第20話 青息吐息

 第三層を攻略し、マイルームに戻ってきた心愛はすぐに目の前の畳にダイブし、大きなため息を吐いた。


「はぁぁぁ──だっるぅ…」

 

 心愛と希夢が通う友永女学院には廃部になった茶道部の部室があり、そのデザインを模した十畳程の畳がそこには広がっていた。


「ほんと大変だったなぁ……」


 心愛はマイルームをシェアしていた同じ学校の後輩でもある希夢にそう溢した。


「集団戦ってやっぱり難しいっすね…」


 早速とばかりに血濡れの防具を脱ごうとしていた希夢はいたん手を止め、ため息混じりにそう答えた。

 いつもよりゆっくりと着替えている希夢に気づいた心愛は疑問を口にした。


「…幻痛?」

「あはは…怖かったなぁって振り返ってただけっすよ」


 可愛らしい水色の下着の下、生白い肌の傷は綺麗さっぱり消えていた。

 だが痛みの記憶はなかなか消えはしない。

 天使の用意した身体は、いわば魂の身体だ。

 魔神討伐の為に用意されたその身体は加護で覆われているが、攻撃判定の閾値を超えると現実世界の痛みより何倍も大きな痛みが鋭く突き刺さる。

 「冷たい熱」と表現されることもあるその痛みに耐えきれず折れるプレイヤーも多い。


 大の字でうつ伏せになっていた心愛は、希夢の着替えを眺めがらゴロリと身体を横にし頬杖をついた。


「それにしてもさぁ、いきなりチェンジとかさぁ、なくない?」

「こんなことあるんだなって学べたっすね」


 ガチャ、レイド、マイルームと共に最近になって導入されたのがギルドシステムだ。

 四名以上のメンバーの承諾が有れば結成でき、同じギルドなら全員分のアイテムを共有できる仕組みで、ギルドインベントリと呼ばれていた。


「希夢はポジ過ぎでしょ…」

「焦ったっすけど、生きて帰れましたし…」


 事前の作戦通り、トレインした骸骨をチェーンで一纏めにし一気に殲滅するつもりが、突如としてルミカのメインウェポンであるショベルに変わったのだ。

 それで戦線が崩壊し、真咲、日由子が倒れた。

 これは許されざる暴挙だ。


「しかもさぁ、四層攻略済みとかほんっと意味わからんし」

「そう、っすね…。けど、五層ならまたいい武器当てるんじゃないすか?」


 インベントリにあるのは名前、★、レベル、スキル、クラスのみで、プレイヤーの細かなステータスはわからない。

 だが、ルミカの引きは間違いなく強い。

 それはギルドメンバーの共通認識だ。

 幸運値など、知る術は今のところはないが、不幸な体験しかしてこなかった少女達のみで構成されている[戦乙女Z]にとって、それは一つの希望だった。

 

「希夢は切り替え早すぎだって…」

「あの時の心愛先輩の顔…くっくっく」


「ちょっと! マジびびったんだからっ!」


 現時点では心愛の預かり知らぬことだったが、リーダーであるルミカの方がアイテムの使用権限が心愛より高かったため、今回のような事が起きた。

 予定通り第三層を攻略出来たことで、少しは溜飲は下がっていたが、やはり腹が立つことに変わりはない。

 いつの間にか制服のスカーフをギリギリと強く握り締めていたことに気づいた心愛は脱力した。

 ここはまだ地下世界サブタリだ。


「はぁぁぁ……。もーこれは裁判よ裁判。火炙り一択。決まり」

「あ…ははは…欠席裁判はちょっと…でも、それで赤いサーカスとか、黒梟とか解散したんすよね」


 ギルドインベントリはいわば共有財産だ。ギルドメンバーなら誰でも自由に使うことが出来る便利な共有機能ではあるが、アイテムの窃盗や無断使用なども簡単に出来るため、ログボやガチャで当てた武器やアイテムを巡って喧嘩が起きていた。

 導入されてまだ日は経ってないのに既にいくつかのギルドがすでに解散していた。


「わたしはそんな気にしてないすけど。クリアしましたし…」

「これは規律の問題。二度と起こしちゃダメっしょ」


「全力で風紀に逆らってる見た目なのに規律とか心愛先輩まじかっけーって痛い痛い痛いっす! 残機が減るっす!」


 軽いノリでふざけた希夢の頭に心愛の雷が落ちた。

 がつんと拳骨を見舞ったが、ここはまだ地下世界と変わらない。

 グリグリをクシャクシャに変え、大事な後輩である希夢の染めたての髪を優しく撫でながら心愛はため息を吐いた。


「男に舐められたら終わりなんよね。やっぱりみんなずっと金髪にしとこ?」

「い、いやっすよ! やっぱり似合わなかったし! 笑ってたじゃないすか!」


 肩に掛かるくらいの長さの金髪を、耳にかけて流していた希夢は148センチしかない。小動物感に溢れたカワイイ系の希夢が金髪にしていたのは、今日の攻略の為の願掛けもあったが、ゾンビ化した時に男に舐められないための策だった。

