静かなる戦い

 中央庁舎の会議室には、既に五名ほどの将が集まっていた。残りは戦後処理の指揮をとっているとのことで、俺たちが上座に着席すると同時に会議は始まった。目的は状況の共有と、街の管理方針の策定だった。

 まずは現状の確認。中央庁舎を中心に広域拡散したマナの影響で、ベルフォレは街としての機能を完全に停止した。マナの恐怖はあと一、二時間程度で回復すると思われるが、守備部隊および衛兵隊の完全無力化はそれまでに十分可能である、との報告だった。

 将の一人が発言した。


「ご存知の通り、ベルフォレ以西の大街道には、王都ブリアンティスまで大規模な要衝は存在しておりません。進軍を続けるにせよ軍備を整えるにせよ、この街での統治体制は非常に重要です。反乱はなんとしても避けねばなりません」


 座の一同が頷く。ここまでは全員の認識が一致している。

 だが問題はここからだ。


「従いまして私としては、不満分子の徹底的な抑え込みを提案したく。貴族連合に加担した兵士および住民は厳格な監視下に置き、騒乱の芽を未然に潰しておくべきでしょう」


 予期していた、しかし望んではいなかった流れだ。

 戦は始まった。魔法や剣ではなく、頭と舌とで勝ちを得ねばならない戦いが。

 横を見れば、エティエンヌの顔も強張っている。緊張のこもった青い目が、上座から発言者を見遣った。


「厳格な監視とは?」

「王子、なにも処刑せよとは言っておりません。所定の施設に収容し、兵士たちの監視下に置いて行動を制限する。現在ベルフォレ市街で行っておる措置と、なんら変わりませぬよ」

「人々の家も生活も奪うのか?」

「彼らは反逆者です。反逆者と帰順者が同等の扱いとなれば、王の名において公正を欠きますぞ」


 街で、監督の将が口にした主張と同じだ。予想はしていた。

 まぶたを憂いがちに伏せつつ、エティエンヌはあくまで落ち着いた様子で首を振った。


「一時的に貴族連合の支配下にあったとはいえ、彼らもまたフレリエールの民だ。その措置は酷に過ぎる。守るべき民を虐げることが、はたして王たる者のありかただろうか」


 諸将の間にざわめきが広がる。当惑混じりの、どう聞いても好意的ではない声色だ。


「エティエンヌ殿下、やはり貴方は未熟でいらっしゃる。ヴィクトール陛下であれば、この場でなすべきことを正しく理解されたであろうものを」


 ざわめきに、かすかに侮りの色が混じり始める。痩せた長身が、びくりと震えた。

 大きな決断をすることに、彼はおそらく慣れていない。冷遇されてきた第五王子が、なにかの決定権を持たされる機会など多くなかっただろうから。ゆえに、これまでは思い通りに操られてきたのだろう。盲従か反発でしか反応しない駒は、諸将が掌の上で転がすにはさぞ便利だっただろう。

 だが、今は、それでは困る。

 今この瞬間にも、黒い稲妻のマナに倒れた人々は、なすすべなく恐怖に身を震わせているのだ――生まれたての雛鳥よりも無力に。雛は鳴くことも、おぼつかない足取りで歩くこともできる。今、ベルフォレの人々はそれさえできない。

 すべての責任は俺にある。策を立て、マナを喰らい、機を整え、黒い稲妻を放ったのは俺だ。

 それでいて、この場で俺は何もできない。俺の発言は何らの権限も持たない。自分の始末さえ自分でできやしない。


 ――頼む、エティエンヌ。


 俺は机の下で、エティエンヌの手を強く握った。

 長く細い指先が握り返してきた。抑えきれない細かな震えが、伝わってくる。

 いま、彼は孤独に戦っているのだ――悟った瞬間、全身の血が沸いた。


 ――なにやってる、俺。若い奴をひとりで戦わせといて、おまえはだんまりかよ。

 ――自分で言っただろうが、「できるかぎりは援護する」と。黙って手だけ握って、それで援護のつもりか!


 たまらず俺は立ち上がった。

 椅子が倒れ、大きな音が立った。場の全員が俺を見た。呆れ混じりの冷笑が、俺を何重にも射る。

 上座の王子様は、軍議の間ずっとこの視線を浴び続けてきたのだと、俺は理解した。これまでも、今も。

 だがエティエンヌ、今、あんたはひとりじゃない。

 ひとつ唾を飲み込み、口を開く。


「ひとついいか。あんたら、反逆者と帰順者って簡単に言うけどよ。本当に、両方がちゃんと区別できるのか」


 俺が言えば、将のひとりから呆れ混じりの言葉が返ってきた。


「反逆した者が反逆者。帰順もしくは投降した者が帰順者。なんら疑問の余地はございませんな」

「普段なら、それでもいいかもしれねえが。今回はちょっと違うだろ」


 冷たい目ににらまれながら喋るのは、おそろしくやりにくい。あらためてエティエンヌの立場を思い知る。

 ヴィクトールと共にいた頃、俺が議場でものを言う機会などなかった。常にヴィクトールは俺を守り、俺は強大な最高権力者の傍らで、ただ座っていればよかった。不安は、すべてヴィクトールが拭い去ってくれた。

