第13話 泥玉騙し西瓜
この話は【騙し西瓜売り捕わる】とまたまた瓦版が報じたものだから忽ち市民の知る所となった。
この葉はこの日、日本橋呉服町の得意先に髪結いに回っての帰り道、高札場に出ていた読売の客寄せ口上に引かれて買って来たのである。
【騙し西瓜売り捕わる】の記事をポン太が夕餉の支度に掛かった木の葉に聞こえるように大声で読んで聞かせるのだった。
【 亀戸村の農家より収穫直前の西瓜を盗みし窃盗団が足の付かぬうちにと、料理茶屋や料亭、水茶屋などに売り捌くと言う悪業が横行しているようだが、今回起きた奇怪な現象は、そんな悪党どもをぎゃふんと言わせるような奇態な出来事と言えそうである。
深川永代寺門前町にある料理茶屋で奇怪なことが起こった。
食後に出そうとした水菓子の西瓜を敷地内の井戸水で冷やしていたのだが、下働きの女中二人が取りに行くと、
ある茶屋では
こうした被害は四件にも及び、自身番から月番の北番所に通報し、これ等を持ち込んだ人足や
というもので、その後の取り調べの結果は次号を御覧じろとあった。
読売(瓦版)の次号の内容はこんな所だろうからそのお白州の状況を覗いて見よう。
白洲には贋作西瓜の騙し販売をした廉で、販売先から訴えられた詐欺師らが縄を打たれて座らされていた。
公事場上縁には奉行の須田美濃守信明が座り、その下の板敷下縁には取り調べに当たる吟味与力熊谷餘之介と書記方同心が居て、砂利敷には郷田壱の之助と柴田勘解由が床几に腰かけて両脇に控えていたのである。
「一同面を上げよ。扇橋町の住人鳶の又八、その方鋳掛屋の吉蔵他四名と結託し、百姓地から収穫前の西瓜を盗み出し、それらを処分した後、今度は手妻(手品)を使って泥玉を巧妙に偽装して、料理茶屋などに損害を与えたものとして、それらの代理人として公事師松坂孝右衛門より訴えあり、因って詮議と相成ったが、それに相違ないな」
与力熊谷餘之介が
「お役人様、それは違います。確かに亀戸村近在から西瓜を盗みました。
それを料理茶屋や料亭に持ち込んだのも間違い御座んせんが、全て本物の西瓜で、決して泥玉何かではありませんでした。
あっしらは植木屋が使うハサミや小刀で蔓を切りました。
泥玉なら
飽くまでも泥玉とおっしゃるなら、それは百姓が手妻を使ったということになりませんか」
「実はお前たちを自身番で調べた後、泥玉を持って来たという亀戸村の畑にも行って来たんだがな…」
と砂利敷にいる郷田壱之助が与力熊谷餘之介に断って話し出した。
「どうでした。すっかり無くなってたでしょう。全部持つて来ちゃったもんで、でそれを料亭などに持って行ったんでさぁ。
畑を空っぽにしたのは、昨年野郎の畑で酷え目に合わせられたもんで根こそぎ取ってやったのが泥玉だったって訳でしょう。それは間違いねえんで」
その程度の盗みなら重敲きと所払いで済むので、開き直った態度で喋りまくる。
「そうかい、だが生憎と違うんだな。
おめえ達の言う通り、大横川沿いで
一緒に調べに行った柴田勘解由も笑いながらそう付け加えた。
「そんな馬鹿な筈はねえ。確かに隣りの畑にも西瓜はなっていたが、小粒だったので後の楽しみとしやしたが、幾らなんでもまだ食べるには早いでしょうよ」
「確か一個ぐらい残ってましたよ」
と岡っ引きの伝蔵が口を挟むと、奉行の須田美濃守が、
「皆が食べたのなら私にも食べさせて呉れぬか」と言う。
「へいお待ち下さい」
伝蔵は小者に台所に有るという西瓜を採りに行かせたのである。
小者は直に盥に入れた西瓜を持って戻って来た。
もう一人の小者が俎板を小脇に抱え、包丁を携えてやって来た。
「おおこれがその西瓜か、まさか泥玉ではあるまいな」
と冗談を言えば、
「割ってみませんと判りませぬ」
と郷田壱之助も調子に乗って冗談を返したのである。
小者が脇の石台の上で包丁を入れると、真っ赤に熟した果肉が現れた。
半分に割った物を更に半分に割ると、奉行は板敷に降りて西瓜に
「おうおう、
郷田らの話だと一杯なっていたというではないか。此処へ行けば泥玉を造ることもなかったのに、残念なことしたな」
「間違いなくそこから取って来たのが泥玉だったなんて、さっぱり分からねえや」
狐にでも化かされたとでも言いた気にそう呟くと、遣り切れないというように
この日の審理は
公事人冨永七乃丞は元南町番所の庶務同心であったので訴状の取り扱いに精通していた所から、引退の際奉行に勧められて公事師を家業としたのである。
今回の公事が二度目であったが、反対側に居ただけに慣れたものであった。
この後は同心による現地調査の結果の陳述があり、容疑者らは西瓜を盗んだことを率直に認めたのである。
泥玉西瓜に付いては知らぬ存ぜぬを通した。
飽くまでも普通の西瓜を盗んだだけで、断じて泥玉西瓜を作ったり、それらを売り歩いたこと等無いと言い張ったのだ。
そこで傳馬牢の拷問蔵の中で笞打ち若しくは石抱と言う責問をしたのだが、それでも作ったとは白状しなかった。
容疑者らが盗んだ西瓜が泥玉化した生産場所と主張した農地から貰って来た西瓜を、公事場に於いて奉行が試食するという珍事があったが、奉行による罪状読み上げは次回に持ち越された。
