだとは俺にもわかる。
が、総大将たる王子様はどうやら本気のようだった。
「貴族連合は、占領地で市民に重税を課していた……ならばそれは改めねばならない。アメールも言ったはずだ、民を守れるのは私だけだと」
「確かにベルフォレではそう言ったが」
ベルフォレの会議で民を守った時、彼の胸中に自覚が芽生えたようだ。力なき民を守れるのは自分だけなのだ、と。
己の芯を欠いていた孤独の王子が、守るべきものを得たのはとても喜ばしい。が、的確な状況判断を伴わなければ逆効果にもなる。
「貴族連合の勢力はまだまだ強い。本気で民を守りたいなら、もう少しだけ慎重に判断した方がいいと思うぞ、俺は」
言えばエティエンヌは黙り込んだ。
彼の優しさも、生まれたての覚悟も、間違いなく美徳だと信じてはいる。だが本当に税を減らしたいなら、領地経営に強い官僚なり学者なりを呼んで、適切な税率について判断を仰ぐべきではないか、と俺は思う。
「だがアメール、もうすぐ冬も迫ってくる。民の負担は増やしたくない……私としては、敵が奪ったものを返しにいきたいくらいだ」
エティエンヌは不満げに首を傾げる。俺も、どう説き伏せたものか返事に困る。
エティエンヌの判断が甘いのは間違いない。だがこの甘さを頭から否定してしまうと、彼の良さまで潰してしまいそうだ。現実路線と理想論、どう折衷すべきか――
と、その時、不意にひらめきが降ってきた。ずっと頭に取り憑いていた、戦勝宣言の演出についてだ。
「ん、どうしたアメール?」
態度の変化が、王子様にも気づかれたようだ。
「いやなに、思いつきなんだが……こういうのはどうだ王子様?」
案をそっと耳打ちすると、憂いがちに細められていた青い目が見開かれた。
この演出、うまく図に当たるかはわからない。だがうまくいけば、父の力を引き継ぎつつ、父とは異なる後継者像を打ち出せるだろう。
「なるほど……私としては十分とは思えないが、演出としてなら異存はない」
「なら善は急げだ。必要な人員の手配を頼む。できるだけ民間人を呼んでくれ……物資と魔法食材とは俺の方で確保する」
俺の頭の中で、考えが激しく回り始めた。
厨房の隅で、ギヨームは太い腹を揺らして笑った。ずいぶんと人の良いことでございますね、と。
それには特に返事をせず、俺は淡々と発注内容を伝えた。ギヨームは書類に羽ペンを走らせつつ、満足げに目を細めて何度も頷いた。
「……どっちにしろ必要なものは揃えなきゃならねえ。頼むぜ」
「喜んで。代価さえいただければ、ご用立てはいくらでもいたしますよ。それが商人の生業ですので」
書き終えた発注書を、ギヨームは俺に示した。伝えた注文内容は正確に転記されている。演出用の
「発注内容、間違いございませんね」
「えらく高くねえか?」
項目の並びは何度見ても正しい。だが合計が異様に高額だ。十数年前、俺が王城で働いていた当時の倍近い単価だ。
首を傾げていると、ギヨームは発注書を手元に引き戻す仕草をした。
「納得いかないようでしたら、取引の中止も可能ですが」
「しょうがねえな。かまわねえよ、それで」
しぶしぶ発注書に署名をした。食材調達に関して、この小太りの初老男以上に頼れる存在はいない。最終的には言われれば従うほかない。
俺の名を記した書類を差し出せば、ギヨームは満足げに笑った。
三日後、王城の庭には大勢の市民たちが集まった。ヴィクトールが即位宣言をした日と同じように。
俺とエティエンヌは頷き合い、手を取り合ってバルコニーへ出た。ふたりの姿を認めた衛兵たちが、敬礼の姿勢を取る。やや遅れて、市民たちが歓声をあげ始めた。叫びに混じるエティエンヌの名に、本人が手を振り応えている。目尻にわずかに潤みが見えた。
だが、俺には嫌な感じがあった。
歓声にどこか切迫感がある。純粋な喜びや期待の声ではない。かつてヴィクトールと共に浴びた熱狂とは、明らかに質が異なる。極限まで疲弊しきった者たちが、最後の望みとして垂らされた一筋の藁に縋っている――そんな危うさが場に満ちていた。
この熱狂は細い糸で支えられたものだ。切れれば容易に、失望と悪意に反転する。
だからその前に、別の方向へ反転させねばならない。俺の演出はそのためのものだ。
エティエンヌが高らかに声を張り上げる。
「王都ブリアンティスの市民たちよ。悪辣なる反逆者たちの圧政は、今ここに終わりを告げた。我、エティエンヌ・ド・ヴァロワは、フレリエールの正統なる王家の復権をここに宣言する!」
