第11話 盗人退治
ぽん太は約束通り、翌日太吉宅を訪れた。
この葉の提案に基づき、太吉とぽん太は作業を開始した。
西瓜畑の
二人は陽が落ちるまで作業に没頭した。
座敷に戻ると丁度この葉が得意先廻りを終えて寄った所で、四人してかて飯を食べた。
「上手くいくかね」
常は上手く罠に
「心配要らねえすけ、見てたらええ」
太吉とぽん太は自信満々に女房らに話す。
一体どんな仕掛けをしたというのだろうか。それは盗人が掛かってのお楽しみであった。
ぽん太とこの葉は思い出したように名所巡りをしたが、太吉夫婦が精魂込めて作った野菜が盗まれることにぽん太も憤りを感じて、何とか盗人を懲らしめてやりたくて仕方なかった。
誰が盗んで行くのかは分からなかったが、何の為に盗むのかは大体察しが付いた。
一度に盗む数が三個から五個ぐらいなので、何処かに売りに行ってるに違いないと踏む。
荷車などで来ればガラガラと音が響くから判るので、恐らく背負い籠に入れて持ち帰ったものと推察出来た。
「百姓かね」とお常。
「違うな。青物屋だろう」
ぽん太は青物屋(八百屋)が店に並べて売っているか、料理屋や茶店に売っているのだと推察する。
「親爺さんよ幾つぐらい生ってるんだい?」
「んだなぁ三十個ぐらいは生ってべぇ」
そろそろ取り頃なのが四、五個あった。
「そろそろやって来るべい」
「そりゃ愉しみだ」
盗人が来るのを楽しみにするなんぞ可笑しな話だが、それは彼らが施した仕掛けに在ったのだ。
何れにせよ人の物を盗むなんてのは許されるものではないが、その現場を押さえないことには罰することも出来なかった。
と言って四六時中外で見張って居る訳にも行かず、懲らしめる手段としてこの葉が考えたものだった。
それから五日後に二人が太吉の家を訪ねると常が、
「出たよ出た出た」
と嬉しそうな顔して言う。
「出たかね」
それだけで通じたのである。
「太吉さんは?」
とこの葉が訊くと、
「畑に居るよ」
早速二人は西瓜畑へと向かった。
「上手く行っただよ。ほれ見て見いな」
賊は西瓜畑の畦道に仕掛けた罠に落ちたらしく、その痕跡を鮮明に残していた。
西瓜は一つも取られることなく残って居たのである。
扨てその痕跡だが、賊は南側に掘った浅い水路を通って畦道に入り、肥溜めの横数尺ずれて畑に侵入したのである。
恐らくその辺りで提灯に灯を点して畑から剥き出しになっている西瓜目指して足を踏み入れたらしく、そこに仕掛けて置いた罠に見事に嵌ったのだ。
何故目の前に見える西瓜を取らなかったかと言うと、騙し肥溜めを避けた先に球体が転がっていたのでそれを採ろうと足を踏み入れた途端、偽装土の上に乗っかった為、肥溜めの中に片足が落ちてしまい、横に倒れた弾みに騙し肥溜めの縁を掴んでこれもまた手の方に傾いて、黄金水を頭から浴びたようだった。
その証拠が逃走路とした東側の水路に続いて残って居たのである。
「ざまぁみそずけ秋刀魚の開きよ」
ぽん太も太吉もしてやったりと大喜びであった。
「如何やらたっぷり黄金水を浴びたようだな」
二人はその痕跡を辿ってみると、田圃との境にある畔が通りに出る辺りまで汚れて居り、下肥の臭いが付いて漂っていたのである。
そしてそれは大横川の土手にも付着してあった。如何やら盗人はその辺りに小舟で来て、
盗難品を何処かに運んで行くつもりであったのだろう。
「これに懲りてもう来ないだろう」
と誰もが思い、畦道も以前のように普通に直して生育状態見て、十数個の玉返しも終えて収穫時期を待っていた。
ところがである。
太吉が収穫しようと畑に行くと、それらはそっくり持ち去られていたのだ。
その辺りには複数の足跡が残っていた。
知らせを聞いてぽん太とこの葉は駆け付けると、その無残に持ち去られた畑の惨状を目にして、ぽん太も太吉も煮えくり返る思いであった。
いつかこの盗賊たちをぎゃふんと言わせてやろうと誓いあった。
この夏はこんなことであっという間に過ぎ去って行った。
ぽん太とこの葉は秋になると根津辺りの紅葉を見に行ったりするのだが、近頃は深川辺りに行くことが多かった。
それと言うのも、そこから北に向かって三つ目橋か少し下がって四ツ目橋を渡って堅川沿いに行けば亀戸村は直ぐだった。
八月十五日は望月で太吉夫妻に招かれて行くことになったが、その前日から深川の富ヶ岡八幡宮は祭礼で、御神楽太鼓の音が鳴り響き、その近辺には屋台に人が群がって大層賑やかであった。
「寄せて頂くよ」
月見団子を室町の和菓子屋で買って手土産に持って来たのである。
縁側には三方に団子が十五個積み重ねて飾られてあり、柿や栗が添えられていた。
果物は庭の木に実ったものであった。
「よう来なすったね」
此処一月ばかり無沙汰であったが、太吉は長屋の下肥回収には来ていたが、ぽん太夫妻が留守して居たので会わなかっただけであった。
九月十三日は後の月と言って十三個の団子を供え、片や餡を入れたのに対して黄粉をまぶしたのである。
ぽん太夫妻は十三夜も太吉夫妻に招待されたので片観月にならないように手土産持参で受けたのであった。
