走る

かもめ7440

第1話


地球上で最も速い人類の称号は、

100メートル走のタイムを持った者に与えられる。

何故ならそれが世界最速の基準であり、

覇者の栄冠というものでもある。


とはいえ最初にいくつか留意しておきたい点だが、

ドーピングをすれば9秒の壁は破れるのか、ということだ。

トップアスリートにとってこれは悪魔の質問に違いないが、

水泳の世界記録がたびたび更新されるのは何故かという問題がある。

もちろん選手たちの努力や、

能力を引き延ばすための科学的な裏付けのあるトレーニングや、

高価な機器、研究者を招聘し、

メンタルを支えるコーチやマネージャーなど、

絶対に欠かすことのできないものだ。

けれど水泳の場合はハイテク水着を着るだけで、

百三十以上の世界記録を破ってしまった。

これは画期的なことである。

ティラノサウルスの脚を分析して、

短距離走よりも長距離走に適したタイプだったことが、

判明するみたいなものだ。


たとえばスーパーシューズみたいなものが生まれた時、

それは一種のドーピングではないかという見方もある。

トラックも、練習方法も、空気抵抗を減らす競技服だって、

考えようによってはそうではないかという言い方もできる。

僕は別に陸上にイチャモンをつけているわけではないが、

はたして記録を伸ばすと行為には、

一体どれだけの複雑な負荷がかかっているのだろうか、と思う。

チーターの走る瞬間は120キロに達し、

ハヤブサは300キロに達する。

けれどそれは本当に誰かが手をつけたものじゃない、

僕は思うのだ、陸上というのはそもそも才能ではないんじゃないか、と。

これは科学なんじゃないか、と。

研究成果なんじゃないか、と。

いや気を悪くしたら申し訳ない、そういう考えをふっと抱いた時に、

オリンピックの映像を見ていたら何かすごく気分が悪くなった。

そうだね、子供の時の駆けっこみたいなものではいられない、

それが文明であり、競技というものだろう。

たった〇・三八秒でルービックキューブを完成させるロボット。


陸上にはもちろんルールがある、フライングによる失格や、

風が二メートルなら記録をとられない、などだ。

殊にフライングはどんな選手でもやってしまう可能性がある。

合図から〇・一秒未満でブロックから動くと失格になるからだ。

だから眼を瞑って情報を遮断し、

スターターピストルが聞こえた瞬間に飛び出そうともする。

単純な競技だ、けれど単純だからこそ様々な要素が出て来る。

ウサイン・ボルトは、100メートル走の最速9.58秒の、

公式世界記録を持つ地球最速の男である。

時速43キロである。

もちろんこれ以上に速い動物や車やバイクなどはあると、

言いたい人もいるだろう、しかし単純な話である、

槍を持ったウサイン・ボルトに追いかけられてみれば、

その恐怖感によって凄さがわかる。

おわかりいただけただろうか?


ちなみにとある陸上の限界の話では、

9秒27という数字が出されていて、

9秒を超えることはないだろうと言われているものの、

実のところスタートの瞬間からトップスピードであれば、

つまり静止状態からの加速要件を取り除きさえすれば、

既に人間は9秒の壁を軽く超えている。

また五〇年前は10秒が世界記録だった、

俄かにはちょっと信じがたいよね、

でも彼等は一生懸命駆け抜けた、走り抜けた。

そこから九秒の壁をじわじわ攻めていっている。

走者の環境も変われば計測方法や検証技術も見直された。

ウサイン・ボルトの記録は中々破られないだろうが、

百年後や千年後ともなれば科学力や、

僕等の体格そのものも変わってくる。

たった数十年前にはダイヤル式の黒電話を使っていたのに、

今は多くの人がスマートフォンを使用している。

そのスマートフォンの性能をつかさどるコンピューターチップが、

「今後数十年で脳の処理速度に追いつく」と予想する人もいる。


僕はハードではなくソフトな機械との融合の実現は近いと思い、

それが様々な世界記録に触れるような時はやってくると考えている。

場合によってはスポーツ特化型のロボットが誕生し、

様々な競技に駆り出されるようになるかも知れない。

『スーパーマリオブラザーズ』の最速クリア記録みたいなものだ。

もしかしたらスタートの瞬間に謎の爆発が起きて弩のように解き放たれた、

機械の肉体がシュッパーンとゴールへ向かって突き刺さるような、

お前陸上なめてるだろ、みたいなこともあるかも知れない。

ニコニコ動画なら絶対にやってくれるだろう。

けれど四足歩行でギネス記録を持っている人がいるけど、

二足歩行より速くならないと言える根拠はあるだろうか?

たとえば「脳の進化と記録の変動」ということは起こりえないことだろうか、

前述したように、それがドーピングではないとすれば、

今後僕等が八秒や七秒の壁を破らないという保証はない。


ところで短距離走者は、通常の体重の5倍の負荷をどれだけ速く、

加えることができるかでそのタイムを決める。

簡単に言えば、短い時間で地面を強く蹴る、というものだ。

もちろんまず筋繊維の質や体格による腕の振り、上半身、

太腿から踵に至るまでの足の振り方、

足幅などのフォームが大事だ。

それをフォースプレート内蔵型トレッドミルや、

動態検知機能を持つ高速カメラなどの装置を用いて、

能力を向上させようとする。

もちろんやり方はそれぞれあるだろうが。

また最高速度を維持できる時間は非常に短くそれは数秒未満で、

ブロックから立ち上がり、足が最初に地面に着く前に、

最高速度のほぼ三分の一に達するので、それが加速の最大の部分だ。

十二歩目ぐらいには最高速度の九割に達する。あっという間だ。

そこからはもう強さではなく足を振り下ろす動作や技術がモノを言う。

後は筋肉が急激に疲労する。

そして僕の脳も夏の疲れで疲労する。

言い訳が巧くなる。

会社のストレスチェック表を見ながら疲労の見える化を実感し、

世の中の分かり易さとお仕着せがましさに精神的疲労骨折する。


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