 長いネイルもそうで、男受けが悪いと知っていた心愛が施していた。


「うーん…まあ、うん。そうな」

「そこは否定するとこっしょ!」


 ルミカ以外、他のギルメンも心愛の提案を聞き入れ、みんな明るい金髪と長いネイルにしていた。

 だが、モデル体型の心愛や日由子、ルミカならともかく、中学生の萌音と希夢の幼い顔立ちに金髪も長いネイルも似合わなかった。

 それにショートカットのスポーツ少女である芽衣子と、肩甲骨まである緩く長い髪のおっとりとした口調が魅力の妖艶な真咲などは年季の入ったギャルママにしか見えなかった。

 いくら男を萎えさせるためとは言え、美人の顔に派手なメイクはケバさしかないなぁと希夢はついため息を吐きそうになるが、我慢した。

 あれこれと苦心してくれる心愛に、そんな所を見せるわけにはいかない。

 例え自分がメスガキにしか見えなかったとしても。

 

「それにしてもルミカリーダーどうしたんすかね? スカートはアレですけど、基本真面目じゃないすか」

「あのアホ女の名前は出すな」


 ルミカと心愛は幼馴染だった。勝手知ったる仲だったが、武器を奪うなど、これは限度を超えていた。

 思えば初恋の男も取られたなと思い出さなくても良いことまで浮かんで余計に怒りが沸いてきた。


「昔からだけど、一個に集中したら他をマジでど忘れするとかさぁ……あ〜〜ムカつく。絶対二回は殺してやる」

「き、きっと何か事情があったんすよ!」


 心愛の獰猛な笑顔に危険を感じた希夢は手をわたわたさせながらルミカを庇った。

 ルミカの通う聖セイラムは有名な私学だ。その制服のスカートの短さを見ればすぐにわかる。そんな軟派な理由で志望校を決めたなど、希夢には意味がわからなかった。

 心愛は希夢が入学した当初から学内でも悪い方に有名な生徒だった。

 希夢にとってはどちらも近寄りがたい存在で、こんな事態に巻き込まれなければ、絶対に友達にならなかっただろう。

 そもそも白も黒もギャルは怖かった。

 だが、心愛もルミカも同じような境遇で、熱心に励ましてくれたり、アイテムを融通してくれたり、屍体になった時には助けてもらった恩義があった。

 希夢は二人の対立など望んでいない。


「ほ、ほら! 買った人との交渉か何かで事情があったんすよきっと! 格好良いとこ見せてあげる、とかイケボ出してレイド誘って数にビビったとか!」

「なくはないけどさぁ…」


 ギルドインベントリに記載されている購入者、★0の男、神比色。

 何のスキルもなく★もなく、その上未知のクラス、[ノービス]という無価値な男。

 同じギルドメンバーの萌音は、未熟者という意味だと言っていて、みんなそう思っていた。


「クラスもそうだけど、なんか可哀想な名前だよな…」

「そ、そうっすか?」

 

「みんな呪いたくて殺したくて仕方ない名前でしょ? こんなの絶対絡まれるって」

「まあ…そうっすね…」


 突如現れた天使と思わしき超常的な存在の願いに、日常は歪められた。

 プレイヤーの中には神を呪っている者も少なくない。

 特に希夢は高校一年生だ。

 夢と希望に満ち溢れていたはずの高校生活が、突如として終わりを迎えた。

 何度も神を憎んだ。何度も残酷天使を殺したいと思った。だが、ただの人間が抵抗したところで敵うはずもなく、夢の世界に叩きこまれ、恐怖と戦う毎日と尊厳を奪われる日々に染められた。


「私はそれより★の数が気になるっすけど…」


 ★はこの地下世界を攻略するプレイヤーにとってある種の指標だ。

 必ずしも★の数が活躍の大きさを決めるわけではないが、スキルもないのだ。戦闘に役立たないことは明白だった。


「だからチェーンが必要だったんじゃないすか?」

「そうかもだけどさぁ…」


 四層突破はあの★5のチェーンを手にした時点である程度目処は建っていた。

 その前に全員で三層突破に挑戦し、全滅したのは単純に練度と作戦不足だった。


「それに大人しくて良い人って言ってたっすよね?」

「一番ダメな奴じゃん」


 ルミカの話ではそうとしか聞いていないが、人間、一皮剥けばどんな欲望が隠れているかはわからない。特に大人しかったはずの男達の豹変する様を見せつけられてきた心愛にとって、それはまったく当てにならないどころか反転してもおかしくないのが、この地下世界の常識だ。


