第9話 コインは表を示す

 カミラは驚愕していた。


 レノの実力にというのもそうだが、激昂しだした情緒にというのが主である。怒っている風な言葉使いで、悲しそうな声色をこぼしていた。


 理解ができない。

 納得もない。


 けれど、怖かった。

 自分の心の内側に、なにかが潜り込んできているような、えもいわれぬ不快感だけが響いている。


『剣を握った彼は、私たちと一緒かそれ以上よ』


 頭の中でリナの言葉が鳴り止まない。掴まれた剣を動かすことは、彼女にはできなかった。


「ふざけてるって言ってくれ。平静を保てそうにない」


 すぐにでも木剣を握りつぶしてしまいそうな形相でレノが語りかける。


「何の話ですか?」

「まだとぼけるのか。そんな剣を使っておいて」


 リナが額を抑える。


 魔王と勇者が戦ったのは、実はあの一回だけではない。決着はついていないが、なんどか対面したことはあるのだ。


 その中で、同じようなことをされた覚えがあった。


「嘘つきの剣ならまだいい。他人を馬鹿にした剣なら、それはそれで良いと思う。お前のは、そういうものじゃない」

「……どういう、ことですか」

「お前は何処にいる。俺と戦わずに、何処にいるんだ」


 要領を得ない、ぼんやりとした発言。


 それを受けた途端に、カミラの表情がガラリと変わる。それこそ、逆鱗に触れたというやつであった。


 目の中からは光が消え、温和な笑みも姿を消す。そこに残ったのは無だった。何も、残らなかった。


「なぜ、そう思うんですか」

「剣は嘘をつけない」

「そう、そうですか」


 カミラが剣を構える。

 レノは全身から力を抜いて、だらりと立つ。


「リナ、撃つな」

「はいはい」


 キレている。それも、自分の為ではなく、きっとカミラのために超絶おせっかいを焼いている最中だ。


 もうこうなってしまえば自分の管轄ではないので、もはや杖も置いて、フィールドの外からそれを眺めた。


「来いよ」


 静かに挑発をする。


 カミラは、能面のような表情のまままだ動かない。きっと、全力を出すための待機時間なのだろう。カミラも怒りで判断能力を失っている。

 ここでレノが攻撃すれば、タメは中断されるだろう。


 けれど彼はそれを、愚直に待っていた。


 その間、レノは自分を振り返る。

 馬鹿なことをしている。命の恩人をこんなことばで愚弄して、挑発するなんて。


 でも、我慢できなかった。


 彼女の剣には「自我」がなかった。

 「何かを手に入れたい」とか「何かを成したい」という理性的な欲望はもちろん、「生き残りたい」や「勝ちたい」なんていう根源的な欲求すらもない。


 ただ、教えられたことに沿う。

 太陽が沈んで、小川が流れるように、そこに一切の意思は介在せず、人間らしい情緒は一つもない。


 どんな教育を受ければそうなる。

 どんな場所で生きればそうなる!


 これは、エゴだ。


 彼女を育ててきたすべてを、否定したくてたまらなかった。勇者という枠で縛られて生きてきた自分と同じような道を歩んでいくそれに、反逆したくて仕方がなかった。


 彼女には申し訳ない。でも


「負けられない……!」

「もう、いいです」


 彼女の喉が、震える。


 水滴が落ちるみたいな声だと思った。平坦で、ただそこにあるとしか認識できないような、静かな声だった。


「計画とか、今後とか、どうでも良くなった」


 剣を構える。


 さっきまでと似て非なる、歪な型だった。

 その体の柔らかさと体幹を活かした、異常に前に傾いた姿勢。そして、ただ前を向き続ける木剣の切っ先。


「その言葉を撤回しろ」

「やっと、俺を見たな」


 レノが獰猛に笑う。


 ばん!と空気が裂ける音がなったと同時に、カミラの姿が消える。かと思えば、一瞬で眼の前に現れた。


「っ」


 それにレノが一切の狂いなく応対する。カミラのスピードについていけるはずもないのに完璧に。


 それは彼女が怒ったことで動きが読みやすくなったのにも起因していたし、レノの集中がとてつもないレベルまで研ぎ澄まされているということでもあった。


 また、打ち合いが続く。


 けれど先程までの測り合うような戦いではない。


 カミラが首を狙って突きを放てば、それを逸らしてレノが鳩尾に向けて切り上げを行う。

 それを躱し、放った鋭い回し蹴りは、側面を殴るようにして受け流す。


 全力を出されれば、正面からのぶつかり合いではこの肉体じゃ戦えない。それは、レノが確信していたことだった。だから、経験と直感、思考で埋めていく。足りない部分を、勇者の道筋が補う。


