元勇者と元魔王、今度は好きに未来世界を生きていく

獣乃ユル

プロローグ

第1話 勇者

 真っ赤なカーペットの上に、一人の青年が転がっていた。


 腹部から流れ出ていく血液は真紅だった床を更に紅く、黒く染めていく。


 もはや水たまりとなるほどにその出血量は多く、彼が助からないことは誰の目から見ても明らかだった。


 それでも、彼は無表情のまま。


 彼の名前は「グラン・レノール」。

 人類を征服しようとした魔王軍の、幹部八人の内六人を打倒した「勇者」である。


 彼の視線の先には、女が倒れていた。

 彼女も体の節々から出血しており、その損傷は勇者と対して変わりない。


 美しかったはずの長髪は砂埃と血潮で薄汚く染まり、身につけていたドレスも破けてしまっている。


 彼女の名前は「イラリア」。

 元々魔族が保有していた土地を恥知らずにも占有し、繁殖した人間の殆どを征服した「魔王」である。


 彼女もまた、無感動な目で地面に転がっている。


 勇者は果敢にも魔王城に単独で突入し、側近の殆どを前線に向かわせていた魔王もこれに一人で対応。その結果が


「相打ち、か」


 かすれた声で魔王がこぼす。


 それは恨みでも、悔しさでもなく、ただ今日の天気を呟くような、事務的なものであった。


 自分を失った魔王軍の被害、勇者を失った人類の被害。それを計算して「痛み分け」だと判断し、小さく笑う。


「上手くいくと思うか?」


 内心を見透かされたことを察し、勇者が僅かに表情を歪める。


「それは、後の奴らが決めることだ」

「では、祈るしか無いな」

「魔王が?」

「私達にも神はいる。おそらく、人類お前たちとは違う名前の」


 唐突で、無理矢理な魔王城への突貫。


 彼女は、その意味を確かに理解していた。魔王と人類の戦争は今、どちらも主戦力の殆どを失ったことで泥沼と化し、長期戦の様相を呈して来ている。


 こうなってしまえば、共倒れの未来すら想像に難くない。


 だから、彼は動いた。

 最後に残った、勇者と魔王という最大戦力が消えることで、戦争が終わること狙って。


「勝算は」

「種は蒔いておいた。だから、運だよ。お前の配下と、俺の仲間たちがどうするかだけだ」

「分の悪い勝負だな。賭け金は、最大戦力二人の命、か」


 先程まで殺し合っていたとは思えないほどに淡々と、つらつらと二人は会話を続けていく。


 二人は私情を戦場に持ち込まないリアリストであり、自分の命を特に大切に思わない破綻者でもあった。


 そういう意味で似たもの同士である。

 それに気づいたのも、今になってであったが。


「くっそ……眠い。会話は終わりだ魔王」

「私ももう保たん。ではな、勇者」


 雨音が、少しづつ耳に入らなくなっていく。


 指先の感覚が、空気に溶けるように消えていく。薄まっていく五感の中で、ただ勇者は目を見開いていた。


 まぶたを閉じようとしても、眼の前で倒れている魔王から、何故か視線が離れない。


 彼女の表情を、目に焼き付ける。


 悔しい、辛い、どうして、なんで、もっとこうあれば、私が強ければ。


 そんな感情を押し殺しているのが一眼でわかってしまうほど痛々しく、凛々しい表情だった。


 きっと、勇者も同じ顔をしていた。

 そして、同じことを最期に願った。


 自分の人生を後悔したいなんて思わない。それは自分のために死んできた仲間ぶかを侮辱することになるから。


 でも、もう一度だけやり直せるのだとしたら。

 もっと、好きに生きたかった。



 ◆



 柔らかい風が頬を撫で、小鳥の鳴き声が何処かから響いている。


「ん」


 そんな穏やかな森の中で、一人の少年が目を覚ました。


「頭いてぇ……」


 目覚めて早々、強烈な頭痛が彼を襲う。三日間眠り続けていたときのだるさにも似た、鈍くて重たい痛みだった。


「三日寝たのっていつだっけな」


 軽く頭を抑えつつ、記憶を掘り返してみる。


 確か、あれは魔王軍の幹部が三人同時に襲いかかってきた時の話だっただろうか。毒と呪いと大量出血が合わさってあの時は本当に死ぬかと思──


 死ぬ?


「あれ」


 俺、死んだんじゃ?


 ふと、自分の身体を見下ろしてみる。


 そこには、見慣れない手があった。

 剣を持ち続け、戦い続けた自分のゴツゴツした手ではなく、貴族のお坊ちゃまのような、白くて美しい指先だった。


 思い返してみれば、喉から出てくる声も、いつもよりも高い気がする。


「あーくっそ、面倒事な気がしてきた」


 苦い顔をしつつも、は起き上がる。


 一つも状況は理解していないが、流石に英雄。混乱を表面に出すことはなく、合理的な選択をするためにひとまず周囲を見渡す。

 

 そうしていると、微かなせせらぎが木々の向こうから聞こえてきた。


「水分補給と、一応外見の確認。よし、そうするか」


 おそらく向こうに小川があるだろうと予測し、勇者は歩き出す。


 木々の隙間を抜けて、少し進めばそこにはすぐ川があった。そこまでの横幅はなく流れも控えめな、言ってしまえば地味な川であった。


 けれどそこに流れる水は清らかで、跳ねる水滴も木漏れ日を受けて輝いている。


 どこか懐かしい風景だった。


「魔王城周りなんて自然なかったからか」


 そんなことをつぶやきつつ、水面に顔を寄せる。


 揺れる水に写ったのは、知らない顔だった。


 戦場にいたからか冴えず、少し薄汚いと自認していた顔は打って変わって爽やかで、美しいものになっている。


 髪色も黒から白と赤の入り混じったものに変化していて、瞳に至っては真っ赤だ。


「予想はしてたが……」


 やはり、肉体が変化している。


 最初に考えたのは敵の攻撃だが、魔王がそんな力を持っているなんて聞いたことはない。


 というか、魔法を使える余力があったならまっさきにトドメを刺すべきだ。なら、攻撃ではない。


 なら


「生まれ変わり?」


 赤子になっていたならそれで片付いただろう。


 勇者が元いた軍隊で信じられていた宗教には生まれ変わりに関する一節があったし、不思議だとは彼も思わない。


 しかし、今の自分の体は少なくとも十代は超えているのだ。


 勇者はそのまましばらく水面に映る自分とにらめっこをしていたが、そのうち小さく息を吐き出し、水を掬って一口飲んだ。


「よし、一旦保留」


 考えてもわからないことは考えない。

 それが彼のポリシーである。


 少しだけ川辺で休憩した後、彼はまた移動を初めた。その頃には、もう頭痛は治まっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

元勇者と元魔王、今度は好きに未来世界を生きていく 獣乃ユル @kemono_souma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画