不肖の息子
「アメール殿、これまで重ね重ねの非礼、どうかお許しください。私はエティエンヌ・ド・ヴァロワ、炎竜王ヴィクトールの第五王子にして後継者。あなた様の力が、我々にはどうしても必要なのです」
膝を折り、深く頭を下げたエティエンヌが言う。長いまっすぐな金髪が、後ろ頭で一本にまとめられている。髪を留める銀のバックルに、王国を統べるヴァロワ家の紋章が大きく刻まれていた。
息子であれば、面影があるのに納得はいく。ヴィクトールに子は七人いた。王子が五人と王女が二人。末の王子の名がエティエンヌだった。俺の「死」の当時、彼は四つか五つだったはずだから、記憶が薄かったのだろう。
だが落ち着いてみれば気が付いた。この息子、まるで父に似ていない。
「前王たる父が四年前に崩じて以降、不幸な事態が次々と起き……まず王太子だった長兄が、戴冠前のパレードの最中、暗殺者に弩で撃たれて命を落としました」
表情に疲れの色が濃い。鼻筋の通った整った顔だが、目つきや表情に力強さがない。高貴な人間は、普通もう少しどっしりとしているものだ。
このような虚弱の表情を、ヴィクトールは決して人前に晒さなかった。常に威厳に満ち、堂々たる体躯で場を圧していた。
そういえばこの息子、体格も見劣りする。背丈だけはあるが、身分の高い人間にしては不自然なほど肉がない。
「ほどなく次兄も何者かにより毒殺。その後家臣たちは、三兄派と四兄派に別れて相争いました。ですが身内で争う間に、西部の貴族たちが連合軍を結成し、王都へ攻め寄せてきたのです」
エティエンヌは縋るような目で、アメールことルネに窮状を訴えてくる。
見れば見るほど、この青年とヴィクトールとは別人だった。顔立ち以外に共通点を探すのが、むしろ困難なほどだ。気付いてしまえば、エティエンヌに対する怖れは急速に消えていく。
「三兄と四兄は共に捕らえられ、貴族たちに処刑されました。現在、王都は奴らの支配下にあります。どうか、我らに王都回復のための力をお貸しください。正統の王だけに許された『魔法』の力で、我らに勝利を」
そこでようやく、エティエンヌは言葉を切った。長い話だったが、要は王家が滅びかけているようだ。
だが知ったことか。二度と関わりたくはない。ヴィクトールにも、ヴィクトールに関わりある他の者たちにも。もはや昨日までの平穏な生が望めないとしても、かつての日々へ逆戻りだけは御免こうむる。
「ま、しょうがねえな。王家に統治の力がなくなれば、誰かが取って代わるのは当たり前のことだ。あんたには酷な話かもしれねえが、フレリエールの国民にとっては違うだろうよ」
「貴族連合軍は、王都を含めた占領地で苛烈な物資の徴発を繰り返しております。各地に検問所を設け、過大な通行税を徴収するなど悪政の限りを――」
「すまねえが、他人に力は貸せねえんだ」
これ見よがしに笑う。
「師匠に固く戒められてたんでな、人前で魔法を使うなって。特に権力者には絶対関わるな、ろくなことにならねえって、そりゃあもう厳しく言われたもんだ。山の中だけで生きてりゃあ、外のこととは無縁でいられるしな」
食料雑貨店での取引が、ちらちら頭に過るのを追い払う。
最近の物価の値上がり、山暮らしと無縁とは言い切れない。だがいざとなれば、香辛料もオリーブ油も諦められる。霊山だけに籠って出てこない生活も覚悟の上。かつての地獄よりは、獣に近い暮らしの方がよほどましだ。
「……では、しかたありませんね」
突然エティエンヌが顔を上げた。思い詰めた顔で立ち上がり、ちらりとジャックに目配せをする。
いぶかる間もなく羽交い絞めにされた。
なにしやがる、と叫ぶ前に、剣の切っ先が喉へ突きつけられた。鈍く光る刀身の向こう、エティエンヌが細めた目でにらんでくる。
「魔法の存在が確認された以上……アメール殿、あなたの身柄を敵へ渡すわけにはまいりません」
刀身が動き、今度は頬に押し当てられる。鉄の冷たさに肌が粟立った。
「『神の料理人』および彼がもたらす魔法は、王の力と権威の象徴。敵と協力されれば、あまりに致命的です。共闘が叶わぬなら、今のうちに滅ぼして禍根を断たねばなりません」
「非礼を詫びた、その舌の根も乾かぬうちに……か?」
言いつつ、気がついた。
刃を通して、かすかに震えが伝わってくる。見れば剣を握る手が白い。余計な力が入りすぎている。よく見れば、青い目には怯えめいた色さえ見える。
