夢の似姿

 食料雑貨店の机の上、麻布に盛られた香辛料は、昨秋の半分足らずの量だった。横に並ぶ塩も、かめに注がれたオリーブ油も、先月と比べてさえ目に見えて少ない。

 事情は知っている。だがこれはない。便乗で値を上げてきたとしか思えない。


「量を間違えてねえか、おっちゃん」


 睨んでやれば、店主は肩をすくめた。


「このところのいくさ続きで、食品の値はどんどん上がっております。加えて荷も入りませんのでな、街道があちこちで封鎖されたり壊されたりで。これでも頑張ってはおるのですよ。それに」


 店主は机上の大きな麻袋に目を遣った。俺が前日掘ってきたばかりの、今季初めての銀華芋ぎんかいも。鮮度を落とさず王都へ持っていければ、一山で金貨一枚にもなるはずの高級食材だ。


「贅沢品の需要も減っております。アメールさんの品が良質なのは承知しておりますが、貴族の方々は皆、戦費の調達に苦心しております。芋に大枚をはたく方々は少ないのですよ」


 予想していた答えだが、あらためて聞くと力が抜ける。遠方の戦が、こんな辺境にまで影を落とすとは。

 とはいえ「アメール」の名を聞くと、少しばかり安心する。もとは苦し紛れの偽名だったが、この名で呼ばれると、己はとうに別の人間なのだと確かめられる。ルネ・ブランシャールは、もうこの世にいないのだ。

 とはいえその感慨で、交渉の行方が変わるわけでもない。


「ああ、そうかい。じゃあ」


 麻袋を開け、芋を三つばかり取り出す。土がついていてさえ、白銀に輝く肌が眩しい最上級品だ。掌に乗せると、本物の銀塊のようにずしりと重い。


「一番いいやつは持って帰るわ。買い叩かれるくらいなら自分で食う」


 店主は止めてこなかった。無言で、香辛料と塩を四分の一ほど引っ込めた。

 机上の各種香草と香辛料。塩。油。酢。どれも予定より大幅に少ない。だがこれ以上の交渉の余地も、おそらくない。投げ遣りに承諾を伝えれば、店主は銀華芋を手早く棚の奥へ隠し、引き換えの品を麻布で包み始めた。帰りの荷は軽くてすみそうだ、まったく嬉しくはないが。


「道中、お気をつけて」


 店主の言葉には、ほんの少しの翳りがあった。






 住処に戻った頃、陽は西に傾いていた。十数年前に住み着いて以来、直し直し使っている丸太造りのあばら屋は、周りの木々と共に、燃えるような橙色の光に染まっている。もっとも本当に燃えてしまったら、俺の住む場所はどこにもなくなってしまう。外の世界にいられなくなった俺にとって、誰も来ない、誰にもおびやかされないこの山小屋は無二の楽園だ。しかも、竈でそれなりの料理も作れる。野宿や洞穴暮らしではこうはいかない。

 ……料理、と考えたところで空腹に気付いた。一日歩き通しだったから無理もない。暗くなる前に夕食を作らなければ。

 小屋へ入り、机の上に荷を広げる。新鮮なオリーブ油、新しい調味料に香辛料、持って帰った銀華芋。途中経過が若干不本意だったが、今日は御馳走だ。腹の虫がひとつ鳴る。


 じゃがいものポタージュは、普通なら玉葱・牛乳と合わせる。だが銀華芋には必要ない。白銀色の皮には、玉葱よりも上質の旨味と鋭い香気が含まれている。

 川で洗った芋を手早く剥くと、銀色の皮の下から純白の身が現れる。こちらも、牛乳がいらないほどの甘味とこくを含む。一山に金貨一枚の値がつく理由だ。

 新しいオリーブ油を鍋に引き、まずは皮から炒めると、つんとくる香気がさっそく漂った。玉葱と似た系統だが、より深く後を引く匂いだ。

 皮が透き通ったところで芋も入れ、霊山の雪解け水で煮れば、鍋蓋の隙間から漂う甘い香りが徐々に濃くなる。中身を潰すため蓋を開けると、澱粉質の濃密な芳香があばら家を満たした。腹の虫がひどく鳴る。

 鍋の端に細かな泡が現れはじめた。火から下ろし、椀に注いで少量のオリーブ油と黒胡椒を散らしてやる。胡椒の刺激は、芋の甘味をより引き立てるはずだ。

 さあ、じっくり味わってやるぜ。

 椀を置くため、机の荷物を寄せる。すると小さな紙片が一枚落ちた。食料雑貨店の店主からだろうか。拾ってみる。


『逃げろ。探られてる』


 どういうことだ――考えたと同時に、小屋の戸を叩く音が響いた。


「失礼する。小屋の主人はいるか」


 いねえよ、と答えられればどれだけ楽か。

 息を潜める以外なにもできずにいると、ノックの音はますます強くなった。


「主人がいないなら、代理の者でよい。返事をしろ」


 古い扉に、そろそろ穴が開くんじゃないのか――思った瞬間、音は止んだ。

 戸の外から居丈高な声が響く。


「返事をせぬなら、入らせてもらうぞ。フレリエールの王権において」


 きしりながら扉が開いた。革鎧の兵士数人が、夕陽を背に立っている。服の端に、フレリエール王家の紋章――竜と双剣の意匠が確かに見えた。

 中央に背の高い男がいた。一本にまとめられた黄金の髪が、逆光の中で輝いている。肉のない痩せ気味の体躯が、周りの屈強な兵士たちと奇妙に不釣り合いだ。

 まっすぐな長い金髪。フレリエール王家の紋章。記憶が嫌な方向に引きずられる。逆光の闇に沈んだ顔へ、いま最も見たくない人相を、否応なしに重ねてしまう。

 いや、そんなはずはない。あいつは死んだ。この世のどこにもいないはずだと、懸命に己へ言い聞かせる。

 できれば目を逸らしたかった。ここが家の中でさえなければ、走って逃げていたはずだ。

 光がわずかに翳った。

 垣間見えた目鼻立ちは、呪わしいほどに整っていた。青い目に通った鼻筋、形良い眉や口元。俺が最も見たくなかった、まさにそのとおりの造作が、夕陽の中に現れていた。


「人を探している。ルネ・ブランシャールという老人だ」


 今朝の夢に見た相手――若きヴィクトール・ド・ヴァロワと同じ顔をした何者かは、冷徹に告げた。

 兵士が二人、踏み込んでくる。手中に枷を持っているのが見えた。

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