▽第5話 夜の明けた見知らぬ世界にもう一歩

 私は目を覚ます。

 お風呂後に着替えてから、リビングで休んでいる内に眠ってしまったのだろう。

 リビングの硬い床の上で目を開いた。


「んゅ……」


 部屋に差し込む光。ちゅんちゅんと鳴く鳥の声。

 灰色ではない鮮明な視界で、目の前で寝ているシエルを見る。


「朝?」


 私は上半身を起こし、リビングに置かれたデジタル時計を見る。

 午前五時だ。

 そのまま窓の外へ視界を移せば、空は早朝の朝焼けに染まっていた。


「朝だ。本当に寝ちゃったんだな、あの後」

「……?」


 シエルが声を出す。私の独り言で起こしてしまったか。


「アルク」


 どうやらシエルも起きたようだ。目を半分開けて、私を呼んでいる。

 これには淑女たるもの応えなくてはね。


「シエル、おはよう」

「おはよ……」


 寝ぼけた挨拶を言うシエルは寝たままですり寄ってきて抱きついてくる。

 私はその頭を撫でる。手に触れる犬耳がふわふわして柔らかい。


「目覚めはどう?」

「良好」

「良かった」

「アルク、今何時?」

「朝の五時。起きるには早かった?」

「大丈夫。大体この時間くらいに起きるから」


 時間を気にしたシエルの時間の確認。

 時間を気にしたことから、シエルが早起きというよりは軍の始業時間みたいなのがこの時間くらいなのだろう。


「今日はなにをするの?」

「任務があれば任務に、なにもなければ気ままになにかやるだけ」

「緩そうだけど軍隊は軍隊なんだね。私はなにをすればいいの?」

「分からない。アタシを名指しした任務がないなら、アルクの上官として見守れるよ」

「上官……ね」


 シエルと今日一日することの話をしていると、ふと小さい疑問を抱いた。


「ねぇ、私たちの階級ってどうなっているの?」


 疑問はこれ。階級のこと。

 シエルは金組二級で、私は歩組三級だ。

 これにどんな意味があるのか。


「アタシたちの階級は高い順から王組、金組、銀組、飛組、角組、桂組、香組、歩組と組み分けされてる。そして組の中でまた一から三の級で分けられてるの」

「へぇー……というか、シエルの金組ってかなり上位の階級じゃない?」

「うん。でも、アタシは今日まで生き残って実力を示しただけ。アルクの上官になるけど別に偉い訳じゃないから敬語はいらないよ」


 敬語はいらない。そういうシエルの配慮には助かる。ここまで仲良くなった今で、軍での上下関係から呼び方も接し方も変えなくて済むから。

 それよりも〝今日まで生き残って実力を示した〟という言葉。先人が戦闘で死亡したということは、つまり死に直結するような実戦があるということ。

 そう考えると今からでも緊張してくる。生き残れる自信がない。


「緊張してる?」

「ま、まぁね……」

「大丈夫。アタシがいるから」


 クンクンと私を嗅ぐシエル。私が緊張しているのを察してくれて嬉しい。

 私の天使にしたい。


「さて、そろそろかな」

「なにが?」

「呼び出し」


 ピンポーン


 玄関のチャイムが鳴り、インターホンが起動した。


「ALPHA・1-671・歩組三級! ただちに外に出て顔を出せ!」


 閉じた玄関からでも聞こえてくる女性の大きい声が、インターホン越しから部屋に響き渡る。

 気が引き締まる声だ。さっきシエルに緊張を取ってもらったのに、また緊張してきた。


「は、はーい!」


 声を大きくして返事。私は立ち上がり、玄関に向く。


「アルク、大丈夫」

「……うん!」


 シエルに背中を押してもらった。私は意を決して玄関に足を進ませる。

 そして玄関扉の前に来た。


「早く出てこい!」

「今出ます!」


 急かしてくる声に答えて、私は玄関扉を開けた。


「遅い! そんなところまでシエラ805と同じか!」


 開けた先、目の前で叱りつけてくるのは見た目も声もイメージ通りな気の強い女性。

 深い赤と黒が特徴なノースリーブの軍服ワンピースを着ていて軍隊感マシマシだ。


「あはは、すいません」


 謝りながらも相手の頭を見る。生えているのはキツネの耳だ。

 そのまま頭から腰に視線を落とすとモフモフなキツネの尻尾が視界に入った。

 この人はキツネだ。


「どこを見ている。私の尻尾じゃなくて、私の顔を見ろ!」


 言われた通りに顔を見る。

 気の強い女はなんとやら。女騎士のコスプレが似合う凛々しい美人な顔付きだ。


「美人さんですね」

「なっ!?」


