ふたりだけの戴冠
「ルネ様の……秘密、とは」
エティエンヌが身を起こした。ジャックの微笑みにも、好奇心の熱を感じる。ふたりの興味は惹けているようだ。
「気にはなってたんだろ。山で死んだはずのルネ師匠が、実はしばらく生きてて、弟子までとってた事情とかよ……ただ、その辺の話をする前に、まずは知ってもらわなきゃならねえ。師匠が、本当のところはどんな人間だったか」
「父ヴィクトールの『王冠』にして第一の友人。……と思っていましたが」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。人間、肝心なところは表には出さねえもんだ」
話しつつ考える。語り起こしは、やはり最初の出会いからがいいだろう。
窓の外は既に暗くなっている。寝台横のランプに照らされながら、俺は語り始めた。
「ルネ師匠が、元々貧民街の孤児だった……ってのは知ってるよな。物心ついた頃には王都の隅の孤児院にいて、十二歳になったらそこからも追い出されて、裏路地でゴミを拾って日銭を稼ぐような生活をしてたらしい。今から五十年くらいも前の話だ。だが――」
当時の記憶は、もうだいぶおぼろげになっている。だが、迷宮のような石壁の奥に漂っていた、腐ったような酸っぱい臭いだけは覚えている。あの頃、俺はすべてを諦めていた。自分は死ぬまで、この臭いの中で生きていくしかないのだと信じ込んでいた。
しかし、あの日すべては変わった。
「――十四歳のある日、師匠はヴィクトールに力を見出されて王宮に入った。妾腹の第四王子に古代の権威を与える『王冠』としてな。あとの経緯は知っての通りだ」
柔らかい服、丈夫な靴、あたたかい寝台。望む何もかもを与えられて、俺は「王冠」となり、そしてすべてが始まった。
「我が父は、先々代の王――つまりは私の祖父を討ち果たし、自ら王となった。そして全土の反対勢力を、魔法を用いて平定した。その後は数十年にわたり、神の力を授けられし絶対君主としてフレリエール王国に君臨し続けた……のですね」
「ああ。ルネ師匠はその一部始終を、本人の傍でずっと見てきた」
全土平定のための転戦。そして長い太平の日々。数十年の間には多くのことが起こったが、一言で表すこともできてしまいそうだ。「ふたりは長い間幸せに暮らしました」と。
「師匠は、時には肩を並べて共に戦い、時には眠れぬ夜の話相手になり、時には料理人として空腹を癒した。病める時も健やかなる時も、王と王冠はいつも共に在った」
「それは私も伝え聞いています。どの将軍や官僚よりも信を置かれ、どの妃や寵姫とよりも仲睦まじかったと」
「そうだ、な」
数十年の間、俺は確かに幸せだった。
魔法の料理を、時には魔法のない料理を作り、ヴィクトールの元へ持って行ってやれば、あいつはいつも屈託なく喜び、うまそうに平らげてくれた。「ごちそうさま。ありがとう」……そう言って微笑まれると、作る時の苦労などどこかへ行ってしまう。
あの厳格な絶対君主が、ルネ殿に対してだけは子供のように笑う――などと言われたこともあった。
「師匠とヴィクトールは、間違いなく無二の友だった。いや、友以上だったかもしれねえ。師匠は言ってた。自分はヴィクトールのために生まれてきた、ヴィクトールのためなら命でも投げ出せる、ずっとそう思っていた……ってな」
「思っていた……ということは、山に来られた頃は違っていたと?」
緩慢に頷く。
幸福は永遠には続かなかった。続けばよかった――などと、いまさら思いはしない。幸せの代償を、俺は既に知ってしまっている。
「ヴィクトールは恐ろしく有能な王だった。だから師匠は信じていた。王はすべてをうまくやっている、従ってさえいれば間違いはないのだと。だがいつの頃からか、ヴィクトールはおかしくなっていた」
