川の街リヴィエルトン攻略戦
俺たちが氷雪白鳥のコンフィを食べ続けて、三日が経った。
開戦を翌日に控えた夕刻。ヴィラマール川を望む丘の上で、俺とエティエンヌ、そして付き添いのジャックは、目指す街を遠目に眺めながら一息ついていた。
川の街リヴィエルトンは、大河ヴィラマールの中洲に位置する交通の要衝だ。街の東西に掛かる「大いなる橋」は文字通りの巨大な石橋で、陸路の流通は大部分がここを行き来する。また南北には港があり、大河を往来する船の停泊所となっている。俺は軍略や経済に詳しくはないが、重要拠点だとは容易に想像がつく。
そして、大河に王家の軍と言われれば、誰しもがレクラタント川の会戦を思い出す。だが今回は、両軍の条件がまったく異なっていた。
「あちらさん、よっぽど水上戦をしたくないらしいな」
俺はこれ見よがしに苦笑いをしてみせた。傍らではエティエンヌとジャックが、険しい表情で同じ方角を見つめている。
リヴィエルトンの守備隊は、手持ちの軍船をすべて港へ引っ込めている。密偵の報告によれば、出港の気配もないらしい。一方で俺たち王家軍に、船団が編成できるほどの軍船の備えはなかった。沿岸部の造船所は、敵方――貴族連合に徹底的に抑えられており、新規調達はほぼ不可能とのことだった。
そうなれば、俺たちの進軍経路はただひとつに限られる。陸上、つまり「大いなる橋」からの正面突破だ。細い一本道しか通れないなら、必然的に攻略難度は跳ね上がる。
「レクラタントからは何十年も経つってのに。とっくにいない人間の亡霊を、いつまで怖がってんだか」
朗らかな笑い声を、若干わざとらしく作ってみた。だがエティエンヌの表情は晴れない。
背を、強く叩いてやる。
「ド派手に勝てる魔法をよこせ、って言ってきたのはあんただろうが。死人を怖がってるような連中に、負けはしねえよ」
「そう、うまくいくでしょうか」
肩を落とす王子様に、どう言葉を返すべきか迷う。今は俺だけが相手だからまだいいが、全軍を前にこの態度では、味方の士気に大きく関わる。だが、叱責すればまた縮こまるだけだろう。
少し思案し、声をかける。
「心配すんな」
「励まし、痛み入ります」
「励ましてねえよ。これは命令だ」
目に力を籠めて、気弱な王子様を見据えてやる。
一介の料理人が王子様に「命令」など、自分でも大層な御身分だとは思う。が、今は気にしている場合ではない。
「心配しちゃいけねえんだよ、総大将って奴はな。内心はどう思っててもいいが、決して表に見せるな。心配すんのは参謀やら士官やらの役目だ。あんたに心配をさせねえために、他の全員が全力で心配するんだよ」
「では、私は何を――」
「勝ちを信じろ。少なくとも信じてるふりはしろ。それが、あんたの役目だ」
エティエンヌは、ふっと目を逸らした。
「難しいことですね。……私には」
夕陽に染まる川を、青い双眸が見つめる。赤い空を映し込んだ水面は、否応なくレクラタントの炎を思い起こさせる。
「かつて、敵軍八百艘を目前にして……父は、勝ちを疑わなかったのでしょうか」
「どうだかな。ただ、心配も弱気も、なにひとつ表には見せてなかった。旗艦の真ん中で、兜の派手な房飾りと、王家の紋が入ったマントを風になびかせながら、憎らしいくらい晴れやかに笑ってたぜ」
エティエンヌが目を丸くする。失言に気付き、俺はあわてて一言を付け足した。
「……って風に、師匠からは聞いた」
「色々なお話をしているのですね、御師匠殿とアメール殿は」
「山ん中だと他にすることもねえからな。で、だ」
俺は、ここへ来た本来の目的を思い出した。開戦前最後の夕食を前に、散歩して胃を空けさせたかったのだ。不安からくる鬱屈も、多少は晴らしてやりたかった。結果的には逆効果になってしまった感があるが。
「あの時同様、少なくとも俺たちには策がある。あとは準備して実行するだけだ。あんたは何も心配すんな」
「それは、命令ですか」
「そう思う方が落ち着くなら、そう解釈しろ。思わない方が気楽なら、そうしろ」
俺は、本陣へ向けて踵を返した。一瞬遅れて、エティエンヌとジャックもついてくる。
彼らに背を向けたまま、俺は言った。
「大丈夫だ、何も心配ねえ――そう信じさせてやるのがあんたの仕事だ。仕事はちゃんとやれ。……あんたのために命張ってる連中のためにも、な」
あえて、後ろは振り向かなかった。見ずとも、王子様の当惑は想像できた。
この調子では、気分転換にはならなかっただろう。今夜も食事量は見込めそうにない。
俺が抱える、目下最大の問題がそれだった。
エティエンヌの食が異様に細いのだ。並の成人男子の半分くらいしか食べない。大食漢だったヴィクトールと比べれば、三分の一くらいと思われた。
地位の割に痩せている理由は判ったが、魔法を扱う者としては致命的だった。戦場で魔法をどれだけ使えるかは、事前に取り込んだマナの量で決まる。つまり食い貯めた食事の量だ。食べられなければ、魔法の威力や回数はそれだけ制限される。
特殊なマナは、長く体に留めておけない。持ってせいぜい三日、その後は抜けていく。だから実質、貯められるのは三食を三日分、つまり九食までだ。