 率直に褒めると彼女は頬を赤く染めた。

 おやおや、この程度で恥ずかしいのか。

 チョロ過ぎる。これは心配になるレベルだけど面白い。


「こ、この私を惑わすつもりか!」

「えへへ、そうだと言ったら?」

「な、なーっ! 貴様、もしや変態か!」

「部屋の中で一緒に仲良しする?」

「うぇ!?」


 おもちゃを見つけてしまったという感覚。

 あまりにも楽しい。


「ば、バカ者! 私は貴様と破廉恥しに来た訳ではなく、貴様への諸々の支給と案内をしに来たのだ!」

「支給?」

「そうだ! 服とか装備とか、そういう諸々だ!」


 助かる。下半身の下着丸見えの部屋着だけではなく、ちゃんと上から下まで隠せる外出用の服も欲しかったところだ。


「あ、靴は今持ってますかー?」

「いや、ないが……貴様もしや靴がないのか?」

「そうなんすよねぇ」

「すまんが、支給するまで我慢してくれ。というより玄関に転がっている靴を借りればいいじゃないか!」


 それはそうだ。

 靴を持参していないから履くものがないと勝手に思っていた。

 キツネの女性の言う通りに借りれば良かったのだ。


「はぁ……ほら、さっさと靴を借りて、私に付いてこい」

「あ、はい」


 とりあえずシエルにどれを借りていいか確認しなければならない。


「シエルー?」

「というか貴様、服も借りた方がいいんじゃないか? そんな下着丸出しで、人の目を気にしない筋金入りの変態なのか?」


 それもそうだ。

 あれやこれやと状況に流されるままで、指摘されるまで気付かなかった。

 このまま外出したら痴女だ。異性に見られたら社会的に終わる気がする上に、成人向け雑誌みたいな展開になったりするかも。


「あはは……ご指摘ありがとうございます」

「礼はいらん。それより早く着替えることだ」

「はーい……」


 指摘されなかったら危なかった。

 とりあえず私は急いで玄関から部屋の中へと逆戻り。


「シエル、外出するんだけど服と靴借りていい?」


 リビングでボーっと休んでいるシエルに声を掛けた。


「んぅ? 服と靴?」

「そうそう。私のサイズに合うの、なにかない?」

「んー……」


 借りていい服を尋ねると、シエルは私を上から下まで見る。

 そして「こっち」と動き出す。

 シエルと私とでサイズ差はあるが、どうやら私に合う服があるみたいだ。


「ごめんね、手間掛けちゃって」

「大丈夫。アタシもアルクの服のこと、頭から抜け落ちてたから」


 そうしてシエルの後を付いていき、私の自室に到着。

 シエルは先人が残したタンスから服を出す。


「これ、使ってあげて」

「え、うん」


 シエルから渡されたのは先人のものだと思われる私服。

 ホットパンツに、肩の出ている露出の多い活発そうな人が着る印象の服だ。

 サイズはほぼ合っている。


「170センチでしょ。あの人と大体同じはずだから、アルクにも合うはず」

「ありがと、シエル! それと靴はなにを借りていけばいい?」

「任せて」


 前から少し気にしていた自身の身長を言い当てられてしまったが、今はそれを気にする暇はない。

 またシエルの後を追って玄関に向かう。


「シエラ805か。おはよう」

「おはよ、エコー286」

「新人と同居して先輩になったというのに、まだ引きずっているのか?」

「言わないで。聞かれてるから」

「ふん、そうだな」


 シエルとキツネの女性――エコー286の会話。

 口振りからして、どうやら二人は知り合いのようだ。

 会話の内容は気になるが、それよりも今はまず支給品をもらいに外出しなければならない。


「シエル?」

「靴だよね。それとか、使ってあげて」


 色々と転がっている靴の中から、シエルはかなりヒールの高いサンダルに指差す。

 私は浅はかに思った。

 これは中々ギャルっぽい……と。

 先人はそういったタイプだったんだろう。私とは次元が違いそうな人に思える。


「ありがと、シエル。早速使わせてもらうね」

「うん。気を付けて行ってきてね。後からアタシも行くから」


 シエルはそう言って、カーテンの閉じ切った薄暗い室内へ戻っていく。

 そのシエルの背中はどこか薄暗い室内より暗く、寂しく感じた。


「ほら行くぞ」

「あ、はい!」


 エコー286に急かされ、私は行く。見知らぬ世界にもう一歩踏み込みに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る