第21話 池魚之殃

 心愛は染めたての金髪を振り乱しながら暴れる希夢を必死で止めていた。


「離してくださいッ! やっぱり私のせいなんですよッ!」

「違うから! ちょっと落ちついて!」


 希夢はインベントリから短刀を取り出して、自らを傷つけようとしていた。


[呪詛の短刀ガルバルディ]はヒットポイントバリアを容易に貫通する★4のナイフだ。敵対する意志のない者に必殺の一撃を放つ効果があり、ある意味でレアアイテムだった。

 骸骨には効かないことも理由だが、デメリットが多い為、多くのギルドは基本的に手放す、通称「裏切れるナイフ」。

 それがギルドインベントリにあるのは彼女達の結束の証だった。


「まだ何か方法があるかもしんないでしょ! やめなさいって!」


 自殺は天使に逆らうことを意味している。その罰はゾンビ化だ。

 彼女達プレイヤーはある意味で死霊骸骨と同じ不死者である。

 魔神討伐のその日まで、それは終わらない。

 錯乱する希夢をマイルームの畳に押さえつけた心愛は必死に自殺を食い止める。


「あんたのせいじゃないっ! そんな事してあたしらが喜ぶと思ってんの! ふざけないでッ!」

「だって! 絶対に私のせいなんですよッ!」

「そんなわけないッ! ぎぃっ!」


 心愛は錯乱する希夢が振り回すその刀身を躊躇なく握りしめた。赤い血が吹き出し希夢の顔にパタタと降りかかる。


「あ…わ、私、私ッ!! ご、ごめんなさいっ!! ごめんなさいッ!! 私、私ぃぃ…!」

「っ、あはは。こんなの痛くないし、あんたの涙の方がよっぽど痛いよ…。だから落ち着いて」


 そう言って、心愛は希夢の顔に滴り落ちた血を拭いながら笑った。


「心愛先輩…んっ…」


 そして心愛は希夢を抱き起こし優しく語りかけた。


「もう少し抗ってみよ? ね?」





 心愛はその男の笑みを見るなり尾けられていたことを悟り、希夢を守るように抱き寄せた。


「…出待ちか」


 出待ちとはログイン場所の特定であり、明確な悪意のあるストーカー行為のことを指す。


「ああ、そんな事しないよ、★5のココアちゃん」


 ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる男が、心愛と希夢を品定めするように見回してくる。

 いつもなら無駄に空回りするポンコツギルドリーダーはここに居ないが、逆に都合がいい。


「契約者殺しって言わないだけあたしの評価は上がったわよ。良かったわね」


 心愛は腰に片手を当て、半眼のままサラリとした前髪を掻き上げながら状況を把握する。

 正面をコンクリートブロックで覆われた細路地の左右を、見覚えのない、でもあきらかに天使の加護を受けている奴らが塞いでいた。

 目の前の男以外、全員が目出し帽を被っていて、顔は伺えないが、目には欲望の色が見える。口角は上がっていて鼻息は荒かった。


「あんた達、女を口説くには無粋よね。それでも勇者なの?」

「ああ、恥ずかしがり屋ばかりでね。そこは許してやってくれないか」


 心にも無いことのように平坦に言っているが、薄ら笑いを浮かべるこの男達の狙いくらい知っている。

 だが、女子だけのギルドである[戦乙女Z]は、この手のちょっかいを掛けられた経験は一度や二度ではない。


「はぁ……何あんたら、女二人を集団でマワす気?」


 ゾンビではないプレイヤーに干渉するのは明確な天罰対象だ。ゾンビに陥ることくらいファーストならみんな知っている。

 戦乙女Zのメンバーはこの死なない戦いが始まった頃に、散々そういう目に合ってきた女子ばかりだ。

 セカンドが投入されれば、間違いなくこんな奴らが出てくることはわかっていた。


「男の癖に情け無いっすねぇ!」


 一昔前なら条件反射のように身を竦めて硬直し、怯えてしまう希夢だったが、今は違う。

 しかも今日は金髪と長いネイル装備とクリア後の高揚感と心愛の愛で満たされていた。

 顔を傾け、頭を仰け反らせた希夢は、男達をああん?と見下す。

 何度も死地を通った者は覇気に威風を纏う。

 目出し帽の男達は少しだけ身体を強張らせた。やはりこいつらはセカンドだ。

 