「逸らして、ばっかり!逃げてるのはどっち!!」

「良く舌が回るようになったなぁ!!」


 頭に熱がこもる。

 周りが、見えなくなっていく。


 カミラの視界に残ったのはレノだけだった。怒りの中で、彼だけがはっきり見えている。色褪せた世界の中で、彼だけが見えている。嫌な視線だった。言われたくない言葉を言われた。


 きらいだ。

 嫌いだ。


 なのに。本当の自分に気づいているのはリナと、彼だけなんだと本能が囁いているのがもっといやだった。こんな子どもたちに何がわかるんだと思っているはずなのに、目が合うたびに思ってしまう。


 私よりももっと長く、辛い道のりの跡が、その顔に、剣術に見える。


「く、そ!!」


 降ってきたそのぬるい思考を振り払い、カミラの動きが加速する。どんな感情なのかは、自分でもよくわかっていない。けれど確かな負の感情が彼女の体を突き動かし、最高のパフォーマンスを発揮させていた。


 攻撃に継ぎ目がない。

 歯車が噛み合って回り続けるように、機械のような精密さで止まることなく連撃が繰り出される。レノはその攻撃に後退しながら必死に下がりつつ防御する。彼女には、そう見えていた。


「逃げてばっかァ!!」


 レノは下がる。

 そして、体勢を崩した。バックステップをしようとした瞬間に足が地面に引っかかり、尻から地面に倒れ込んだのだ。カミラは口角をはち切れんばかりに吊り上げて、剣を振り上げる。


「勝った!!」






「どこがだよ」


 額に、何かがぶつかった。

 そのせいで自分は後ろに倒れようとしている。それはわかる。でも、何がぶつかった?何が──


「あ」


 視線の先で、金色の硬貨が回転していた。室内の光を反射して、金属特有の光沢を惜しげもなく発揮している。それに、彼女はひどく見覚えがあった。自分が戦いを開始するために使った、その硬貨である。


(飛び道具を使うために後退した?いや、この実力なら魔法は使えるはず。わざわざリスクを負ってまで使う理由がわからない!!なんで!!)


 レノが立ち上がりつつカミラを押し倒す。

 彼女は抵抗しようとしなかった。というか、それどころではなかった。地面にぶつかって、背中に鈍い衝撃が訪れても、彼女は困惑から抜けきれていなかった。


「俺の、勝ちだ」


 首元に木剣を押し付けて、レノが告げる。

 その銀髪で目元が隠れて、はっきりとは表情が見えなかった。けれど、優しい顔をしているような気がした。カミラはきょろきょろと視線を動かし、必死に理解しようと周囲を見渡している。


「なんで、コインを」

「……教えたら意味ないだろ。せっかく考えたんだから」


 ふぅ、と息を吐きつつレノが立ち上がる。

 そして、闘技場から立ち去っていこうとしたところで


「随分カッコつけたねぇ??」


 にっこにこのリナに絡まれた。

 太陽のように輝く、最高に性格の悪い笑顔である。


「……うるさい、リナ」

「これで冒険者の推薦の話なくなったらどうしよっかなぁ〜〜」

「ごめんて……」


 リナへの申し訳なさと、疲れで生気の抜けたままレノが返答する。危なかった。綱渡りにも程があった。


 彼女が自分を殺す気なら、とっくに死んでいた。でも、それは逆にあの状態になってまで自分を殺そうとはしていなかったことになる。


「レノの思い描いてる結果になる確率は?」

「……半々」

「五割か。まぁ、今の私たちを考えれば良い方ね」


 リナがレノを止めなかったのには、打算もある程度あった。カミラは自分と同類だが、同時にメンタルが不完成に見えた。


 そこをレノの精神性で補って、味方に引き込むことができれば自分たちにとっても得だ。悪い結果に転ぶ可能性が高かったとしても、賭けるならここしかなかった。


「頼むわよ?ギャンブラー」

「カミラ次第だ。俺のエゴが届くかも、それをどう受け取るのかも。俺を殺しにくる可能性だってある」

「そうならないよう、祈っておきましょうか」


 二人は立ち去っていく。

 その後ろ姿を、ぼんやりとカミラは眺めていた。



 ◆



「こっぴどくやられたな?」

「うるさいです……。いつから見てたんですか」

「最初からだ」

「嫌いです。目の前から消えてください」

「連れないこと言うなよ。仮にも上司だぞ?」

「……偽物」


「推薦はどうするんだ」

「……五級。どっちも」

「それはやりすぎだろ?」

「私に勝ったんです。それくらいは然るべきでしょう」

「お前も正気じゃなかったし、それで五級というのは……」

「じゃあ、私に勝った人間が九とか八で良いと?あなたの部下は随分弱いんですね。冒険者の下位に負けるんですか」

「……わかった、善処する」

「はい。さっさと消えてください」

「せいぜい強くなれ。その怒りも糧にして」

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