氷の水の中

かもめ7440

第1話


氷が張った湖といえば、ワカサギ釣りやアイススケート。

とはいえ、アウトドアの人間だけが冬特有の楽しみ方に

思いを馳せるのは少し違う。

一月六日(ロシアの古い教会では一九日)の正教会の、

エピファニーの祝日に行われるエピファニー氷穴浴は、

ロシアに存在する民間伝承。

これは、ヨルダン川における主イエス・キリストの沐浴等に関連している。

で、水着姿で入る。冬の女性のビキニ姿が見れるのは、

温水プール施設以外ともなればその時しかない。

救急車や緊急サービスの職員が緊急事態に対応してくれ、

非常に組織化されている。

ちなみに日本でも、裸の男たちが凍った川で水を浴び、

炎の上で叫ぶ蘇民祭というのがある。


ちなみに冬ではスケートで渡る人もいるリドー運河の氷は、

Capital Property Guardiansという名前の会社によって、

建設、監視、および保守され、氷の厚さは最低三〇センチにならないと、

運河の通行は許可されない。

五センチ以下は誰がどう考えても危険だが、

十センチならアイスフィッシングも可能で、

負荷重が九〇キロ、十二センチで負荷重は三六〇キロ。

約三〇センチともなれば、負荷重は六八〇キロ。

ちなみに三八センチになると負荷重は一トン、

小型トラックも通行できる。

が、これはあくまでも目安である。


実際、氷の厚みとそれがどれくらいまで耐えられるのかは、

専門家は別としても、見ただけではわからないことが多く、

また、現実の氷の場合、細かい傷や亀裂が存在し、

さらには枝なども氷に取り込まれることがあるため、

計算上の強度を発揮できることは殆どない。


そして氷が割れて人間が転落してしまう事故は毎年発生している。

氷は水より比重が小さいため表面は凍っていても、

内部は液体となっている場合があり、

氷が耐えきれないほどの衝撃を加えると割れてしまう。

ゴルフ場の凍った池で遊んでいた若者や、

ワカサギ釣りを楽しもうとした釣り人などが犠牲となっているケースだ。


当然だけど寒中水泳や、サウナの氷水とは違って、

人間は突然足場が崩れることを想定していない。

リアルな落とし穴ドッキリに耐性がある人はまず皆無だろう。

だからまず、氷が割れて何が起きたか理解する前に水の中へ突入し、

思わず水を吸い込んでしまう可能性がある。

その場合は通常の水に溺れる時と同じように、

助けがなければもがき苦しみながら死を迎えることになる。

ちなみに氷点下付近の水は、

無数の針が刺さるように痛いはずだ。

一度はやはり豪雪地帯へ行き、スタッドレスタイヤの凄さを確認し、

道路が埋まるさまを確認してから耳が千切れそうな痛みを、

あらかじめ味わったりしておくとそれがどれだけ不味いことかわかる。

恐怖とか、痛みがもたらす経験を過少評価している人がいるだろうが、

それは大きな間違いだ。

僕が知る限り大きなバイク事故を起こすと大抵バイクに乗るのを止める。


さて、人間が冷たい水の中に落下すると一般的に、

「1-10-1の法則」と呼ばれる現象を辿って死に至る。

一分間で低温ショック、十分間で四肢の機能を失い、

一時間で低体温症により凍死するというものだ。


順を追って説明していくが、人間というのは体温を一定に保つ生き物だ、

恒常性とも言う。

熱を逃さないように皮膚のすぐ下を通っている血管を狭める。

すると身体中に血液を循環させるための抵抗が増加し、

血圧と心拍数が急激に上昇し、若く健康な人間であっても、

心筋梗塞に陥ることがある。また息が荒く浅いものとなって、

それだけで水を吸い込んでしまう可能性が上昇する。

息をする頻度が通常より増加すれば

常に頭を水から上に出していないと危険だということは、

容易に想像できるはずだ。

幸いなことに一分ほどで息が上がるという事態は収まるが、

ライフジャケットや、身体を支えるものがなければ苦しい戦いになる。


さらに人間には潜水反射という別の反射が存在し、

人間の顔が水に浸かると酸素を節約するために、

心拍数を少なくするというものなのだが、

これは低温ショックの結果と真っ向から 対立し、

潜水反射と低温ショックが体内で喧嘩のようなものを起こした結果、

不整脈を発生し、亡くなる人間も多いという研究結果がある。


もちろん救助が前提にあるのならともかく、

場合によってはそうやって死んだ方が苦しまずに死ねる場合もある。

心霊体験で髪が真っ白になったり、気が狂ったりするように、

不安や恐怖と戦うというのは誰でも難しいことのはずだ。