「ははは、嫌がる女の子を無理矢理だなんて、元いじめられっ子か特殊性癖の奴しか喜ばないよ」


 ただこの目の前の男だけは別だ。

 佇まいからファーストに違いない。

 おそらくセカンドを唆したのだろう。


「…じゃあ何が目的なのよ」

「僕と契約してくれないかな?」


 契約。それは男女間でしか行えない天使の用意した新愛を糧にし精魂を交わす儀式だ。

 本来、この地上世界の生物は肉体に心が従属するシステム下にある。

 もし地下世界で契約を交わせばそれは男女間の魂を置換し、互いの心に肉体を従属させ屍体ロストを免れる事ができる祝福でもある。

 だが、それは恩恵でもあり呪詛でもあった。

 契約の上下関係によってはただの主従契約であり、隷属でしかない。

 ふざけてるのかと、心愛の目がいっそう鋭く光る。


「あんたも躾られたいわけ?」

「はは、僕はわんわんマンさんみたいにドマゾじゃないんだ。それは勘弁して欲しい」


 男はヒラヒラと手を振って股間を押さえた。

 慣れない戦闘や屍体化の恐怖の中、自分と向き合った事で性癖を自覚し発露するプレイヤーも多いが、マゾ化とサド化はこの神託における精神安定のための自己防衛でもあった。


「ところでシェアなんてして大丈夫かい?」

「…何の話よ」


「知らないかい? マイルームをシェアなんかしたら人数に反比例するんだ。二人ならおよそ12時間、みたいにね」

「はぁ?」


「つまり、水晶トイカプセルにはならないけど、ゾンビにはなる。天使様は引きこもりを許さない。知ってるよね? マイルームにもそれは有効さ」

「なっ…」


「ブラフっす! そんな事どこにも書いてなかったっすよ!」


 希夢の叫ぶ通り、攻略スレや考察スレには書いていなかった。ブラフや誤情報が混ざっていることが多々あるが、大半の人は情報がないと動けない。

 それは現実のSNSと何ら変わらない。

 盲信して間違えれば屍体行きだ。


「ははは、アングラ板は見て無いのかい? 普通に考えてみなよ。マイルームは天使様の起こした奇跡なんだ」

「天使様ってあんた…」


 この災禍とも言える事態を引き起こした原因に対して天使様と呼ぶのは、適応した一部のプレイヤーのみだ。

 それは攻略組と面識があることを意味していた。


「情報操作ってやつか…」

「ははは、ガチャでも契約者でもない他人を、許可なく箱庭に招いたら罰が下るのは当然だと思わないかい? くくく…」


 馬鹿にしたような、見下したような男の態度に、心愛と希夢の表情は強張った。

 ログインするためには外出が欠かせないが、中には恐怖によって引き篭もる人もいた。

 その末路を思い出した。


「つまりでシェアすると、残り約4時間程度。合ってるよね?」


 合っている。

 同じ場所でログインしているルミカも換算すれば、その認識は正しいと心愛は息を飲んだ。

 しかもそれは時空圧差と呼ばれる地下世界の時間の話であり、現実ではもう一時間ほどしか残されてはいない。

 心愛の腕の中、希夢は顔を真っ青にさせて震えていた。

 その情報は希夢のもたらしたものだったのだ。


「あんたっ…!」


 咄嗟に出た心愛のセリフに被せるようにして、男は両手を広げた。


「ま、つまりすぐに喜んでその身を捧げるか、喜んでオドを求め彷徨うゾンビとなるか。好きに選んでいいよ」


 ──まあ、セカンド達が襲うってのはおすすめしないけどさ。

 みんな童貞だし、ちょっと乱暴かも。


 そう続けたのは、心愛がスマホを出したからだった。


「それに、男はいつだって従順でエロい女の子を求めてるからね」


 男は更にそう続けていやらしく笑った。



 心愛は希夢を抱き寄せながら宙を眺めていた。

 手に着いた血が制服につかないよう気をつけながら考えていた。

 だが、これといった解決方法は浮かばないまま時間だけが過ぎていく。


 セカンド達に襲えばゾンビになるぞと伝えても薄ら笑いを返すだけだった。

 おそらくもう復活の手順でも聞かされたのか、レベルアップに付き添ってもらったのか、信頼と性欲は揺らぎそうになかった。

 