九月十一日から十五日までは飯倉神明宮の祭礼で下旬まで行われていたので、俗にだらだら祭りと言ったが、両家とも用事があって行けなかった。
御用祭は辰年の為、山王大権現祭が六月十五日に行われていた。
両社隔年実施の為、神田明神祭は来年乙巳の歳に執り行われる筈であった。
九月下旬、銀杏の葉も黄色くなって路上を染める紅葉は谷中天王寺や寛永寺、根津権現、大塚護國寺、品川海晏寺などが有名で大勢の人が訪れていた。
十月(亥月)初亥の日は収穫を終えた農家が新たな年に向かっ豊穣と家族の健康を祈願し感謝する日である。
この日千代田城では玄猪の篝火と言って、諸大名が暮れ六つ(十七時過ぎ)に登城し、大手御門と桜田御門外で大篝火を焚いた。
この日から城内各部屋に火鉢を出して暖を取った。
町屋もこれに倣い、火鉢や炬燵を出したのである。
ぽん太は若い頃、その門近くまで忍び寄り、積み上げられた数百本の薪が炎を上げて夜空を焦がすのを驚きの眼差しで眺めたものだった。
ぽん太は番士らに下賜された紅白の餅を一つ二つと失敬して堀際の茂みに入って頬張ったものだ。
こうした行事についてもぽん太は【気紛れ歳時記】に詳細に記したのである。
十一月ともなると、寒さ次第に厳しさを増して、霰や雪が降る日が多くなる。
この月の八日は鞴祭で、これ等を業とする鍛冶屋、鋳物屋、錺の職人らは実業の徳に感謝してお稲荷様を祭る。
この日は家業を休み、家の中を掃除して客を招いたりするのだという。
二人が住んで居る須田町から神田鍛冶町にかけてはそうした職人らが軒を並べていたので、三崎町の三崎大明神(水道橋の神田川土手沿いにある)を始めとして、神田界隈その他の稲荷神社を鍛冶の守護神として祭ったのである。
ぽん太とこの葉だが、この二人は特に鍛冶職人でも何でもないのだが、長屋の裏の神田川の土手沿いに在る稲荷社を率先して清めていた。
【気紛れ歳時記】の記事の添え書きに[我とこの葉の住まう所也]とあった。
読者諸氏は半分は納得し、半分は不承知のことと思うが、今暫く紙数を頂きたい。
さてこの夫婦には関係ない行事として七五三の祝いが在る。
元々は武家社会から起こったもので、男女三歳を髪置きの祝い、男子五歳は袴着の祝い、女子七歳を帯解きの祝いとして、十一月の吉日を選んで宮参りをした。
この歳もこの葉は商売柄お酉さまで熊手と熊手の簪を頂いて来た。
年が明けて二日から髪結いとしてお得意先を回ったのだが、この時御酉様で買って来た熊手の簪を結い上げた後に前髪の横に挿して
「おめでとう御座います」
と改めて挨拶をした。
「縁起もので良いわ」
と大概のお得意さんは喜んだが、中にはそうしたことを好まない気位の高いお得意さんも居たのである。
二日から二、三日かけて得意先回りをして、最後に亀戸の太吉の家に寄った。
お常の髪結いと太吉の整髪の為であったが、この日はぽん太が先回りして待って居た。
「早いじゃないか」
「いやね、冨澤町の三國屋さんと大津屋さんとこが初詣とかで留守だったもんだから予定より早く上がることが出来たのさ」
「そうかい良かったじゃねえか。お二人さんも早くて良かったね。さあさ、やって貰いなねぇ」
ぽん太は横に置いてあった凧を取ると糸目が左右対称かどうかを見ている。
二枚半張りだから中凧だが役者絵が描かれているからそこそこの値であったろう。
両國橋を渡って元町の裏店の木戸横に葦簀張りの凧売りが出ていたので、そこで凧糸と共に買って来たと言うのだ。
子供が居ないのでぽん太そのものが子供みたいなところがあった。
「この葉、おいらその辺りで凧揚げしてくらぁー」
ぽん太は凧と凧糸を束ねて持っと、
「よっこらしょ」と立ち上がった。
その時袖口から財布が落ちて紐で括ってなかったので一文銭が数枚転がった。
それを太吉が拾い集めると、
「ぽんちゃん、これそこで造った奴だよ」
と寛永通寳の裏に刻まれている文の字を指し示すのだった。
「何のことよ」
常が太吉に代わってその辺りのことを説明する。
「天神橋通りのこちら側に銭座という寛永通寳を造る工廠があったのよ。そこで寛文年間に造った物には文という文字が裏に鋳らいたのさ。元禄・寳永の頃も造っていたね」
「凄い量だろう」
「そりゃそこで造っている量だって半端じゃないだろうけど、結構いろんなとこで造っているみたいよ。例えば水戸や仙臺、松本、長門、岡山とかいろんなとこで造っているんだって話さ」
「そうなの。それはそうとあんた財布の紐はちゃんと縛っとかないと落としちゃうから気を付けてよ」
「大丈夫だい。いざとなりゃあの手で困るこたねえよ」
「あんた莫迦言うんじゃないよ」
と真剣に怒る物だから常や太吉は、
「あの手って何のこと?」
二人は声を揃えてそう問い質す。
「何でもねえす。冗談冗談よ」
「ちょっと上げてくらぁ」
ぽん太は誤魔化すように飛び出して行った。
「意味のないくだらない冗談よ」
太吉夫婦には如何くだらないのか意味が分からなかった。
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