この青年、場慣れはしていなさそうだ。人ひとりを手にかけるには相応の覚悟が要る。おそらくエティエンヌにそれはない。真剣で戦ったことさえないかもしれない。
今の態度は脅しで間違いないだろうが、顔にも手つきにも気迫がない。最低限の真実味さえ醸し出せていない。
だとしたら、それは付け入る隙になりうる。未熟な弱さを揺さぶってやれば、切り抜けられる可能性はある。
「その首が落ちれば、魔法の食事を口にすることもできません。黄泉の師匠に義理立てするよりも、賢明な選択を――」
「できるのかよ、あんたに」
できるかぎりの侮りを言葉に籠めながら、俺は不敵な笑みを作った。
青い目が、大きく見開かれた。
「俺が最後の希望なんだろ。自分の手でぶち壊せるのかよ……それにな、生き物一匹仕留めるのは大仕事なんだぜ。日々山ん中で狩りをしてりゃあ、嫌でもわかることだがな」
エティエンヌの顔が、みるみる蒼白になっていく。
背後で、ジャックが息を呑む音がした。
「剣先、震えてんじゃねえかよ。それで人ひとり、殺せると思ってんのか」
エティエンヌの顔が、一瞬にして朱に変じた。
刀身が頬を離れた。高い金属音が、床で鳴った。
予想以上の効果に安堵する。相手が剣を取り落としたなら、当面の命の危険は去った――はずだった。
「殺せないとでも、思っていますか?」
エティエンヌの眉間に、深い皺がよっていた。
青い目が、異様なまでの憤怒に満ちている。さきほどまでの弱気が嘘のような、殺気だ。
まずい――と、俺の直感が告げた。だが動けない。逃れようがない。
「殺せますとも。ええ、造作もありません」
エティエンヌは空いた両手で、俺の首を強く絞めた。
今も指は震えている。だが掌全体の圧が勝る。
息が、できない。
「殺してさしあげますよ。私とて炎竜王の息子」
エティエンヌが、すさまじい笑顔で笑う。
どうやら急所に触れてしまったらしい。傷を負い追い詰められ、やみくもに抵抗して暴れ回る兎や鳥と、まとう空気が同じだ。
煽りが完全に裏目に出た。このままでは本当に殺される。
背後のジャックを蹴り飛ばそうと試みる。だが既に、足に力が入らない。
エティエンヌの、震え混じりの言葉が続く。
「反逆者の抹殺程度は簡単なこと。王権を侮った報いは――」
「エティエンヌ殿下!」
不意にジャックが叫んだ。
「ひとまず手をお放しください。アメール殿はいまだ、反逆者と決まったわけではございません!」
俺への羽交い絞めはそのままに、冷静な声でジャックは告げる。
エティエンヌの手が解かれた。流れ込んできた空気に、激しく咳き込んでしまう。
「だがジャック、この者は我々への協力を拒んだ」
「一度の拒絶で、すべてが終わるわけではございません。ひとまずは身柄を確保し、説得を続けることもできましょう」
説得、の言葉に、聞こえよがしの強調がついている。心胆がすうっと冷えた。
彼らはどんな「説得」を考えているのか。予想はできない。できないからこそ怖い。弱い人間ほど、追い込まれれば暴発する。ましてこの青年は、少し煽っただけで絞め殺しに来たような相手だ。
どうすればいい。
従えば地獄の日々へ逆戻り。だが従わなければ、怖ろしい「説得」の果てに、やはり地獄へ連れ戻されるのだろう。
「……わかった」
俺は小声で言った。だがエティエンヌとジャックは気付かない。怒る王子、宥める従者、共に他者を寄せ付けない空気をまとっている。
もう一度、声を出してみる。
「おい、聞いてんのかあんたら」
「……アメール殿?」
エティエンヌがようやく反応した。落ち着きを取り戻した様子の王子に、俺はもう一度、はっきりとした声で告げた。
「協力してやる、つってんだよ。捕まって監視されたあげく、延々『説得』されるのも嫌だからよ」
さきほどまでの憤怒が嘘のように、エティエンヌが微笑んだ。剣を拾い、鞘に収め、ふたたび膝をつく。
「感謝します、『神の料理人』よ……玉座も王都も失った我らにとって、あなたがもたらす王者の力が、唯一の希望の光」
羽交い絞めを解いたジャックが、前に回って同様に跪く。兵士たちも倣って頭を垂れる。
周りに並ぶ頭、頭、頭。居心地が悪くて仕方ない。美しい霊山とも、平穏な生とも、もうさよならだ。
いたたまれず頭上に目を遣れば、天井の穴には、暮れかけの青味がかった空が覗いていた。寒々しい星の光が、奇妙に虚しかった。
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