それがいつ始まったのか、俺は知らなかった。知ろうとしていなかった。
気付いた時には、なにもかもが手遅れだった。
「あまりにも長く王様やりすぎてたのかもしれねえ。いつのまにか王都は、密告や
「……っ」
エティエンヌの眉根がぴくりと動いた。
当時、彼は物心つくかつかないかの歳だったはずだ。それでもあの事件のことは耳に届いているようだ。
反王政主義者が暴動を企てている――というデマが王都に流れ、疑いをかけられた市民が千人以上逮捕された。そして中央広場で連日処刑された。国王直々の「魔法の炎」による火刑で。
「ところで不思議に思ったことはねえか? 孤児あがりの師匠に『家名』がついてることに。貧民はふつう家名を持ってねえ、
「どなたかの名を借りたのでしょうか?」
「ご名答。師匠が世話になった孤児院の先生が『アニー・ブランシャール』って名前でな。王宮に入る時、家名を勝手に借りたそうだ。厳しくも優しい先生だったって、師匠は言ってた……そのアニー先生が、大粛清に巻き込まれて処刑された」
貧民のために献身的に働く、聖者のような女性だった。だが優しすぎたがゆえに、容疑者を匿った咎で捕らえられたのだ。
助命嘆願も多く届いた。一部は俺のところにも来た。それで俺は、ようやく事態を理解した。だがその頃には、なにもかもが手遅れだった。
「他の市民と一緒に、先生も魔法の炎で火あぶりにされた……それでやっと師匠も気付いた。この国はおかしくなってる、と」
そう、あの頃すでに国は壊れていた。それを知った時、俺もまた壊れ始めたのだ。
「いちど気付いちまうと、師匠の歩んだ道はあまりに罪深かった。ある時は軍船八百艘を燃やし、ある時は反乱勢力を砦ごと焼き、ある時は粛清の炎を生み出し……自分がどれだけの人間、つまりは誰かの縁者だったり恩人だったりする誰かを殺してきたのか、師匠はようやく自覚した。お世話になった先生を、自分の炎で亡くして、はじめて気が付いた」
「ルネ様は……父を、
俺はゆっくりと首を横に振った。それが成功していれば、状況はどれほどましになっていただろうか。
「大粛清の後、師匠はヴィクトールに直談判した。もうこんなことはやめてくれと。だが結局、王の心を変えさせることはできなかった。それどころか師匠は、その後もヴィクトールのために魔法料理を作り続けた。それがどう使われるか、知っていたにもかかわらず、だ」
「なぜ、でしょうか」
「そこが今回の話の本題だ。謎かけもまどろっこしいから、単刀直入にいく」
いちど言葉を切り、大きく息を吐く。
俺は愚かだった。だがその愚かさこそが、目の前の若人に力をもたらすかもしれない。
「ルネ・ブランシャールにとって、ヴィクトール・ド・ヴァロワは……世界のすべてだった。言ってることややってることが、間違っていようがなんだろうが、な」
エティエンヌとジャックが、同時に息を呑む。共に無言なのは、言うべきことが見つからないのだろうか。
俺は続けた。
「裏路地の薄汚い孤児を、拾い上げて汚れを落として、キラキラ光る王冠にしてくれた。自分をゴミじゃない、なにがしかの値打があるものとして扱ってくれた。だから命を懸けて報いたいと、師匠は思ったんだ。自分の値打を本当の意味で知っている、この世でたったひとりの相手のために、この身は生きて死ぬつもりだった……と聞かされた」
他人の話扱いで語っているためか、自分の心境を遠くから整理できているように感じる。それでも胸中に痛みはある。なぜ、俺はああも愚かだったのだろう。
一息ついて、さらに続ける。
「だが、だからって、人殺しの重圧は消えるわけじゃねえ。ヴィクトールへの恩義と、罪の意識とに引き裂かれて、師匠は気が狂う一歩手前までいった。それでどうしようもなくなって、『不老不死の探求』を口実に、霊山へ逃げ込んだんだ。そして、死を装って雲隠れした。ともあれ、俺が言いたいのは――」
