1、 あだむ・えいべる
教会の下には何かがある――初め、そう言い出したのは、しりるだった。
新しいことを見つけるのは、いつもしりるだ。どうしたら紙飛行機が遠くまで飛ぶかといったことから、ある種の鳥が旅をすること、住んでいる場所によって見える星が違うことまで、しりるはいつでもその答えを持っていて、僕たちにそれを教えてくれた。それも得意ぶらずに控えめに、あの静かな優しい声で。
僕はいまになって、あの頃がとても懐かしいような気がする。ミナミという、この最悪の国の中でも最悪の肥溜めに生まれ、米という、不味い穀物しか食べられない日常で、毎週日曜日にだけ、教会で配られる一切れのぱんを待ちわびていたあの日々。
僕たちは僕たちでしかなく、原始人も原始人でしかなく、この国は悪く、あの国は良いと、無垢に信じることができたあの時代が。
誰も信じてくれないかもしれないけれど、あの頃、僕としりるは友達だった。ミナミに生まれながら、天才と呼ばれたしりると、僕は本当に仲が良かったのだ。それに、あんでぃ、まりあ、それに原始人のじょん。
僕たち五人は、山の中に見つけた秘密の洞窟に集まり、だらだらと日曜の午後を過ごしたのだった。配られたぱんを持ち寄って、雨が降ればすぐに濁る川の水を啜りながら、この国の悪口を、あの国への憧れを熱を込めてまくし立てた――なあ、この国に生まれたことは不幸でしかないよな、あの国に生まれてさえいれば、人生、楽勝だったのに。
もちろん、僕たちは子供だったから、その多くは大人たちの受け売りだったし、もっと言えば、話していたのは僕とじょん以外の三人だった。しりると、美人で、おまけに女子では成績一番のまりあ、それにミナミとは正反対の高級住宅地、キタの住人だった、あんでぃ。
そんな三人に僕が加わっていたのだから、傍から見れば、それはとても奇妙な集まりだったに違いなかった。もっとも、いくら天才だといっても、しりるはミナミの生まれだったし、まりあは教会の孤児院で暮らす、孤児だったから、僕といてもそこまでおかしくはなかったかもしれない。
けれど、そこに加わったあんでぃはといえば、何とオーサカ議員の息子で、本来ならば、僕たちのようなミナミの人間と友達になるどころか、口をきけるような相手じゃないはずだった。いや、そもそもミナミの人間が行くような学校に、キタの住人が来ることはないのだ。けれど、どういうわけか、あんでぃはミナミの学校に通い、僕たちと友達になったのだった――もちろん僕たちというよりは、天才しりるの友達だったのだけど。
しりると、あんでぃ、そしてまりあ。学校の先生や生徒だけじゃなく、皆に一目置かれている、そんな三人の有名人の中で、恥ずかしいことに僕は成績も悪く、金持ちでもない、良いところなんて何もない、凡人だった。にも関わらず、彼らの仲間に入れてもらえたのはなぜかというと、それは優しいしりるのお情けのおかげだった。
もちろん、しりるはそんなことを匂わせるどころか、おくびにも出さない。けれど、持っているものなど何もない僕は、そう考えるしかなかったのだ。しりるは誰でも――それが原始人のじょんであっても――分け隔てなく接する優しい人間で、その分け隔てのなさが、僕にもあてがわれただけだったのだ、と。
けれど、だからといって、しりるが誰でも友人にしてしまうのかと言えば、それは決してそうではなかった。
幼い頃から天才の一端を見せていたしりるには、良からぬ思惑で近づいてくる人間が多すぎて、そのせいで彼は人間不信のきらいがあった。要するに、しりるが天才で、将来はあの国へ行く公算が高いと踏んだ卑しいミナミの人間は、こぞって幼いしりるに、その両親に媚びたというわけだ。あの国へ行けば、大金が稼げる。その大金のほんの一部分でいいから、おこぼれに与りたいと、そんな一心で。
しりるが僕を友人として選んだ理由があるのなら、きっとそのあたりの事情も絡んでいたに違いない。誰もがしりるに媚びる中、それをしなかったのが、僕や僕の両親だったからだ。
もっとも、それは「天の父は、貧しさの中にあっても清く、正しく生きよとおっしゃっています」だなんて、教会の教えを真に受けていたわけじゃない。そうじゃなく、僕たちはただ弱く臆病で、おまけに立場の低い一家であるというだけだった。オーサカの肥溜めと、そうひとまとめで呼ばれるミナミにだって、ちゃんと貧しさや立場に上下はあるのだから。
つまり、僕たちはおこぼれに与ろうとすることさえできない、いや、もしそんな素振りを見せれば、すぐ他の人間に生意気だと締め上げられてしまっていたに違いない、底辺の一家だった。