これで本当に足りるのか、作戦に支障は出ないのか、俺は不安で仕方がなかった。だがあの頼りない王子様を前に、俺まで憂いを露にしてしまえば、不安の連鎖は誰にも手が付けられなくなる。食い止められるのは、どう考えても俺だけだった。
(心配すんな。これは命令だ)
(大丈夫だ、何も心配ねえって、信じさせてやるのがあんたの仕事だ)
それは三日の間、俺が自分自身に言い聞かせてきた言葉でもあった。
翌朝。
近郊の丘に張られた陣中で、俺は兜の紐を締め直した。俺が直接戦場へ出るのは、ヴィクトールの即位直後に反対勢力の制圧へ同行した頃以来、つまりは数十年ぶりだ。
古来からのしきたりとして、降伏勧告文書を持った使者が夜明けと共にリヴィエルトンへ向かっている。攻撃側が書面を送り、防御側が拒否の書面を返して、はじめて戦が始まる。形骸化した無駄な手続きだと思うが、やらないと史書に最低最悪の卑怯者として名が残り、子々孫々に至るまで不名誉があるという。高貴なる人々の戦争は、街角の喧嘩とはまったく異なる何かなのだろう。
ともあれエティエンヌ率いる全軍は、張り詰めた空気の中、完全武装でリヴィエルトンからの使者を待っている。東の空で、日は既に高い。
「緊張していますか?」
武者震いする俺に、エティエンヌが声をかけてきた。だが表向き平静な王子様は、よく見れば指や足先をしきりに動かしている。戦慣れはしていなさそうだ。勝ったことがない――という話から、予想はできたことだが。
それにしても腑に落ちない。ヴィクトールは我が子に軍略を教えなかったのだろうか。いかに第五王子とはいえ、自領の反乱鎮圧等に出陣する可能性は十分考えられただろう。あいつが、子息の教育に手を抜くとはとても思えないのだが。
だがそれは、今考えるべきことではない。
「大一番を前に、緊張しねえ奴はいねえよ」
俺が笑って返したのとほぼ同時に、陣の入口がざわめいた。通された黒服の使者二人が、鎧兜姿の王子へうやうやしく書簡を差し出した。細く白い指が、赤い封蝋を割る。
「リヴィエルトン市長より回答を受領した。反逆者の軍勢は、我らの慈悲深き降伏勧告を拒否し、無為なる抗戦を通告してきた」
型通りの内容を告げる声に、隠しきれない震えがある。
だがとにかく、必要な内容を伝えることはできている。
「従って我らはここに、リヴィエルトン市長に対する宣戦を布告する。総員、部隊を展開せよ!」
震えながらもエティエンヌは言い切った。よし、合格だ――と、心の中だけで拍手を送ってやる。
陣に集う将兵が、一斉に敬礼し散開する。
戦の興奮が高まる中、中心の一人だけは取り残されている感がある。だがそれでかまわない。総大将の役目は、一緒になって騒ぐことではない。盛り上がりの火種を与え、消さないことだ。
いまエティエンヌが点けた火種は、いかにも弱々しい。だが今は、冷水でさえなければ十分だ。
俺たちはエティエンヌと共に、別働隊を率いて本陣を発った。
リヴィエルトンは東西の橋で対岸と繋がり、橋同士は広い街路でまっすぐに結ばれている。南北の港も街路で結ばれ、十字に交差する二本の大通りを中心に市街が発展している。交点の十字路では、大ホールを備えた石造りの中央庁舎が街の象徴となっている。そこが敵の本拠と推定された。
俺たち別働隊が所定の位置に着いた頃、既に本隊の戦闘は始まっていた。
陸上唯一の進軍路であるリヴィエルトン東門――「大いなる橋」東岸側からの入口で、激しい衝突が起きていた。白服のヴァロワ王家軍と、黒服の貴族連合軍とが、橋の上で押し合っている。が、優勢なのは明らかに黒の側で、城壁の長弓部隊と連携しつつ、白い者たちを大河へ次々叩き落としていく。
エティエンヌは河畔で立ち尽くしつつ、落ちていく兵たちを凝視していた。青い目は、やはりわずかに震えていた。
「いくぜ王子様。そろそろ頃合だ」
エティエンヌの背を強く叩けば、肩がわずかに動いた。我に返ったようだ。
双眸が、俺の目を正面から見据えてくる。怯えの色は意外にも消えていた。
ふと、霊山での出会いを思い出した。襲い来る飛竜を前にエティエンヌは動かなかったが、あのとき恐れの色は見えなかった。この王子様、特定の局面では勇気を出してくれるのだろうか。もしそうなら助かるのだが。
「いきましょう。総員、突入準備を」
背後で、鎧兜の動く音が重なって鳴る。考えにふける暇はない。作戦が遅れれば遅れるほど、死人は増える。
俺は両の掌を、眼前の大河へ向けて掲げた。視線の向こうにはリヴィエルトンの南岸――港が見える。今も船が何隻か停まっている。
横目でちらりと大橋を見る。戦闘は依然激しく、リヴィエルトン側の意識は完全に橋へと向いているようだ。機は整った。
身に満ちるマナを、掌へ集中させた。
全身の血が冷える。このまま氷漬けになりそうな感覚さえ、ある。
だが、今、凍るのは己が身ではない。
「はぁあああぁ、っ……!」
裂帛の気合と共に、俺は一気にマナを吐き出した。
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