ようやく流れが、目指すところにたどりついた。
これまで話してきた愚かさも力も、次の一言で向かう先を変える。
「――エティエンヌ。あんたも師匠と一緒なんだよ」
「……っ!?」
突如水を向けられた王子様が、慌てた。
なぜ自分が、と顔に書いてある。予想通りの反応だ。
ここぞとばかり、俺はたたみかける。
「いろんなつまんねえものに埋もれて、本当の値打を誰も知らない。けれど誰かが見つけて綺麗にしてやれば、間違いなく光りだす……ヴィクトールが師匠を見出したように、な」
「そんな……ことは」
青い目が泳ぎ、ジャックに助けを求める。
だが、逃がす気はない。
「師匠は愚かだった。ヴィクトールのことしか見えていなかった。それで多くの人間を殺して、最後にはなにもかもから逃げ出した。だが――」
言葉を続けつつ、俺は部屋の様子を確かめた。
ランプの灯りは、俺の背後で温かい橙色の光を投げかけている。光源はちょうどいい位置にある。
「――師匠は間違いなく知っていた。誰かに信じてもらうことが、値打ある何かとして扱ってもらうことが、どれだけの力をもたらすのか。それこそ、自分のすべてを捧げても惜しくないと思えるほどにな」
「し、しかし。私……は」
「勘違いすんな、あんたに師匠の真似をしろとは言ってねえ。師匠は道を誤った。同じ過ちを繰り返してほしくはねえ。ただ――」
言う間にも、脳裏に鮮やかに蘇る。ヴィクトールに、初めて王宮へ連れてこられた日のことが。
かさつく掌を、大きく温かい両手で包み込まれた。力の籠った青い目に、真正面から見つめられた。静かな声で、告げられた。
(私には玉座も王笏も、王太子の位もない。だからルネ……君が、私の王冠になるんだ)
あの日のヴィクトールと同じ力を、俺が出せるとは思わない。だが、何分の一かの力さえ分けてやれれば、きっとそれで十分だ。
「――あんたは、王だ。それも、優れた王だ」
ジャックの顔が輝いた。
エティエンヌは一瞬目を見開き、激しく首を振った。
「そのような、ことは……私は、弱く愚かで――」
「あんたは陣頭に立ち、魔法で二度の勝利を導いた。議場ではベルフォレの民を守り抜いた。証としては十分だ」
十分だとは、実のところ俺も思っていない。
だが今は、信じさせることが重要だ。細かいことは放っておく。
「思い出せ、俺が誰なのか。神の料理人、つまりは王権を授ける『王冠』だ」
かつて、ヴィクトールは俺を「王冠」にした。泥を払い、磨き上げて、輝く王権の証とした。
ならば今度は王冠の側が、「王」の泥を払い、磨き上げて、まばゆく輝かせることもできるはずだ。
俺はエティエンヌの前に跪いた。滑らかで白い右手を、俺の固い両手で覆う。
そしてまっすぐに、当惑する青い目を見つめた。あの日の俺も、こんなふうに戸惑った目をしていたのだろうか。
「その王冠が言う。エティエンヌ・ド・ヴァロワ……あんたが、俺を戴く王になるんだ」
口角を大きく引き上げ、目を細めてみせる。
俺は卑怯なのかもしれない。いまだ断ち切れない父親の影を、息子で埋め合わせようとしているのかもしれない。
だがおそらくは、彼にとっても民にとっても、俺にとっても、これが最良の道だ。そう俺は信じている。少なくとも今は。彼がかつての俺のように、誰かにすべてを預けてしまわないかぎりは。
無言で見つめ続けても、エティエンヌから返事は返ってこない。温かなランプの光が、頬でかすかに反射した。輝く筋が、ぽつりぽつりと流れ下っていた。
さらに強く右手を握ってやれば、長い指が静かに、しかし力強く、握り返してくれた。それが、答えであるように思えた。
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