第15話 自然の姿に

 翌日は奉行より裁可が下されるということから二人は覚悟を決めたのであった。

ところがである。

朝方厠に立った牢番が当直同心を慌てて起こした。

「何だよ朝っぱらから。たぬきむじなでも出たとでも言うのかよ」

そ、そ、そのぽん太とこの葉が消えてタヌキとキツネが居るんですよ」

 口から泡を飛ばして後は言葉にならない。

「何を寝ぼけてるんだ」

 と当直同心は牢番をどやし付けながら囚人置場を覗くと、正しくぽん太とこの葉に代わって其々の牢屋には狸と狐が土間に伏せて、同心らを見上げていたのである。

「何だこれ。おい弥助お奉行に知らせて来い」

「へい」

 弥助は玄関を上がってバタバタと用部屋の裏まで走って行くと、祐筆詰所ゆうしつつめしょから金森慎吾が何事かと飛び出して来て、弥助に静まるように制止した。

「何事だ」

 と声を殺して問いただすと、

「金森様、お奉行に伝えて下さい。囚人置場のぽん太とこの葉が狸と狐に化けちゃったんです」

「何莫迦なことを言ってるんだ」

 と言って取り合わない。

 それならと弥助は金森の制止を振り切って廊下を小走りに奥へと進むと、奉行が寝室に使っている居間の前で事態を告げる。

「お騒がせの段、お許し下さい。囚人置場の被疑者が狐と狸に化けてしまいましたことお知らせに参りました」

 すると障子戸が開いて須田美濃守が寝巻のまま顔を出した。

「そうか正体を現したか。生きているか?」

「多分、いえ生きて居りました」

 弥吉は同心に命じられるままに来たので確認はしていなかった。

「直ぐに参る故戻って居なさい」

 弥助らは牢屋の前で、奉行の来るのを待っていた。


「待たしたな。おお可愛い狸と狐だ。嶋田はまだ来ておらぬか…」

「間もなくいらっしゃると思いますが」

 嶋田とは例繰方(事に臨んで検討索例を司る役)与力嶋田内蔵助のことで、ぽん太とこの葉の処断に付いてどう扱うべきかの意見を求める積りであった。

 奉行はぽん太とこの葉に声を掛けるが、狸と狐に戻ってしまった二人は奉行の言葉は理解出来るようだが、最早人間の言葉を発することは出来なかった。

 例繰方与力嶋田内蔵助れいくりかたしまだくらのすけにぽん太と木の葉の正体を見せた上、用部屋に於いて扱いについて話し合ったのである。

この際、郷田壱之助と定廻り同心柴田勘解由らを同席させて意見を訊いた。

 ぽん太とこの葉が関与した内の後ろ二件については与太者を処断するきっかけとなったので、これ等に付いては褒美を取らす位の働きと見て良いのだが、問題は王子の茶屋での石ころを金貨に見せて無銭飲食並びに釣銭を騙し取ったことである。

 これは紛れもなく犯罪であり罪状はと言うと、石ころを金貨に変えたという前例のない犯罪なので、敢えて言うならば偽造罪ということになるが、それを最早狸と狐に復した動物に当てめるのは如何なものかと議論を交わしたが、罪は罪として二匹を罰することに決したのである。

 

 この日、亀戸村の太吉夫妻が須田美濃守にぽん太・木の葉夫妻に合わせて欲しいと歎願に来た。

登城前の忙しい時間ではあったが、牢屋番同心の岡村佐吉に四半時に限って許すと言い添えて、伺候日しこうびではないが従者と共に江戸城へと向かった。

 老中大久保隠岐守ろうじゅうおおくぼいきのかみ詰日つめびなので、事件の全容を説明報告する為であった。

御多門より三重櫓脇の階段を御納戸口へと上がる。

 番所にて来意を告げると、御側衆の一人が出迎えて部屋へと案内された。

その際風呂敷包みを御側人に耳打ちして渡したのである。

「何とほしは狐狸であったと申すのか。けったいな話だのう」

「でその狐狸こり如何いかがした?」

「はっ、罰することに致しました」

「罪状は何と」

「偽造罪に御座いまする」

「すると何かそれらを引き回しの上 はりつけにするというのか」

「それは無理ですので、楽に行かせたいと思います」

 二人とも壮年でしたので実年で観ますと、七、八歳位でしょう。

爺さん婆さんです。

で王子の件にしましても財布を入れて居りました巾着の底が切られて無かったということから已もう得ず奥の手を使ったというのです。 そんなこともありまして、その後の二件も悪人をらしめるため行ったもののようですから、その様に裁可致しました次第です」

