第2話 たびがはじまる
歩きながら周囲の情報を集めていると、ふと気がついたことがあった。
自分はかつて、ここに来たことがある。
勇者と呼ばれる前の話なので個人的には遠い昔のことのように感じるが、実際のところは自分が死ぬ四・五年前だったはずだ。
ここは「カラネリア森林」。
人類が切り開いていない地域の中では比較的安全であり、薬草などが取れることから人通りもそこそこ多い。
そして、この森の近くには大きな街があった覚えがある。
流石に今自分はここで、どっちに進めば街にたどり着くかまではわからないものの、指針は決まった。ひとまずその街を目指すこと、それが今の目標である。
「ふっ、ほっ」
ぴょん、ぴょんと身軽に枝の上を跳ねて、木々の間を移動していく。
現在変化してしまった肉体が、自分の動きにどれだけ影響を及ぼすのかを確認していた。結果から言えば、状況は良くない。
運動能力もなく、戦いの中で鍛えた魔力量も殆どないようなものになってしまった。
それに加えて体力も無いようなものだったので、そこも課題である。
「元の体に戻れたら一番なんだが」
一度死んだはずの自分がこうして生きてる事自体が謎で、幸運なのだからそれは高望みというものなのだろう。そう納得することにした。
そのまま木々の上を飛び回り、自分の感覚と体の動きを確かめていると、鳴き声が聞こえた。
「GU,GUGYAGYAGYA」
「ゴブリン、久しぶりに見たな」
それの姿は、一見すれば人間の子供のようである。二本の足で歩き、両手を使って頑丈な枝を武器として振り回している。
それが人間と異なる要素を持っているとすれば、緑色の肌と、長く尖った耳だ。
名前はゴブリン。
魔物の中でも弱く、しかし多い種族。
「折角だ、やろうか」
「GYA?」
すた、っとゴブリンの前に降り立つ。
ゴブリンは一瞬困惑するが、そこは魔物。
表情を敵意に切り替え、勇者に肉薄する。手に持った枝を上段に構え、まっすぐに振り下ろした。
遅い。
それと同じように、自分も遅い。
勇者の思考はゴブリンの行動すべてを把握して、どう動けば良いのかという回答を弾き出していた。
だというのに、この体は思考からワンテンポ遅れて動き出す。
「ふっ」
「GYA!?」
枝に側面から右手で触れ、その軌道を逸らす。
勇者に当たるはずだったその攻撃は地面へと突き刺さり、砂埃を巻き上げるだけだ。ゴブリンは再び枝を振ろうとするが、動かない。
勇者は一手先に枝を踏みつけ、次の攻撃を阻止していた。
「終わりだ」
拳を、振るう。
ごぎゅ、としか形容できない音が響き、ゴブリンが吹き飛んだ。
空中で一回回転、地面を三回バウンドした後に、それは動かなくなった。
一方勇者はといえば、飛んでいったゴブリンに視線を向けることもなく自分の掌を眺めている。何回か手を閉じたり開いたりしてみた後に、苦い顔でため息を吐いた。
「やっぱり、思うように動かん」
謙虚でもなんでもなく、大きな危機感としてその言葉は勇者の心に沈んでいく。
ゴブリンだから、難なく勝てる。
けれど、あれがドラゴンだったら動きが鈍っている間に死んでいた。魔王軍幹部だったら、もっと悪辣に仕掛けてきた。
「よし、理解」
どれくらい動くのか。
そして、自分が思うように動くには何をすれば良いのか。それを知れただけで、今の一戦には価値があった。
自分の実力を把握して、また前を向く。
課題は山積み、だから、現在地を知るところからやり直しだ。
「あ、そういえば」
ゴブリンをふっ飛ばした方に視線を向けると、そこに遺体はなく、宝石のような物体だけが残っていた。
ゴブリンは魔物、という種族にジャンル分けされる。
それらの殆どは大気中に漂う魔力が集まって生まれるそうだが、どうやって実体のある肉体が魔力から生み出されているのかは不明である。
魔物たちは死亡後魔力に戻り大気中に拡散していくが、核である魔石だけは肉体がなくなっても残るのだ。
そして、魔石は魔力を得るための燃料として使える。つまるところ、売って金にできるのだ。
「魔石拾って換金とか、懐かしいくらいだが……」
勇者になって、一応軍部所属になってからは換金は軍の仕事だった。