言葉は堂々たるものだ。だが体格の違いからか、声の力が弱い。父親のような圧をどうしても欠いている。
眼前に赤い輝きがひらめいた。
「我は、父ヴィクトールと同じく『神の料理人』をも得た。これこそ、天が我が王権を認めた明白な証である!」
演説は、かつての父と同じ構成で進んでいく。過去と同じ流れをなぞることで、エティエンヌに足りないものが否応なく表れてしまっている。威厳、あるいは風格とでも呼ぶべき何かが、決定的に今の彼には足りない。市民の歓声も、どこか、熱くなりきらない。
エティエンヌは、さらに声を張り上げる。
「我に従う者は、炎の加護で守られるであろう。しかし我に逆らう者は、聖なる炎によって焼き尽くされるであろう!」
かつてのヴィクトールと、まったく同じ決めの言葉。胸の奥がわずかに痛んだ。
だが、違うのはここからだ。
ざわめく群衆に向け、エティエンヌはさらに言葉を続けた。
「だが我は、できることならば炎による断罪を望まない。この地に住まう者たちは、皆等しくフレリエールの民である。昨日まで誰に味方していたか、それはもはや問題ではない。ゆえに我は誓う――」
エティエンヌは一度言葉を切り、大きく息を吸い込んだ。そして、高らかに宣言した。
「――ここで我が声を聞きし、すべてのフレリエールの民よ。我は、この命を賭けて汝らを守り抜く!」
階下から、戸惑い混じりの歓声があがった。
声の圧が多少足りなかったとはいえ、立派な演説だったと思う。それでもヴィクトールほどの熱狂を得られなかったのは、喧伝された悪評のせいもあるだろうか。少しばかりのもどかしさを感じる。
だが、演出の本番はこれからだ。俺は前へ一歩進み、バルコニーの縁から身を乗り出した。
「王都ブリアンティスの市民たち。俺は『神の料理人』アメールだ。今日の佳き日を祝して、エティエンヌ王子から贈り物がある」
俺の言葉と同時に、階下に兵士の一群が現われた。中央には大きな盆がいくつも並び、上には小麦色に焼けたパンが山をなしている。
「王子と俺とが『魔法の炎』で焼いたパンだ。美味さは保証する!」
言葉に嘘はない。
宮中のパン焼き窯に、俺とエティエンヌが火蜥蜴肉の「魔法の炎」で火を入れた。そしてその火種を用いて、民間から集められたパン焼き職人たちが、夜通し焼き続けたのだ。
「このパンは、エティエンヌ王子の慈悲の証だ。皆、これまでの戦で腹を空かせてるだろう。一人一個ずつ、心して食え!」
大きなどよめきが、階下からあがった。
今回使った小麦粉の量は、備蓄全体からすればごく限られたものだ。だがエティエンヌの人柄を印象付けるには、これほど効果的な演出もないだろう。人は胃袋を掴まれれば弱い。飢えている今ならなおのこと。
「量は十分用意してある。焦る必要はない、落ち着いて並ぶがいい!」
エティエンヌが、熱狂する民へ声を張り上げる。兵士たちが民を誘導し、何本もの列を作り始めたのを見届けて、俺は階下へ向かった。
香ばしい匂いが漂う中、並ぶ市民に次々とパンが渡っていく。俺も配り手に加わり、掌ほどの大きさのパンを、ひとつひとつ手渡していった。
「エティエンヌをよろしくな。あいつの火で焼いたパンだ」
まともに聞かれているかどうかはわからない。だが少しでも、耳に残っていてくれればいい。
願いつつ俺は、差し出される手に、ひたすらにパンを渡し続けた。受け取るどの目にも喜びの色があった。ある者は列を離れてすぐにかぶりつき、ある者は大事そうに抱えて持ち帰る。
魔法の炎で焼いたからといって、食物に特別な力が宿るわけではない。マナのないパンはただのパンだ。だが、印象付けることはできるはずだ。炎は、人を生かしもするのだと。
炎はすべてを焼き尽くす。だが一方で、炎は人を温める。さまざまなものを加工する。そして、食べ物を調理する。炎がなければ、人は生きられないのだ。
今回、民間から招集されたパン職人たちは皆が見た。窯に自ら炎を入れ、様子を見守り続けるエティエンヌの姿を。
その様子が、噂となって広がってくれれば。そしてパンへの感謝が、静かに広がってくれれば。ヴィクトールが力と恐怖の象徴とした「魔法の炎」は、慈悲と愛情の証に転化してくれるかもしれない。
休みなく動かした手が、次第に疲れてくる。それでも俺たちはパンを渡し続けた。
市民の列は長いこと、途切れることがなかった。
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