けれど、しりるという友人に対しては、その環境が功を奏した。しりるは、僕を友人に選び、ずっと病気だった彼の妹が死んだ後は、そのぱんを分けてくれさえした。もっとも、その二つに分けられたぱんの片方は、その洞窟に来ることを許された最後の一人、原始人のじょんに与えられたのだったが――。
あの日のように、そぼ降る雨に打たれながら、僕は灰色の空を見た。冷たい泥に仰向けになったまま、体の感覚がなくなっていくのを他人事のように感じていた。
追憶をかき消すように、あたりからはもうもうと煙が上がり、遠くからは男たちの怒声が聞こえた。瓦礫をどかせ、こいつは頭が潰れちまってる、こっちの子供はまだ息があるぞ、早く病院へ運ぶんだ――。
今日は、週に一度、ぱんが配られる日曜日で、このミナミの教会には、ミナミ中から大勢の人々が集まっていた。大人も子供も、男も女も、杖をついた老人も。僕はと言えば、ぱんが配られるよりもずっと早い時間にここへ来て、主へ祈りを捧げていた。
それはあるときを境に、僕の日課となってから、いままで続いている習慣だった。それから、いつものように列に並び、楽しみにしていたぱんを受け取った――と、そこまでは覚えている。
しかし、次の瞬間、目の前は真っ白になり、次に気づいたときには、僕は地べたへ倒れていた。爆弾、そんな単語が頭に浮かんだのは、無音に思えた空間が、一気に騒々しさを取り戻してからだった。
そうだ、あの忌々しいオーカミが、各地の教会を爆破している。その牙が、このミナミの教会にも向けられたに違いない、と。
霧がかかっていく意識を懸命に留めるように、僕はあの頃のことを思い出そうとした。
そう、ミナミ中心にそびえ立った教会は、二十年ほど前に立てられた、新しく、とても美しい建物だった。もちろん、それまでもミナミに教会はあったが、それは古く、行くのも不便な町外れの山の上にあった。何せ、その山の上の教会は、僕たちの先祖がこの島にやってきた当時に建てられたものだったのだ。
しかし、その山の上の教会は、大雨で山ごと崩れ、跡形もなくなってしまった。その麓に住んでいた人々まで巻き込んだ、大規模な土砂崩れとなって。
奇しくもその年は、この国の建国百五十年という特別な年で、各地の教会ではその記念日に向けて、お祝いの準備が進められていた。黒い船を模した飾りや、麦の穂を手にした、ましゅー・ぺりーの人形があちこちに吊され、教会ではいつもよりも多くのぱんが焼かれ、葡萄酒の瓶が運び込まれた。
それはあの国から海を渡り、この島を発見し、さらにはこの国の建国に力を尽くした、僕たちの先祖を称える祭りなのだ。この国に文明をもたらし、神の糧である麦をもたらした、ましゅー・ぺりー一行を。
しかし、そんな折に起きた土砂崩れは、僕たちのお祝い気分を一気に吹き飛ばした。用意されたぱんも、葡萄酒も、そのすべてが一夜にして土砂に埋もれ、ミナミの建国百五十周年記念日は台無しになった。
後々聞いたところによると、トーキョーの大教会では、花火が打ち上がり、人々には際限なく、ぱんが配られたらしい。
他の教会――ナゴヤにオーサカ、ハカタの主要な教会でも、たくさんのぱんに葡萄酒が振る舞われ、それは大層なお祭り騒ぎだったという。だというのに、僕たちの記憶に残ったのは、血と泥の染みだった。それから、僕たちがあの教会の下で見つけてしまった、悪魔――。
主よ、どうかお許しください――冷たい体に震えが走り、僕は思わず天に祈る。主よ、慈悲深い天の父よ、罪深き僕たちをお許しください、この世に悪魔を放った罪を、どうか洗い清めてください。
けれど、いつものように天は答えない。答えないまま、雨粒を落とし続けている。望みを絶たれた者のように、僕はその冷たい粒を受け止め続ける。
もし――もしも、あの年、あれほどの大雨に襲われなければ。あの山の上の教会が崩れなければ。
そして、僕たちがあの教会跡に行かなければ。
その記念すべき年は、僕たちにとって、お楽しみが台無しになっただけの、それでも誇らしい記念日として、記憶に残ったのかもしれない。そして、その先の未来もまた、別の表情を見せたかもしれない。あの国は良く、この国は悪いまま、美しい教会だった瓦礫が僕を押し潰すこともなく――。
――教会の下には何かがある。
あのときのしりるの声が、頭の中でこだまする。幾分かの無邪気さをもって、悪魔の潜む場所を見つける。
行くな、僕は声にならない声で言う。それは主への裏切りになるぞと、歯を食いしばりながら。
しかし、その小さな後ろ姿は振り向くこともなく、一列になって、土砂降りの向こうへと消えていった――。
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