 今度は俺が、若く未熟な王子に助け舟を出してやらねばならない。


「今回、勝負が決まったのは一瞬だった。『黒い稲妻』が撃たれることは、ベルフォレ市民の誰一人予期していなかったはずだ。その状況で、帰順や投降をする暇がどこにあったんだよ」

「ならば、それ以前に――」

「兵士が皆、臨戦態勢になってる中で、か? 大城壁が閉じてる中で、市民が俺たちの所へ来る手段があったのかよ?」


 大きな声で、堂々と話せてはいるはずだ。喉はからからに渇いているが。

 握ったままのエティエンヌの手からは、震えが少しずつ引いていた。俺は少しでも、孤独な王子の助けになれているだろうか。力を与えられているだろうか。

 別の将が口を挟んできた。


「『神の料理人』殿。思い違いをしておられるようですが、貴公にこの場での発言権はございませんぞ。貴公がここに招かれているのは、あくまで作戦立案の参考として、状況を共有するため」


 痛いところを突かれた。そのうちに突かれるとは思っていたが。

 こうなれば立場上、俺は頷くしかできない。食い下がれば、かえって隣の王子の立場が悪くなる可能性がある。

 俺は口を閉ざし、倒れた椅子を直して席に着いた。エティエンヌは無言のまま、深い考えに沈んでいるようだった。


「越権行為が治まったところで、議論を続行いたしましょうか。ベルフォレの占領方針については、我らの合議にて――」

「いや」


 エティエンヌが小さな、しかし明瞭な声を発した。


「今この場において、最終決定権を持つのは正統の王位継承者だ。それは諸兄も認識しているはず」


 諸将から、感心とも呆れともつかない嘆声があがる。

 すべては自分が決める――とのエティエンヌの宣言が、諸将にさして動揺をもたらしていないのは、彼らが己が優位を疑っていないからだろうか。そう思ううちにも、将たちは口々に、諫言を装った要求をエティエンヌに投げかけ始めた。


「ヴィクトール前王陛下は、厳格に敵味方の区別をなされる御方でした。味方を手厚く保護し、敵に容赦をしない……その信賞必罰の姿勢こそが、数十年にわたる安定統治を支えたのです。エティエンヌ殿下におかれましては、前王陛下の後継者として、美点を正しく受け継いでいただきますようお願い申し上げまする」

「現状、我が軍の戦費負担も増えております。占領地からの収益は、今後の作戦行動において重要な補給となりましょう」


 仰々しい言葉で糊塗してはいるが、要はこいつらは、ベルフォレ市民の土地や財産を巻き上げたいのだ。

 王家軍といえど、協力している将軍たちは、各々が自分の領地を持つ貴族だ。最大の関心事は王国内での地位、および自領の経営であり、他地域の民のことなど真剣には考えていないのだろう。御しやすい傀儡を戴きつつ、戦を通して利益を得られれば万々歳――格式ばった言葉の裏に、醜い本音が透けて見える。

 そんな連中が、これまでエティエンヌを思い通りにしてきたのだろう。父ヴィクトールの名を、操りの首輪として用いることで。


 ――エティエンヌ。こんな連中の言いなりに、絶対なるんじゃねえぞ。


 投げつけられる言葉の嵐の中、思いを籠めて手を握る。

 思い出せ、街で話したことどもを。守れ、守り抜いてくれ、あんたにしか守れないものを。

 かつてヴィクトールの意に背き、大切な鶏一羽を守り抜いたように。


「殿下。ご判断を」


 将のひとりの言葉に、場が静まり返る。下される決定を、俺も含めた場の一同が、固唾を飲んで見守った。

 エティエンヌは、うつむいてしばらく考えた後、一本にまとめた髪を揺らしつつ顔を上げた。

 だが、ようやく出た言葉に、俺はぎょっとした。


「……厳格な監視は、必要だと考える」


 満座の将から安堵の息が漏れる。

 エティエンヌは、操りの首輪を外すことができなかったのか――俺の動揺をよそに言葉は続いた。


「ただしそれは、守備兵と衛兵隊に限った話だ。戦闘要員でない一般市民については、戦前と変わらぬ生活を保証する。収奪も差別も禁ずる。それこそがフレリエールの王としての、民を守る責務だと考えている」


 握っていた手から、力が抜けた。

 会議室に落胆と困惑が満ちる。重苦しい空気の中、俺は自分の顔が緩むのを確かに感じた。

 エティエンヌも憑き物が落ちたように、ひとつ息を吐いた。目元口元の緊張が薄らいでいる。

 だが最終決定権者たる王子様は、貴族たちには聞こえないほどの小さな溜息だけを残し、すぐに真剣な顔に戻っていった。まだ、会議は続いていた。

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