「…やっぱり私のせいすかね…」


 ぽつりと漏らした希夢はルミカと違い、引きが悪い。

 昔からそうだった。特にガチャが始まってからは確信していた。初級回復薬も稀にしか当たらず、ゴミみたいなアイテムしか手に入らない。そんな本人の自覚もあってガチャは苦手だった。

 ギルドシステム導入以降、ギルドメンバーにログインボーナスを任せることが出来るようになり、それからはルミカに任せていた。

 あのレア武器も希夢の代わりを一任されたルミカが引き当て、希夢が心愛に譲った経緯があった。

 セカンドの告知とレア武器の入手。

 喜び勇んで挑んだ第三層。そして全滅。

 その後にルミカのクラスメイトによるニビル購入だ。

 希夢が自分を疑うのは当然だった。

 そんなユニークなスキルを持っていた。


「何馬鹿言ってんの。怒るよ?」

「…」

 

 この地下世界での戦いの日々に、折れたプレイヤーも受け入れたプレイヤーもいるが、心愛も希夢も励まし合いながら戦ってきた。

 

「もー、希夢のせいなわけないでしょ」

「そう…っすかね…」


「そうよ。悪いのは全てあの残酷天使と脳内白濁野郎どもだけ」


 天使が監視していたらあんな目には遭っていない。本当に天使ならあんな目に遭わせない。彼女達は、存在のよくわからない魔神よりも天使こそ強く恨んでいた。


「まあ、スキルも★もないし、ルミカは逆にレアだから何かあるかもって言ってたけど…あのクソ女…。絶対いいとこ見せようとしたんだわ。はぁ…。とりあえずログアウトしてからにしよ」


 何にせよ、レイドに活路を見出し始めたのに、お荷物購入者に振り回されるなど真っ平ごめんだ。

 心愛はルミカとお揃いの黒いレースの下着姿のまま、暗い笑みを浮かべた。

 

「そうっすね…ひゃぁ!? な、何すんですか! 急に揉むの無しっすよ! んんッ…!」


 先程まで体験していた精神がひりつくほどの戦いの恐怖に、心愛自身も癒されたくて、唐突に希夢の身体を後ろから弄りだした。

 希夢の放つ充填されたオドの煌めきが、心愛の心を安心させる。


「こ、心愛先輩っ…!」

「急じゃなきゃいいのか…?」


 心愛はルミカのようにイケボを作って希夢の耳元で囁いた。


「…や、優しくしてくれるなら…んンッ」


 希夢の瞳は早速潤んでいた。



 ログアウトしたのは、駅前にある商業施設の路地裏だった。

 従業員扉は普段から開いていて、最近のログイン時によく使っていた。


 辺りはすっかりと日が暮れていた。

 11月だというのに暖かい日が続いていたが、日中ずっと影になっているその路地はひんやりと肌寒かった。


「帰り、なんか食べる?」

「そっすね。ラーメンとかどうっすか?」


「それは流石に重いって。別に身体動かしたわけじゃないんだし、コンビニ寄ろ──ッ!?」


 扉を閉めた瞬間、心愛は突然後ろから襲われた。

 体格の良い男による突然の拘束だ。

 まだ目が夜の闇に慣れてなかったためか、隙を突かれた格好だ。


「な、なんだテメーッ!!」

「くそっ、思ってたより反応早えなっ!」


 いくら地下世界で戦っていたからと行っても、現実世界では非力な少女でしかないが、クラスによる感覚は別だ。

 それは現実世界に持って帰れる財産の一つだった。

 咄嗟にかわした心愛の前に希夢が躍り出る。


「な、なんなんすか! お前達はッ!」


 およそ10人弱。

 心愛と希夢は、黒の目出し帽を被る黒服の男達に、いつの間にか囲まれていた。

 路地裏の薄暗がりの中に希夢の大きな声が響き渡るが、丁度ゴミ出しをしていた従業員には届かない。

 つまり相手は同じ天使の加護を受けたプレイヤーだ。

 心愛の表情が一瞬で強張る。

 希夢がまだ睨みつけていると、男達の中から一人が歩み出てきた。

 

「何って、ただのファンだよ。ワルキューレちゃん」


 その優男は、嬉しそうな笑顔でそう言った。

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