1−2 あだむ・えいべる
二十年前のその日、僕たちはいつものように山の洞穴に集まり、その小高い場所からミナミの町を見下ろしていた。見るたびに、あれが麦ならどれほどいいかと思わせる米畑は、雨に霞み、その間の細い道を、忙しそうに荷を積んだ車が行き来している。
かーん、かーんと、間延びした高い音は、新しい教会の棟木が組まれる音で、僕たちはその音を聞きながら、死んだ友達のことを考えていた。教会ごと崩れた土砂に埋もれ、死んでしまっただろう友達のことを。
しかし、冷たく聞こえるかもしれないが、僕たちは悲しみに暮れていたわけではなかった。無論、その年の雨は特別で、いつもより大くの死者を出したけれど、この国では珍しいことじゃない。
毎年、雨の季節になれば、どこかの山が崩れ、誰かが生き埋めになり、濁流に流され――これは下水道のないミナミだけかもしれないが――肥壺から溢れた汚水が熱病を運んでくる。病院は一つ、教会が経営するものがあったけれど、そこにかかるだけの金などないミナミの人々にとって、命というものは埃よりも軽く、金よりも親しい友だった。その友が、今年も大勢の友達を連れ去った、ただそれだけのことなのだ。
だから、僕たちが考えていたのは、友達のことというよりも、彼らを埋めた土砂のことだった。もっと言えば、それは崩れた山の上の教会のことで、そんなことを考えているうちに、しりるがぽつり、独り言のように呟いたのだった――教会の下には何かがある、と。
問題も過程もすっ飛ばして、しりるが答えを口にするのは毎度のことだったが、それでもこのときばかりは、皆が同じように首を傾げた。あんでぃに、まりあ、それに原始人のじょん。もっとも、じょんがどんな反応したかなんて覚えてるわけもないけれど。
ともかく、僕たちの反応を見て、しりるはようやく問題の方を口にした。どうして山の上の教会は、山の上にあったのか、それを考えていたんだ、と。それから、こう続けた――だって、雨が降れば山は崩れる、分かりきったことだ。だから、ましゅー・ぺりーの時代に建てられたという、あの山の上の教会は、いままで崩れなかったのが奇跡だったというくらい、持ち堪えたと言っていいだろう。でも、そもそもどうして僕たちの先祖は、大切な教会をそんな場所に建てたのか、不思議じゃないか?
それはまあ、言われてみれば確かに――と誰かつぶやいただろうか。しりるはさらに熱を高め、今度は答えに辿り着くまでの過程を語り出した。
ねえ、だって考えてもみてよ。あの山の上の教会に行くためには、あの何百段もある、急な石段を登らなきゃならない。そんなの、どう考えたって不便じゃないか。そもそも、各地に教会を建てたのは、この島に神の教えを広めるためだったのだから、行きやすい場所のほうがいいに決まってるだろ……いや、それ以前に、あの何百段もの石段を作る労力だよ。まず石段を作り、その石段で、山の上まで教会を作る資材を運ぶ。費用も労力も、平地に建てるのとは桁違いだ。なのに、どうしてそこまでして、山の上に教会を建てたんだろう。
堂々巡りに、友達の死を思っていた僕たちとは裏腹に、しりるはずっと、そんなことを考えていたらしかった。建てるのも不便なら、通うのも不便、そんな場所に教会を建てたのは、それが絶対にあの山の上になければならない理由があったからだ。崩れる危険性があったとしても、それを超える絶対の理由があったからだ、ということを。そして、その答えがあのつぶやきだった。教会の下には何かがある、という。
話にまず食いついたのは、もちろん、あんでぃだった。何か? 何かだって? そんなもん、絶対お宝に決まってるだろ! それなら、いますぐ行ってみようぜ、なあ?