 ここでログインしてるはずのルミカは帰って来ない。一つの賭けとして、マイルームに戻ったのもあるが、もう出たのかもしれない。


(何かないか…)


 ギルドメンバー全員がユニークスキル待ちなのはファーストには知れ渡っている。

 ブラフや尾鰭なども多分にあるが、真実もある。特に萌音と心愛は回復系のレアスキル持ちだ。

 交尾に勤しむ攻略組が動き出せば、きっと確保に動き出し、狙われると思っていた。

 だから出来るだけ一人にならないようにと考察スレなどを覗いて方策がないか探していて、マイルームがシェア出来ると飛びついたのに、それが罠だったなど思ってもみなかった。


(あいつらの狙いは多分あたしなんよな…)

「──だからあたしが出ていけば…」


 ついそんな言葉が溢れてしまったことに、心愛はハッと気づいて口を塞いだ。

 希夢を止めたのに、これでは一緒だ。

 だが希夢はぼうっとした様子で明後日の方をふわふわと眺めていた。

 

「ちょ、ちょっと! 嘘嘘! 冗談じゃん! それにまだ本当かどうか検証してもないでしょ! そんな深刻な顔しなくてもいい──」

「心愛先輩」


 希夢は心愛の顔を見もせずに冷たい声を放った。その真剣な横顔に心愛は一瞬たじろいだ。


「な、何よ…」

「あれ見てください」


 希夢の視線の先には、白い洋風の扉があった。

 ここは一昔前に起きた問題のせいで廃部になった元茶道部。

 だからその内装の全てが和風だった。

 そこにメラミン合板の嘘臭い人工の白の化粧と銀色のドアノブはよく目立つ。


「扉…? こんなんあったっけ…?」

「無いっす。それと思ったんですけど、あの妖精、ログインの時はいたっすよね? さっき帰ってきた時もっすけど、居なくないすか…?」


 死を覚悟したレイドに疲れていたのか、その存在を二人ともすっかり忘れていた。天使の手先でしかない妖精など、心愛にとってどうでも良かったが、居ないとなると何か不吉な気がしてならない。

 マイルームをぐるりと見渡した後に、心愛はじっと希夢を見た。


「な、なんすかその目は! 私何にもしてないっすよ!」

「だいたいみんなそう言うんよ」


「こ、心愛先輩も運悪いじゃないすか! だいたい運が悪く無い人なんていないっすから!」

「そう、そうなんよ。わかってるって」


 希夢のいつもの様子に安心した心愛は、獰猛な笑みに変えた。

 [戦士]としての反骨心が、身体に満ちていた。


「こ、心愛先輩…?」

「ほんっと腹立つッ…!」


 天使によって追加された機能は、基本的に試すしか方法がない。武器やアイテム、クラスにはフレーバーテキストがあるにはあるが、それも使用してみないと本当のところはわからない。

 だからこそ考察班と名乗るプレイヤーが掲示板に気づいたことや感じたことを記していた。

 だが、この地下世界は、自らの体験こそがどこまでも真実だった。

 それを思い出したのだ。


「ど、どう、します…? もしかしてこれが罰っすかね?」

「…いや…ちょっと待って。何か聞こえない?」


 扉の奥からは、何か得体の知れない音が、断続的に聞こえてくる。


「…とりま、開けてみよっか」

「えっ…? いや、あ、あの…これ…」


 心愛はごくりと喉を鳴らさないように気をつけながら、その白い扉のドアノブにそっと手をかけた。

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