第43話「幕間・それでもヒナを信じている」
ヒナと決別して数週間、私は意図的に彼女を見ないようにしていた。
(…ヒナは、強くて優しい人だから。あなたはどこまでも、どこまでもまぶしい…)
今でも教室は同じだから、声をかけることは難しくない。けれど、ほんの少しでもヒナが視界に入ることで私の網膜はツンとした痛みを訴え…そして、そのまま見つめていると泣いてしまいそうになる。
それくらい、ヒナは美しいままだった。自分勝手な私のせいで傷ついたとしても、また立ち上がって…望まぬ戦いに身を投じ、ただまっすぐに前を見つめる人。
そんなあなたを私が真正面から捉えるだなんて、あなたの視界に入るだなんて、もう許されない。
(…だけど、もしも…あなたが、私のために戦ってくれているのなら)
放課後、人もまばらになった教室で考える。すでにあなたの姿はなくて、多分派閥の仕事に赴いているのだろう。
ヒナは私と違って自分勝手じゃなく、いつも誰かのために戦える人だった。そして、あの日…私を守るためにも戦うと言ったあの誓いが、今もその胸の奥に残っているのなら。
(…お願い。もう私のためになんかに、戦わないで…そして、傷つかないで)
私は優しいヒナが好…大切だった。優しいあなただからこそ戦うのだろうけど、私はそれを望まない。
あの日、感情的にあなたの元から飛びだした日の言葉は、今も形は違えど私の本音だった。
ヒナが私を守るために現体制派として戦うということは、インフラの子たちを見捨てるということ。あの子は聡いからきっとそこまで考えて、そして悩んで、それで…私なんかを優先してくれた。
本当なら誰も見捨てたくない、優しいヒナ。あなたが私を優先して傷つくことなんて、これ以上苦痛を受け入れる必要なんて、ない。
私に守る価値なんて…ないの。
(…私はもう、あなたのそばにいる資格なんてない。だから私のことなんて忘れて、家族と再会するためだけに…苦しみのない戦いをして欲しい)
もしも私が最初にヒナを拒絶できていたら、ヒナに甘えることがなければ、多分彼女は余計な苦しみを味わわずに済んだ。あの頃の私がそこまで考えつくわけもないけれど、結局は一人で戦い続けることが正解だったのだ。
あの子が背負い続ける苦しみに比べたら、私がひとりぼっちになるのなんて…あまりにも、安すぎる代償だった。
(なのに。なんで私は)
私のことをきれいさっぱり忘れたヒナを想像すると、なんでこんなにも胸が痛むのだろう。自己中心的で身勝手な痛みは私を毎日苦しめていて、どれだけ影奴に当たり散らしても消えることはない。
これがヒナを傷つけた代償だというのなら、甘んじて受けないといけないんだろう。彼女はもっと苦しんでいるはずで、その苦しみを同じように受け止めるのは義務とすら言えるだろうに。
(…思い出さなくてもいい。私のこと、忘れないで…)
忘れて欲しいと願いながら、忘れないでと叫ぶ。
私は、どこまでも…ヒナに対して、自分勝手だった。
「…でさ、やっぱり怖いよね…」
「いくら現体制派だからといってもねぇ…」
口に出せない叫びを机に突っ伏しながら打ち消していたら、教室に残るほかの生徒の話し声が聞こえてきた。
今さらだけど…女同士の話し声って、どうしてこうも押しつけがましいというか、周囲に聞かせようとしているような響きに聞こえるのだろう?
自分の性別も忘れ、私は軽い苛立ちを覚えた。
「ヒナさん、前まではクールで格好いい感じだったのに、今は無機質で怖いっていうか…」
「ああー、なんかわかる…現体制派になってからは本当に任務以外はどうでもいいっていうか、任務のときも思い詰めているっていうか」
ピクリ、私の耳はすぐさまその名前に反応する。
ヒナは元々女子からの評判がよかったし、たまにこういう雑談の話題にあげられることもあったけれど、今のは…多分、いい話じゃない。
女同士の会話なんて陰口が大半──またしても自分の性別を忘れた偏見だ──かもしれないけれど、それでもヒナが悪く言われると想像しただけで…相棒を失って冷え切った私の体に、あの頃とは異なる熱が宿った。
「知り合いの子に聞いた噂話なんだけど…ヒナさん、この前の任務でも敵の魔法少女と戦うことがあって、捕縛を命令されていたのに意識不明まで追い詰めたらしいよ」
「えっ、それマジ? ヒナさん、そんなことするようには見えないのに…派閥入りって人を変えるのかな…」
ヒナが? 敵を追い詰める? あの子が?
影奴が相手なら淡々と消し炭にはしていたけれど、それは私も同じだ。でも、ヒナが敵とはいえ魔法少女相手に全力を出す…?
(…あり得ない。あの子が、理由もなくそんなことをするなんて。いくら現体制派がクソッタレの集まりだとしても、そんな)
模擬演習だとわかっているのに、私相手にろくな攻撃ができなかった…私を傷つけたくないと悲しそうに伝えてくれた、あの子が。
「ほら、最近になって急にヒナさん怖くなったじゃん? 何かいやなことがあって、それを敵にぶつけちゃったんじゃないの?」
「ああ、たしかに…でも、だからといってそこまですることないのにね」
ヒナに、いやなこと。
思い当たる節は…ある。というよりも、私が原因としか思えない。
あの日からろくにヒナを見られない私だけど、わずかに視界に入った際の雰囲気はがらりと変わっているように思えた。
私と一緒にいてくれた頃のあの子は、いつでも暖かかった。冷静で滅多に動じないのに、いつも周囲のことを気にかけてくれて、誰かに手をかけるのを嫌って、私の薄暗い学園生活を照らしてくれた太陽みたいな人。
けれども私と決別してからのヒナは教室で誰かと会話することはほぼなくなって、機械のように任務をこなしていて、それこそ…いけ好かない現体制派の奴らみたいな…?