勢いに、しりるは楽しげに笑った。けれど、それから真面目な顔に戻って、首を傾げた――そう、お宝って表現は俗っぽすぎるかもしれないけれど、それに相当するものだとは思う。とは言っても、重要なのはその場所だよ。教会じゃなく、教会の下、僕がそう考えたのは、あそこに教会を建てなければならなかったっていう事実があるからだよ。教会に何かを隠したかっただけなら、そこに建てる必要はない。秘密はあの山の上、その場所そのものにあるはずなんだ。
場所そのものに秘密があるという、しりるの言葉は、正直、よく分からなかった。けれど、そんなことはどうでもいいと言わんばかりに、さあ行こうと言わんばかりに、あんでぃは雨の中へ飛び出した。
しりるが色々なことを考え、思いつく天才なら、あんでぃはその考えを実行に移すことの天才だった。確かめようぜ、やってみようぜ、あんでぃはまるで口癖のように、何事に付けてもそう言った。僕はそれにただついていくだけで――いや、その前に、一悶着起こすのが、まりあだった。意気投合するしりるとあんでぃが面白くないと言わんばかりに、美しいまりあは、いつもその美しい顔をしかめ、水を差すのだった。
ちょっと待ってよ――そのときも、まりあはどこか大人ぶったような声で、あんでぃを止めたと思う。そして、うんざり顔で振り向いたあんでぃを諭すように言った――しりるの意見は正しいと思うけど、それを探しに行くのはどうかと思う。あそこは立ち入り禁止になってて、誰かに見られたら停学処分だってあり得るかも。
美しいまりあを、これもまた美男子のあんでぃが睨みつける。学校の噂では、この二人は恋人同士だということになっていたけれど、普段の様子を知っている僕は、それが事実じゃないと思っていた。
何せ、あんでぃが何かしようとするたびに、まりあはそれを制止するか、反論するか、あるいは馬鹿にするかのどれかで、そんなまりあに、あんでぃも遠慮なく言い返したり、睨んだりする。恋愛なんてとてもじゃない、二人が好き合っているとは、とても僕には思えなかったのだ。
それはその日も同じで、そこでしりるが口を挟まなければ、一触即発、いつものような口喧嘩が始まっていたことだろう。けれど、そのときはしりるの言葉がまりあを黙らせた――いや、逆に雨が続いていて山へ入るのは危険だからって、教会跡は立ち入り禁止になってるんだ。だから、誰にも見られる心配もないし、行くならいまが最高の機会かもしれないよ。
それを聞いたあんでぃは、勝ち誇った笑みを浮かべると、停学処分が怖いやつは来るなよ、と、まりあをからかった。
となれば、勝ち気なまりあが黙っているはずもなく――行かないなんて言ってない、怒ったようにそう言うと、すぐに雨の中に飛び出した。置いてかれては困ると、僕も慌てて立ち上がった。
そうしてすぐに外へ出たのは、じょんを置き去りにしようという僕の意識が働いたせいだったけれど、それを知ってか知らずか、しりるは、じょんはどうする、と彼に尋ね、結局、この原始人もついてくることになってしまった。
あんでぃを先頭に、雨の中、僕たちは小走りで崩れた教会を目指した。洞穴から、一つ山を越えたその場所を、町から見通せる場所を避けるように、滑る斜面を駆け上がり、尾根を越え、再び今度は斜面を下った。
地面には何本もの小さな流れができており、遠くからは轟々という音が聞こえ、いつ地滑りが起きても不思議ではない状態だった。小降りに見えた雨は、探検に出かけるには十分すぎるほど強く、初めは教会の秘密について推測し合っていた三人も、徐々に口数が減っていった。
黙々と三人の背中を追いながら、そのとき僕は、しりるのお情けでついてきた、じょんに苛立っていた。
僕の背後をひたひたとついてくる、この原始人をどうにか置き去りにできないか――もちろん、置き去りにしたところでどうなるわけでもないのは分かっていたけれど、それでも万が一、濁流に流されて死んでくれないかとか、滑り落ちた岩の下敷きになってくれないかとか、そんなことを本気で願っていた。
とはいえ、それはじょん個人への憎しみと言うよりは、原始人自体への憎しみだった。やつらの醜い顔に短い手足、おまけに頭も悪い黄色猿に、生きる価値なんか感じられなかったし、そんなやつらと僕が同国人だということにも耐えられなかった。だから毎年、建国記念の日に飾られた、ましゅー・ぺりーの人形を見ると、感謝そっちのけで、こう聞いてみたい衝動に襲われた――なぜ、あなたは原始人を皆殺しにせず、共にこの国を作ったのですか、と。
もっとも、正確に言えば、じょんはましゅー・ぺりーがやってきた当時、この島に住んでいた原始人よりましではあるはずだった。文字も持たず、文化も持たず、ほとんど裸の状態で暮らしていた彼らは、人と言うよりは猿の方が近かった、というのだから。それに、さらに言うなら、そのとき彼らの低すぎる知能は、彼ら自身を絶滅の危機に追い込んでいた。山の木々を伐り、動物を狩り、自然破壊の限りを尽くしてきたせいで、山は崩れ、動物はいなくなり、当の原始人も生きる場所を失おうとしていたのだ。