というか食料は補給されるし、戦場に居続けたので定住地はないし、娯楽に身を投じるような余裕もなかったということで、金を使うことがなかった。
けれど、見た目が変わってしまった以上今の自分は勇者とは認められないだろう。
だから、自分で拾って、自分で稼がなければ飢えて死ぬ。
魔石を拾い上げてカバンに仕舞おうとした……ところで、カバンがないことに気がついた。
仕方がないので普通に手に持って、その場から退散することにした。
時刻は昼。
太陽は勇者の真上で煌々と輝き、森全体を明るく照らしている。
おかしなことに、自分の将来が一切保証されてない状況に於いて勇者の心境は晴れやかだった。その理由は、彼自身未だ気づいてはいないようだが。
◆
「お!見えた見えた!」
小高い丘の上で、勇者はついにそれを見つけた。
円形の外壁に囲まれた、鳥かごのような街……が、広がっているはずだった。
実際勇者が初めてその街に訪れた時はその通りだった。しかし、勇者はそれを見て首をかしげる。
「なんか、全然違うぞ」
まず、外壁がない。
その上で、立っている建物も記憶と全く違う。なんだか色鮮やかだし、遠目から見ても活気に満ち溢れているように思える。
「前来た時は人も全然居なかったし」
街に向かって伸びる道にも、馬車が通っていくのが見える。
戦争中には見なかったような光景だ。
あの時馬車なんてものを護衛もつけずに走らせれば魔王軍に襲われるか、凶暴化した魔物に襲われてどちらにせよ死んでいた。
「……じゃあ、戦争は終わってるんだな」
こらえきれない、という具合に、勇者の口角が少しだけ上がった。
よく見渡していくと、街の中を時々大きな蛇のようなものが駆け抜けていくのが見えた。
現代では「列車」と呼ぶものなのだが、勇者がそれを知る由はない。けれど、人類が迎えたであろう大きな進化を感じて、引き寄せられるように丘を下っていくのだった。
勇者、魔動都市「ドローミアス」へ移動開始。
◆
一方。
柔らかい風が吹いている。
聞きなれない鳴き声がしていた。
いや、厳密に言えば、知ってはいるのだ。人間の領地に進行した配下が報告していた、「小鳥」という生物の鳴き声であったはず。
「ん……あぁ、どれほど、寝ていたか……」
すぐ隣にあるはずの剣を掴もうとしたところで、彼女は異変に気がついた。そこに、剣はなかった。それどころか、自分は魔王城のベットで寝ているわけでさえなかったのだ。
彼女を包み込むのは、柔軟とは言い難い芝生のベットと、日光の毛布だけである。野宿することなんてなかなかない彼女にとっては、慣れない光景であった。
ぐるりと周囲を見渡してみれば、彼女が元いた場所とは全く植生の違う自然が広がっていた。
(おそらく場所は人類の領土。そして今思い出したが……私は、死んだはずだ)
世界を征服しようとした女の思考能力は、寝起きであっても氷柱のように冴え、鋭い。同じ状況になった勇者の半分程度の時間で彼女は平静へと至った。
「
彼女が掌を虚空に向け、言葉を放つとそこに手鏡が現れる。その鏡面に写ったのは、知らない女。
純白の髪が所々真紅に染まり、血液のような色彩をした瞳が困惑を示している。
「ふむ、中々顔はいい」
経験からはじき出される「魅力的に見える表情」を鏡で試してみたあと、満足気に微笑む。容姿が優れているというのはそれだけで良いことなのだ、少なくとも魔王はそう思う。
ふざけてみた後、冷静に思考を回す。
(精神交換系の魔法……いいや、勇者はそこまで器用でも、悪辣でもない。それならば転生、もしくは元々あった肉体を乗っ取ったか……)
勇者と異なり、魔王はある程度この状況に理解を示す。人間よりも強い魂を持つ魔物では、実際に生まれ変わりが起きることも珍しいがある。
「我が強くて助かった、と言うところか」
苦笑しつつ、魔王は手鏡を消失させる。
(現状整理は完了。次にすべきは情報収集と私が生き残る方法を探すこと。能力は魔王だった時よりも酷く落ちているようだし……)
そして、彼女は歩き出す。
魔王、行動開始。
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