「……あいつは、そんな奴じゃない!!」
自分の思考が許せない領域に行き着いたことで、私は余計な情報を与えたクラスメイトたち──名前も知らない──へ憤りをぶつけるかのように叫び、立ち上がった。
当然ながら彼女たちはびっくりと目を見開いて私を眺めていて、そんな視線に臆するはずもなく、私は胸ぐらを掴む勢いで詰め寄った。
「あいつは! ヒナは! 自分勝手な理由で誰かを攻撃するような人間じゃない! よく知りもしないくせに、好き勝手いうんじゃないわよ!」
「な、何、いきなり? 勝手に話に入ってこないでよ!」
「そうだよ! 大体、カナデさん…だよね? カナデさん、ちょっと前までヒナさんと組んでいたのに、今は違うんでしょ? それなら、あなただって本当のところはどうなのか、知らないくせに!」
ああ、そうだ。こいつらはいけ好かないけど、言っていることの全部が間違っているわけじゃない。
今の私はヒナの相棒ではなく、ただ同じ学校に通っているだけの魔法少女でしかない。それこそ私とこいつらではヒナとの関係性に大差なくて、もしかしたら私のほうがヒナに嫌われているのかもしれないけど。
そうだとしたら、きっと私は泣いてしまう。それでも。
「ええ、そうよ! 私はヒナを傷つけたから、もうあの子の相棒じゃない! けどね、私はアンタたちよりも長い時間を一緒に過ごしてきた! だから、知っている!」
ヒナは、何一つ悪くない。悪いのは、間違いなく私。
それなのに…あの子を悪く言う人間がいるのなんて、許せるものか!
「ヒナは! 誰よりも優しい人だった! 今だってそう!」
たとえ雰囲気が変わっていたとしても、周囲によくない噂が流れていたとしても。
私と過ごしたヒナの思い出は、そこに刻まれた優しさは、決して消え去らない。
そして…ヒナは、私を守ってくれていた。その真実が私にある限り、それは今も変わらない。変えられるものか!
「…私は、今もヒナに守られている! そんなあの子が意味もなく相手をいたぶるわけ、ない!!」
ヒナのことを思うと、胸が痛い。あまりの痛さに泣いてしまいそうになることもあるけれど、これを忘れたら…私は、私でなくなる。
ずっと自分が嫌いだった私。そんな私といてくれて、優しく受け止めてくれたヒナとの思い出は、今も確実に私の心を守ってくれていた。
この痛みは、それを忘れないための贈り物。こんなにも素敵なものを冒涜しようとするのなら、私はこいつらを…!
「はーいはいはい! 三人とも、ちょーっと落ち着こうか!」
ヒナに守られる私を守るため、彼女のように『敵の魔法少女』を攻撃しようとしたら…若干のんきな調子ではあるものの素早く間に入ってきたのは、新しい仲間のアケビだった。
「ああ~ん、うちのカナっちがごめんねぇ? この子、ちょっとヒナっちのことになるとムキになっちゃって…めんごめんご、この子に替わって謝るね?」
「え、いや、別に…」
アケビは隣のクラスにいて、今日はうっかりマジェットを保管場所以外に置き忘れたことに対して説教されていると話していた。そしてそれが終わったら一緒に訓練する約束があったのを、若干冷えてきた頭で思い出す。
本当に謝っているかどうか疑わしい明るい声音で謝罪していたけれど、こいつはどうにも憎めない雰囲気があるせいか、先ほどまで私を睨んでいた目は居心地悪そうに右往左往し、やがて「私ら、もう行くわ…」と二人揃ってどこかに行った。
今度こそ私たち以外誰もいなくなった教室にて、アケビの珍しいため息が鳴り響く。
「っぶねー、もうちょいで相方が暴力事件を起こすとかマジ勘弁…カナっちさぁ、カルシウム摂ってる? あとマグネシウムも」
「…うるさいわね。心配しなくても、お菓子ばっか食べるアンタよりも栄養状況はマシよ…」
「しかもやぶ蛇とか、今日は厄日じゃんね…」
…本当にこいつは、周囲の怒気や毒気を抜くことに関しては天才的だと思う。
軽薄な容姿とは裏腹に言うべきことは大体正しくて、お調子者のくせに他人を観察していて、怒られない程度に冗談を口にして周りを和ませ、なんやかんやで雰囲気をいい感じにする。
しかも同室になった私に対して馴れ馴れしく踏み込んでくることはなくて、今みたいに面倒を起こしそうなときは介入してきた。私の嫌みに対してもたはーっと舌を出して笑いつつ、何事もなかったように「んじゃ、訓練行こっかー」と軽やかな足取りで教室を出て行こうとする。
(…私の相棒は、ヒナ。あなただけ。でも、こいつ…アケビと戦うのは、いやじゃない)
その背中を追いながら、ヒナの姿を重ねてみる。教室に差し込む夕日は現実と思い出の境界線を曖昧にしたけれど、やっぱり二人がピタリと一致することはなかった。
でも、それでいい。この喪失感が胸を痛めつけてくれる限り、私はあなたを…あなたが今も私を守ってくれているのを忘れずに済むから。
(私は…忘れない。そして、信じる。あなたが今も優しいこと、私を守ってくれていること)
ヒナと別れてから、ますます自分が嫌いになってきた私だけど。
それでも彼女を信じ続けていることだけは、わずかに褒めてやりたくなった。
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