「良かろう。で泥玉を盗んで売り捌いた連中は如何した」

「こ奴らは重敲じゅうたたきの上入墨を入れて島流しと佐渡送さどおくりとしました」


「御老中、須田美濃守様から頂戴いたしました土産をお持ち致しました」

 と二人の側用人が半月状と賽子状さいころじょうに切った西瓜すいかと半円の西瓜を大皿に載せて入って来た。

「例の西瓜に御座ります」

「どれどれ」

 竹楊枝たけようじと手拭いを手にすると、先ずは賽子状に切られた西瓜を食べた。

「これは美味びみだ」

「でしょう」

「そうだその方らも食べるが良い」

 老中は側用人らにも相伴しょうばんを勧めると、半月上の西瓜にかぶり付いた。

「いやぁ、気の利いた水菓子と言えるよ」

「お気に召されましたか」

「うん気に入った。なぁ美濃守、その老狐狸を逃がしてやっては如何いかがかな。もう何もせんだろう」

「そのように致します」

「うんそうして呉れ。綱吉公つなよしこうの動物愛護の本質は単に犬を大事にするというより、捨て子を無くし、命の尊さを軽んじないよういさめたものだった筈である」

御意ぎょい。心して当たりたいと思います」



 奉行は番所に戻ると真っ先に囚人しゅうじん置場に行った。

 其処には太吉夫婦がひざまずいて泣いて居たのである。

「ぽん太とこの葉は?」

 牢屋ろうやの中に姿が見えなかったので訊くと、

「自害して御座います。ご案内致します」

 と牢屋番同心の岡村佐吉が太吉夫婦も伴って納屋に案内した。

二匹ともむしろくるまって息絶えていた。

「如何致した?」

 奉行は太吉夫妻が関わっているのかと問い質したが、如何やら召喚された折自害を覚悟して、乾燥したトリカブトの粉を隠し持っていたようで、来世でも夫婦になろうと誓い合って居る声が牢屋番には聞こえていたようだ。その後少し騒々しかった様だが直静まったので、中を改めることなく朝を迎え異変を知ったものだった。

「二人を牢屋に連れて行った時には既に口から泡を出して死んで居りました。

ですからこの二人は関係ありませんが、帰るように申しましたがお奉行に話したいことがあるからと残って居たのです」

「分かった。でその訳は何かな」

「はいぽん太から頼まれたものをお渡ししたくてお待ちして居りましただ」

 と言いながら一冊の小冊子を差し出して手渡した。

表題は【気紛れ歳時記】とあった。

それはぽん太夫婦が訪れた名所地の様子を綴ったもので素描きの圖と文章が記されていたのである。

「お奉行様に渡してくれとたぬ公、いえぽん太に頼まれましたんで、須田町の長屋に取りに行って序にこの葉さんから頼まれて居たお家賃を払ってめえりやしたんで…へい」

「そうかするとこれは覚悟の上と言う訳だな」〈死ななくても良かったのに〉と呟きもした。

「その他には何か言い残さなかったかね」

 奉行の洞察は大したものである。

「へい、二人が住んで居た長屋から東南方向に一丁ばかり戻りました冨山町に、稲荷神社の祠がありまして、其処が終の棲家となるから、偶には来て欲しいと言って居ったのです。随分と可笑しなことを言うものだと思いましたが…」

「そこのお稲荷さんはよ、幸稲荷と言って旧は芝増上寺の大門の近くにあったようだが、お寺の拡張に伴って、冨山町に移されたものなんだそうだ。

で何かい、この葉は其処に居るとでも言うのかい」

「へい、如何やらその様で…」


「それじゃぁぽん太は何処に行くんだろうか」

「さぁてどうなんでしょうか、二人が狸と狐だったというだけでも吃驚びっくりしましたんで、さっぱり分からねえすけぇ。勘弁して下せえ」

あやまらんで良い」



 狐狸らが人間の姿に変えて亡くなるまでは僅かに七年ばかりであったが、【気紛れ歳時記】に書き記された名所巡りはそれから百年ばかり後に浮世絵師の手で描かれた『名所江戸百景』と題する圖絵が内容的に似ているように思えるが、それは名所を扱っただけに起こり得ることであった。

逆にその絵師の名所地は更に多くの地が描かれていたのである。


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