露見
俺がルネ・ブランシャールではないか――エティエンヌの指摘に、俺は大声をあげて笑ってみせた。
ほかの反応ができなかった。笑い飛ばす以外の逃げ道が、即座に出てこなかった。
だが虚勢でも時間稼ぎにはなる。俺は反論の理屈を探した。
「ルネ師匠は、生きてりゃ七十近い爺さんだぞ。ありえねえ」
「マナは生命の力。そして『神の料理人』は神秘のマナを取り込む。幻獣や神聖植物に満ちた霊山であれば、豊かな生命の力を補い続け、若さを取り戻すことも可能かもしれません……そしてルネ様はもともと、不老不死の探求のために霊山へ遣わされた」
「ありえねえよ、そんなうまい話」
「もうひとつ。アメール殿が暮らしていた山小屋には、一人分の空間しかなかった。あの狭い丸太小屋で、二人以上が暮らすのは無理があるでしょう」
「師匠が死んだとき、引っ越したんだよ」
嫌な脂汗が背を流れる。知らぬ間に、俺はずいぶんと手掛かりを残してしまっていたらしい。
どう言い逃れたものか。懸命に考えていると、エティエンヌはわずかに首を傾げ、さらなる問いを投げてきた。
「加えてあなたの力。父が、ルネ様を貧民街から探し出したのは有名な話ですが……であれば『神の料理人』の力は、生まれながらの素質。教育や修行で身に着く種類の力ではないのでしょう。だとすれば、弟子などとれるはずがないように、私には思えます」
「……世の中に、うまい偶然ってのは結構あるんだぜ」
どんどん言い訳が苦しくなってくる。
エティエンヌは俺を見て、数度頷くと、最後の決定打を撃ち込んできた。
「もうひとつ。今日の昼に私は訊ねました。抵抗できなくなった民への、父の対応について。するとアメール殿はお答えになりましたね。『あんたはあんただ。ヴィクトールじゃねえ。あいつと同じことを、する必要はねえ』……と。まるで、父を直接知っているかのような口振りでした」
「それは、言葉のあやって奴で――」
「王城には、ルネ様の肖像画が何点かあったはずです。王都奪還が叶った折に探してみれば、人相を比べることもできましょう。そうすれば、すべては明らかになります」
完敗だ。
弱った俺は、決定的な手掛かりを自分から撒いてしまっていたようだ。
俺はまた、乾いた笑い声をあげた。そして拍手をしてみせた。
「おめでとさん。完璧な推理だったぜ。ここまで早くバレちまうのは想定外だったが」
「アメール殿……いや、ルネ様。なぜこのような嘘を?」
「普通は信じやしねえだろ、誰も。七十近い爺さんがこの見た目だなんてよ」
俺は腕を曲げ、力こぶを作ってみせた。若く艶のある筋肉が力強く盛り上がる。いくぶん呆気にとられた風に、エティエンヌは俺を見つめた。
「あと、昔のしがらみとか色々面倒なんでな。部外者でいた方が、なにかと動きやすい」
「過去に得た地位や敬意を棄て去っても、ですか」
「むしろ邪魔だな、その手のあれこれは。荷物にしかなんねえ」
いちばん面倒なのは、あんたの父親との思い出だ――とは言わないでおく。言ったところで誰の益にもならない。
「ルネ様、やはりあなたは偉大な御方だ。賞賛や名声に溺れることなく、捨てることさえ
エティエンヌが肩を落とす。うなだれて首を振る王子様の表情は、ふたたび力を失っていた。
俺の頭に強烈な疑問が湧く。なぜ彼は、こうまで人々に侮られ貶められねばならないのか。
少なくとも彼は勇敢だ。戦場で先陣を切るような類の勇気とは違うかもしれない。だがそれは切り込み隊長の仕事であり、君主の役割ではない。君主の仕事、つまり総大将として戦場に立つことは、少なくともできている。
そして、君主に必要な
さらに彼は、まちがいなく賢い。霊山で、そして今この場で、俺のごまかしを鮮やかに見破った。若い見た目に騙されもせず。
今なら確証を持って言える。エティエンヌ・ド・ヴァロワは優れた人物だ。少なくとも素質はある。いくらか足りない部分はあるかもしれないが、人間誰しも完璧ではない。そこは臣下が補えばいいのだ。
この若き王子に、欠けているものはたったひとつだ。