今回の事案は一見簡単に処理出来そうであったが、この西瓜泥棒らは今年に限ったばかりではないので、それらを纏めて見ると被害額は膨大であったからだ。
十両から首が飛ぶという時代である。
生産者側の今年の被害は、三軒で三十個ばかり。
料理茶屋等の購入総数は七十個の内五十個が泥玉であった。
昨年の被害に付いては何れも届が出ていなかった為被害額は算出できたにしても立証できない為、参考事項として挙げられただけであった。
扨て問題は泥玉五十個によって被ったとされる被害は、直接客が食することは無かったので、購入時に支払った代金のみということになる。
一個当たり八十文で五十個だと四千文、詰まり壱両である。
それと生産者の被害三十個が千五百文程で合わせて五千五百文ということになる。
これは窃盗罪である。
ただ訴状には口直しの西瓜が泥玉と判った為急遽青物屋や和菓子屋に代わりを求めたりしたところもあって、その折客に迷惑や失望させたとしてその分も追加されてあった。
被害は亀戸村ばかりではなく府外世田谷、北澤、大森等の産地にも及んでいて、又八らとは違った窃盗団による仕業とみていた。
此度の本所深川に於ける西瓜泥棒の罪だけなら重敲(百叩き)で許されるが、贋作西瓜の騙し販売となると偽造罪が加わるかも知れなかった。
偽造罪は罰則は重く、文章・印章偽造の主犯は引き回しの上獄門で従犯は死罪。通貨偽造は引き回しの上
この案件に関しても場合に依っては死罪も有り得る為、どんなに責問をされても、やっていないと六人とも口を揃えて否定したのである。
泥を
なのに盗人らはまんまと騙されて茶屋に持ち込んだというのである。
彼らでないとしたら一体誰の仕業であろうか…。
奉行の須田美濃守信明は役宅に戻ってもそのことが頭から離れなかった。
須田美濃守は郷田壱之助と
「あ奴らが盗んだと言い張る畑は茄子やキュウリが植わっていて、その横の畑が西瓜畑であったのですが、実が小さいから取らなかったと申しましたが我らが探索に訪れて食したのはその畑の物で、お奉行もお食べになった物に御座います」
「いやいや、大きくて水々しくて実に美味かったよ」
「奴らは昨年も太吉の畑を荒らして居りまして、その際畑に仕掛けてありました肥溜めに落ちているんですよ。それを恨んで居るようです」
「随分と臭い話だな」
奉行はクスクスと笑った。
「その仕返しに盗みに入ったのでしょうが、まだ実が小さいので食べごろになったら根こそぎ盗むつもりだったというのです」
「そこで料理茶屋との約束もあるから、泥玉を作って西瓜に見せかけて持ち込んだのでしょう」
と定廻り同心柴田勘解由は推測する。
「そうかなぁ、いやその辺りがどうもスッキリせんのだ」
奉行は役宅に戻ってからも考えていた。
本来吟味役与力に任せて置けば良いのだが、
あの与太者達にそれだけの術遣いが居るようには見えず、他の誰かが関わっているように思えてならなかったのである。
奉行は翌日老中大久保隠岐守に呼び出されて御用部屋に行く。
町奉行の控え部屋は隣り合わせに在るようなものだったが、出入口が逆であった為、一旦中之口廊下を通ってでないと行かれなかったのである。
「美濃守、此度の件は大分難渋して居るようだな。如何した」
「はっ、泥玉西瓜が与太者共が作ったものでないとしたら誰がそのような手妻(手品)紛いのことをしたのか、または出来るのか…。何れにせよ又八と共犯五名の窃盗罪は免れませんので、重敲きの上腕に二本の入墨と所払いを考えて居ります」
「それならその方の独断で裁可できようが、泥玉を西瓜に見せるなどは妖術としか思えんが、其の方の見解はどうなんだ」
「御老中、実は私めが北町を拝命致しまして以降奇怪な事件が
一つ目は王子の音無川沿いの茶屋で夫婦連れが払った壱分金と壱朱金が石ころだったという事件です。
そして二度目が与太者が
これらは何れも夫婦ものが関わって居りまして、被害者、被疑者らの証言に寄ります処の男女の風体が似て居るのです」
「はてそれは如何様に…」
と老中は言葉を挟む。
「はい、王子の茶屋に関しましては、両方とも町人で男はでっぷりしていたそうですが職人風の男で、まるで狸の様な出っ張った腹をしていたと言い、女は細身で目鼻立ちがはっきりした好い女だったと言います。
二件目は商人風の夫婦だったとか言うのですが、矢張り男は太鼓腹で女は流し目の狐面だったというのです。
そして三件目の被疑者は紛れもなく名うての与太ですから、この連中が手妻や妖術を使うとは思えないんです。況してや又八らが盗んで来たという亀戸村の百姓夫婦は越後の出身の様で時々越後弁を使いますが、どう見ても実直な、気の良い夫婦にしか見えませんので、どうみても妖術を遣えるようには見えないんです。
今回の事件は異質のようではあるのですが、どうも同一人物達が絡んだ事件の様に思えてならないのです」
「すると何か、そちは今回の泥玉西瓜もその二人連れが関わっているとでも言うのかな」
老中大久保隠岐守は茶坊主が持って来た茶托を手にすると、ぐいと飲んだ。
「冷たくてうまい」
「御老中、亀戸村の西瓜も大変美味でしたので今度持って参りましょう」
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