そしてそんな風に次の十分の試練がやって来る。

空気と比べて水は比重が重いため、体温を奪う速度が段違いに速い。

あくまで目安だが、血流を抑制された筋肉はおよそ五分から十五分後には硬直し、

意識的な動作はほぼ不可能となる。

当然その状態で気道を確保することは難しい。

つまり、自力で這い上がることが出来るのは、

最初の十分間だけだと考えられている。

生存確率というものに賭けて最後の一時間がやって来る。

一時間ほどで訪れる低体温症による死だ。

とはいえこれもあくまで目安、

体脂肪率や体重にも大きく影響を受ける。

体重が軽い子供は十五分でも命を落とす危険があるのに対し、

肥満体型の人では三、四時間ほど猶予があると推測されている。


とはいえ、極寒の池や湖に落ちて低体温症でなくなるのは極めて稀で、

低体温症になる前に四肢が動かなくなり溺死してしまう方が、

圧倒的に多い為だ。


だから落ちないように石橋をたたいて渡るべきなのだが、

それでも落ちた時はできるだけ早く脱出しなくてはいけない。

けれど、「1-10-1の法則」を忘れてはいけない。

一分間で低温ショック、十分間で四肢の機能を失い、

一時間で低体温症により凍死するというものだ。


ちなみにタイタニックの乗客はマイナス二度の水温で、

低体温症で十数分から二〇分のうちに亡くなるか、

心臓麻痺で数分のうちに亡くなった。

最低それだけの時間はあるのだ。

きっと希望はある。


ゴールデンゲートブリッジで自殺をする人の生存率は一パーセントだそうだ。

プール飛び込みの世界記録は五二.四メートル。

海パン以外の装備無しの無傷の飛び込み記録はこの高さで、

ちなみにゴールデンゲートブリッジは六十メートルある。

怪我をしても助かることがある。

そんなの誰にもわからないことだ。


最初の一分間は低温ショックにより無意識に息が荒くなる時間で、

すぐに脱出したくなる気持ちはわかるがまずは落ち着かなくてはいけない。

これは人命救助でも同じことだ。

パニックに陥っている人間は誰も助けることは出来ない。

陸上のような火事場の馬鹿力はいらない、極寒の水の中での最善のパフォーマンスは、

常に冷静さという要素が必要になる。

頭を出して呼吸を落ち着かせ、重たい衣服も浮き代わりになるので脱がず、

さあ、十分以内にこの最悪の事態を終わらせよう。


まずあなたが氷の上で辿ってきた方向を向き、その部分の氷に手を乗せる。

その後は水の中で足を蹴り、

なるべく身体を水平に保ちながら、少しずつ氷の上に上がるのがポイントだ。

身体を水平に保つことで体重を分散させ、

再び氷が割れる可能性を下げることができる。

とはいえ、氷の上に這い上がろうとしても、

肘をついて力を入れるたびに、氷が崩れてしまうこともあるだろう。

一般論や、常識的判断なんか何処にもない。

最後まで、足掻き続けてやることだ。

諦めないことだ。

何か鋭く尖ったものがあれば氷に刺し、

手助けしてくれる人がいればもっと楽になる。

声が出せるうちに助けを求めることも忘れてはいけない。

世の中には低体温症や、凍傷になりながらでも生き残る人はいる。

諦めた瞬間に人は動くエネルギーをすべて失ってしまう。

無事に水から脱出できたら立ち上がりたいところだろうが、

這うようにしてその割れた氷から離れ、次に転がるように離れ、

すぐに室内に移動するのが最善策となるが、

雪山の話よろしく、低体温症の恐れもあるので、

急激に温めすぎてはいけない。

状況次第ということもあるが、抹消組織の循環が再開して、

冷たい血液が身体の深部へと流れ込むと、

体幹の温度が下がって死亡してしまうこともある。

とりあえず、アルコール類やカフェインの入った飲料は、

血管を収縮・拡張させる作用があるので与えてはならないし、

入浴や暖房などで急激に温めるのも厳禁だということは、

知っておいた方がいいだろう。


できるならもちろんワカサギ釣りなんかしない方がいい、

氷上でスケートなんかしない方がいい、

フィンランドで冬だけ道路になっているとしても渡らない方がいい、

けれど警告に従わないのが人間というものだ、

好奇心旺盛な主人公はあっという間に傲慢な過失をする、

しかし危険というのが好きなアドレナリンスポーツの虜という人もいる、

馬鹿な死に方リストに名を連ねながら、

今日も僕等はタイタニック号のように氷山に追突する危険性はないのに、

それでもベーリング海のカニ漁という、

過酷なアメリカンドリームへ向かう。

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