「いや、でも、たいしたもんだぜあんた。俺の見た目に惑わされず、あんたは自分の知恵で真実へたどり着いた。賢いぜ、びっくりするほどにな」
「そのようなことは……ありません」
素直な感慨と共に褒めてやれば、エティエンヌは軽く首を横に振る。
彼に足りないものを、自信、とは呼びたくない。およそ世間で自信家とみなされる連中は、内実は空っぽのことが多い。中身を伴わない虚勢は、害こそあれ何の役にも立たない。
もっと根っこに近い感覚――「自分はこれでいいのだ」という納得。他の誰でもない、自分は自分なのだという確信。それさえ持たせてやれれば、きっとすべてはうまくいく。逆に言えば、それがないままなら、何もうまくはいかない。
考える俺の前で、エティエンヌは首を振りつつ続けた。
「私は愚かです。軍略にも内政にも詳しくなく、魔法の力についてもろくに知らず――」
「教えられてなかっただけだろ、それは。言い換えりゃ、知恵じゃなくて知識の問題だ」
ジャックの話を聞く限り、エティエンヌは鶏の一件以来、王子としての教育をろくに受けていそうにない。だがこれだけ賢いなら、教えられさえすれば、綿が水を吸うようにどんどん知識を蓄えていくだろう。
「いろいろ勉強すりゃ、あんたの頭なら、知識はすぐついてくると思うぜ」
肩を叩いてやりつつ、思い返す。
貧民街にいた頃、俺も、自分に何かの値打があるなどとは思っていなかった。表通りの連中に冷たい目でにらまれながら、ゴミと汚水にまみれて死んでいくのだと思っていた。
救い出してくれたのは、考えるまでもなくヴィクトールだった。
王宮に連れてこられて、柔らかい服と丈夫な靴とをもらって、真剣な目で見つめられて、「私の王冠」と呼びかけられて――そうしてはじめて、俺は俺になった。この世にいてもいい何者かになった。だからこそ今、エティエンヌを力づけてやることもできている。
だから、ますますわからない。
ヴィクトールは間違いなく知っていた。自分自身に納得と確信とを持つことが、どれほどの力をもたらすのか。
だったらなぜ、我が子からそれらを奪うような真似をしたのか。しかも、たった一度の意に沿わぬ言動だけで。
本人がこの世にいない以上、もはや真意を知る術はない。だができれば、あいつが奪っていったものは返してやりたい。
しかし、どうやって――
「殿下。お茶が入りましたよ」
不意に部屋の扉が開き、ジャックが入ってきた。白磁のティーカップを盆に乗せたまま、従者殿は俺たちの様子に目を丸くした。
「どうしたジャック?」
「殿下、何か嬉しいことでもございましたか? アメール殿もずいぶん楽しげなご様子」
「ああ、それは――」
エティエンヌは目尻を下げて、うっとりするような微笑みを浮かべる。
「――少しばかり、内緒の話をしていた」
「長年お仕えしてきた従者にも明かせない、秘密のことがらなのですね?」
笑い合う主人と従者。眺めつつ、不意に俺は自覚した。
自分は自分でいい――という確証を、どうすれば彼に与えてやれるのか。答えを、俺は既に持っている。
心臓の鼓動が高鳴る。俺は一歩を踏み出し、会話に口を挟んだ。
「ああ、そりゃあもう、俺しか知らない最高機密だ。なにしろ――」
ふたりの視線が、同時に俺を向く。
俺は、できるかぎりの得意げな笑顔を作った。作れている、はずだ。
背の低い身体で胸を張り、高らかに宣言する。
「――俺の師匠、神の料理人ルネ・ブランシャールにまつわる、とっておきの秘密の話だからな!」
エティエンヌが目をしばたたかせた。ジャックが、黒い目を丸くして笑った。
この話、伝えるには少なからぬ痛みを伴う。だが、明かすべき時は今しかないと思った。
ルネ・ブランシャール――すなわちヴィクトールの「王冠」は、いかにして生まれ、なぜ死を選んだのか。名を棄てた亡霊は、いま何を思っているのか。
晒すにはみっともない軌跡だ。だが案内にはなるかもしれない。跡をなぞるのではなく、同じ轍を踏まないための戒めとして。
だから話そうと思った。話せるかぎりの顛末を、今、ここで。
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