ましゅー・ぺりーがやってきたのは、まさにそんなときだった。あの国からやって来た彼らは、その猿共を哀れに思い、この島に碇を下ろすことを決めた。当時から文明が発展していたあの国では、自然の大切さも、それを守る文化も、当たり前のようにあったからだ。
そうして、僕たちの先祖はこの島で生きることを決断した。とはいえ、その道のりは苦難の連続だった。何せ、この島をあの国のような素晴らしい場所にしようとも、目の前にいるのは言葉すら通じない猿なのだ。それでもぺりーたちは何とか教会を建て、彼らに偉大なる神を教え、自然から奪うのではなく、家畜を飼い、作物を育てることによって糧を得るということを教えた。けれど、ここにも困難はあった。
育てようとしたのは、もちろん神の糧である麦だったのだが、原始人による長年の環境破壊により、大地はその麦を育てる力を失っていたのだ。仕方なく、ぺりーたちが麦の代わりに蒔いたのが、米だった。味も栄養も、あらゆる面で麦には劣るが、どんな土地でも雑草のように育つ米。そうして、徐々に人間らしさを覚え始めた原始人と、ぺりーを含め、あの国からやってきた人々は、互いに血を混じらせながら、共にこの国を作り上げたのだった。
それが――あの国と、この国という、二つの国の関係で、二つとも、同じ人々が作った国だというのに、一方は良く、一方は悪いのは、そういうわけだった。この国には原始人の血が混じっている。それが、この国の悪いところのすべてで、あの国のように良くならない理由なのだ。
それは百五十年経ったいまも同じだった。僕たちの血は混じり合い、原始人の血はほとんど消えてしまったように見えたけれど、それでも時折、じょんのような人間は生まれ、いまを生きる僕たちに、その醜悪さを教えた。思うに、原始人という存在は、ましゅー・ぺりーが犯した罪の象徴なのだ。
そして、主はその罪を咎め続けている。その証拠に、いまも僕たちは良くなれない。主の御心に沿い、その罪を贖うまで――すなわち、原始人の血を、すっかり絶滅させてしまうそのときまで、僕たちは悪いままなのだ、と。
轟々という音は、先へ進むほどに大きくなり、そうするうちに、僕たちはその音の発生源に突き当たった。それは石段を落ちる、滝のような泥水だった。表土が流れ、ごつごつした岩が剥き出しになった山肌で、雨水はその速度を増し、石段を水路として真っ逆さまに落ちていた。まるで、主の怒りが、ミナミの町を沈めてしまおうとでもしているかのように。
それを見ぬふりをして、僕は三人の後ろ姿を追った。石段の脇の斜面を、滑りながら登り続けた。もしかしたら、突然、足元の地面が崩れてしまうかもしれない――あるいは鉄砲水に呑まれてしまうかもしれないという危険は十分に感じていたけれど、それでも歩き続けた。ここで後戻りをすれば、僕は永遠に泥水に囚われ、二度と地上へ上がれないような気がした。主よ――祈りながら、僕はひたすら足を動かした。
と、先を行く三人の足がぴたりと止まった。立ち止まったというよりは、呆然と立ち尽くしているというような雰囲気が、その後ろ姿から見て取れた。焦り、僕も駆け足でその隣に追いついた。そして、同じように立ち尽くした。
目の前に広がった光景は、僕たちの不安も、期待さえもはるかに超えていて、何と言い表せば良いのかさえ分からなかった。例えば、それは何か巨人の手のようなものが、ごそりと山を抉り取ったような景色で、目に映るのは土と岩の塊ばかり、お宝どころか、ここにはもう何もないのだ――一目でそう理解させられるような光景だった。
何もないわよ、まりあがその絶望を言葉にし、腕を組んだ。さあ、あなたたちはどんな申し開きをするつもり、とでも言いたげな顔で。
それに反応したのは、やはりあんでぃだった。まだ何も調べてないだろ、と怒ったようにそう言うと、泥と岩の中に踏み出し、あるはずもない何かを探し出した。お前もやれよと言わんばかりに、あんでぃの視線が飛んできたので、仕方なく僕も教会だった瓦礫の辺りにしゃがみ込んだ。
急に雨が冷たく感じられ、指先に触れた泥はさらに僕の熱を冷やした。こんなところに何もあるわけがない。そうしながら、しりるは何を思っているんだろうと、こっそり彼の方を見ると、何か考え込むようにじっと雨の中に佇んでいるだけで、帰ろうと言い出す気配はなかった。そのまま時間は過ぎ、僕は苛立ちのため息を何度も飲み込んだ。気づかれないように一人で帰ってしまおうか、とうとうそう思い始めたときだった。
あんでぃが何か叫び、同時に、顔を上げたしりるが、一足飛びにそこへ駆けつけた。僕も、顔をしかめたままのまりあも――そして、僕たちはその不気味な暗闇を目の当たりにした。泥水が流れ込んでいく岩の下、ぽっかりと口を開けた洞窟の入り口を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます