第9話 英雄命題

 これは現実世界のすぐ裏側で、半年ほど前からひっそりと始まった世界大災害アポカリプスを防ぐ戦い。


 残酷な天使によって、無作為に選ばれた人類へと言い渡された英雄の命題テーゼ


 地下世界から復活しようとする魔神を倒すことを運命付けられた人々が、世界を救う勇者エインヘリヤルへと至る栄光の物語クロニクル


 そんな風にみんなは言うけど。

 そんな風には決して思えなかった。


「ハアァァァッッ!!」


 ここは[名もなき英雄墓地カタコンベ]。

 偉大な勇者に憧れながら死んだ兵士達が眠る墓所で、大量の骸骨が休むことなく襲ってくる恐怖の閉鎖空間。

 

 そしてわたしが二日前に挑み、殺された場所でもあった。


 デメリットスキル持ちが故に契約者サーヴァントのいないわたしが勝てないのはわかっていたけど、万が一にかけて挑戦し、敗北した死地。


 その後すぐにレイドシステム搭載のアプデがあったから運が悪かったとしか言いようがなかった。


 尤も、廃棄物ガーベイジと呼ばれるわたし達と組んでくれる人なんていないけど。


「ぎっ!? くぅっ! ハァァァッ!!」


 死霊骸骨の握力や顎は本当に強靭で、一度でも掴まれたり噛みつかれたら皮膚は裂け、肉が千切れるのが普通だ。


 ヒットポイントバリアはあるけど、その痛みは想像を絶するほどで、みんな戦意を無くして死んでいく。


 討伐考察班は、精気を吸い取る亡者だからだと言っていたけど、この魂を削るような痛みには本当に慣れない。


「死ねッ、死んでてよッ! イヤァァァァッ!!」


 わたしも四肢に噛みつかれ、喉や胸を引きちぎられ、大量の血とともにオドを失いログアウトしたのはつい先日だった。


 この地下世界サブタレニアンで殺されると現実世界では屍体ゾンビになる。


 それは魂のない人の形をした何か。

 記憶はあるものの、違う存在のわたしになる。


 内なる気、オドを無くした自我の薄いその肉人形は、無気力なイエスマンで、強者の餌であり救済を待つだけの哀れな肉穴奴隷だった。


「もう嫌っ! せっかく生き返ったのにっ! あんな毎日なんていやぁぁあああッ!!」


 だけど、あの天使に認識をいじられているのか、告知クエストを受けていない人達には決してわからない。


 あるいは世の中ずっと前から無気力に溢れていて、他者に興味を抱かず、関係は限りなく薄くなっていたからなのかもしれないけど、それでも現実世界には普通の、今はもう手に入らない、くだらなくも輝かしい日常が続いていた。


 戦わないとその日常を取り戻せなかった。

 従わないとそんな平穏はないと言われた。


「そんなのっ! くぅ! やぁぁあッ!! 認められないッ! 認められないんだからぁぁぁッ!」


 這い寄る死霊の群れ。

 終わらないデイリークエスト。

 捻じ曲がっていく人々の意識。

 屍体オドなしを蔑み弄ぶ強化猿どもの白濁とした煩悩の猛り。


 レベルアップするごとにだんだんと性格は攻撃的になっていき、欲求は肥大化し、倫理は崩壊していった。


 変わっていく周りに怯え、自分に怯え、戦うだけの日々に怯え、死と隣り合わせの毎日に怯え、なんとか必死に生きてきた。

 

 敵を打ち倒すことに酔い、自分こそが選ばれた勇者なのだとふざけた妄言を口にする人々もまた、現実世界では屍体を糧にし、弱者を虐げるモンスターへと変わっていった。


 普通だった人達の、たった半年で積み上がった支配者の論理に、ある者は抗い、ある者は受け入れ、またある者は壊されて消えていった。


 みんな心が狂っていて、特に最弱者であるわたし達はもう折れてしまいそうだった。


 いや、あるいはもう折れていた。


 そんな時、まさに天啓とも呼べる出来事があった。


 なのに、なのに、わたしが彼を巻き込んだら!


「そんなのっ! 絶対ダメなんだからぁぁぁっ!!」





「はぁ、はぁ、うぐっ、ハァッ、ハァ、や、やっぱりッ…!」


 黒川さんがそう呟いた途端にガクッとスピードが落ちましたね。

 もしかしてスポーツカーみたいに燃費悪いのかな。

 気力か何かを力の対価にパワーを引き出してる感じですかね。


「はぁ、はぁ、はぁ、くっ、ごめん…ここまでみたい…!」

「…?」


「はぁ、はぁ、ぅくっ、ぐすっ、せ、せっかく復活させてくれたのにっ…! 助けてくれたのにッ…!!」


 そう言って、大粒の涙をポロポロと溢しながら、膝をつく黒川さん。


「…」


 いや、充分だと思いますが。

 20体ほどですかね。

 全部倒しましたし。

 復活とか助けたとか何を言ってるのかさっぱりわかりませんけど。

 泣いてるのさえわかりません。

 そそりますが。


「いや、おかわりか…」


 また新たな骸骨が、穴からぞりぞり這い出てきましたね。

 ここ、もしかして墓地礼拝所カタコンベって奴ですかね。

 聖別とも言える場所なのかも。

 詳しくは知りませんが。


「はぁ、はぁ、ご、ごめん、ごめんなさいっ、ぐす、しょ、初心者なのに、こんなとこ連れてきてッ! はぁ、巻き込んでっ! ハァ、はぁっ…!」

「黒川さん…」


 いや、巻き込まれたのは君のせいじゃないと思いますが。

 こんな物理法則無視で超常現象みたいな厄災は仕方ないかなって。


「でッ…でも、せめてっ…! 最後までッ、ッくぅ、ぐくぅッッ!!」


 彼女はそう気合いを入れてよろよろと立ち上がり、僕に背を向けショベルを投げ捨て両腕を広げた。

 これは最後まで守るよって意味の意思表示だと思う。

 なんそれ。

 かっこよ。


「はぁっ、はぁ、レイド解放、されたことっ、くっ、はぁっ、はぁ、わたし、浮かれて、すっかり忘れてたのっ…! 他力、なんてッ! ま、巻き込んでっ! 本当にごめんなさいッ…!」

「レイド解放…」


 というかレイドって何ですか?

 解放だけならわかるんですが。

 でも話すだけで辛そうですし、流石に聞き返せないですね、これ。


「…」


 今回のレイド解放はいけないと思います。だからこそ、今回のレイド解放はいけないと思っています。


 意味がわからないから、意味のわからない構文を試しに使ってみましたけど、うん、やっぱりさっぱり意味がわからないですね。

 しかし、この置いてけぼりな感じ。

 草生えますね。


「はぁぁ〜──………」

「ッ、ご、ごめんなさいっ…! 先輩ファーストなのに呆れるよねっ! ぐすっ、怒ったよね…ひっく、う、恨んでるよねっ…!」


「いえ全然」

「あとで好きなだけわたしを……え?」


「よくわかりませんが、泣かなくていいですよ」


 失くした鞄の代わりに使っていた味のあるナップサックを地面に置いて、ブレザーを脱ぎ、少しだけ伸びをする。

 そして黒川さんの横に並び、ハンカチを手渡そうとしたら疲れてそうなので、涙、拭ってあげました。

 かわよ。


「とりあえず埋葬しましょうか」

「ま、埋葬…?」


「仏は仏ですし。インベントリ」


 僕はそう呟いて、あのウインドウを呼び出した。

 うわ、出た。すご。

 引っ込んだ。すげ。

 これ絶対魔法じゃん。

 すっげ。キモ。

 まあ、出したり引っ込めたりもなんとなくわかりますね。

 言葉と概念はやはり不思議世界への鍵ということでしょうか。

 あるいはあの天使店主様が僕らに何かをインストールしたのか、はたまたこの地上最後の楽園への足掛かりが済んだからこそ起きた事象なのか。

 まあ、しかし、これで望んだ夢説は消え、ようこそ悪夢の世界へゴートゥヘル、ですかね。

 神代の幕開けとか超絶憂鬱なんですけど。


「ま、待ってっ! せめてショベルを使って!! レアだから! い、今、譲渡するからっ!」

「あ〜…大丈夫です」


 いや、オール純銀製っぽいショベルなんて重くて普通持てないですよ。投げ捨てた時、地面にめり込んでましたし。

 女の子に向かってそんなこと言いませんけど。


 やっぱりチュートリアルは要りますよ、大天使店主様。


 まあ、女子の前なら張り切りますが何か?

 もしかしてモチベ上げにきてます?

 いったいの口車か差金かは存じませんが、やらしいですねぇ。


「だっ、大丈夫なわけないっ! ぐすっ、ほんとっ、わたしっ、わたしが君の命を──」


「祖神荒神の系譜たる討瞳に、命を諦めるなんて言葉、無いんすよ」


 まあ、あいつほど天賦の才はないんですが。

 

「──無駄にッ、…今、なんて言ったの…?」

「いえ、なんでも。ただ僕は黒川さんを泣かせたくないなと思ったんです」


 まあ、これだけ青春パンチラ大盛り汁だく背油マシマシでいただきましたし。


 まあ、記憶はっきりしたまま爆速でお家帰りたい熱いパトスしか今はないですしおすし。


「だから、早くお家に帰りましょう」


 そして僕は開手ひらでを一つ、小さくパンと打ちました。

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