第10話 花見が縁で

 一月後、大家の七兵衛は管理している三か所の長屋の汲み取りを許可したのである。

ぽん太はこの葉と共に亀戸村の百姓太吉を訪ねた。

「ありがてえこって。さぁさお上がんなせい」

 と今度は座敷に招き入れたのである。  

土間にはへっついが三口あり、部屋は四部屋で縁側沿いの座敷に通された。

 十畳の間が四部屋だから戸襖を外すと四十畳と言う大広間になって大勢を収容できたのである。

 お婆さんが麦湯を持って来て愛想する。

「お蔭でええ野菜がでけそうですわ」

 この葉は湯呑を手にすると、そっと口に運んだ。

「あら冷たくておいしいわ」

「まぁこんげに暑い時はしゃっこい物に限るわな」

 出した方も出された方も満足そうに笑った

「おっかぁ、あれ切って来いや」

「はいはい、十分冷えてますけぇね」

 と言いながら、裏の用水に冷やしてあった円い緑色の水菓子を持って来ると、流しの横のまな板に載せて包丁を入れる。

緑の球体が真っ二つに割れると、赤い色した果物が出現したのである。

「あらー西瓜みたい」

「はあ嫌いかね」

「いいえー、何時のと違うので」

 この葉らが通常茶店などで見る西瓜は賽子状さいころじょうに四角くカットされた物で、目の前のように四等分に切られたものなど滅多にお目にかかれなかったのだ。

「このまま頂いて良いのかしら」

「へえ~凄いなぁ。おう冷たくてうめ~や」

 ぽん太はがぶりと真ん中からかぶり付く。

「これ甘いよ」

 二人が食べた西瓜は可なり甘かったのだ。

「これ売ってるの」とこの葉。

「いやぁ作り始めて三年目で最初は少し出来たけど、去年は全く駄目だったのよ、で今年は何時ものところに別の物を入れてしまったもので、空いてるところに種を入れて少しだけど実ったのよ。昨年は何で出来なかったのか分からないんだけど。結構難しいわな」

 農業は手間暇かける割には実入りが少ないというが、稲作は確かに年貢を収めなければならず、特にこの辺りは旗本の知行地なので、半分は確実に郷蔵に収めなければならなかった。

その反面野菜はある程度自由に耕作できたので、それ等の収入で金肥や種・苗等の購入や道具の直し等に充て、食費や燃料代など結構掛かったのだが何とかやり繰りで来たのである。

「畑を見せて呉れる?」

「どうぞ」

 ぽん太は太吉に付いて歩いて行くと、畑の端の丁度中頃に小屋が在った。

「ぽん太さんちょっと覗いて見て」

 と太吉が扉を開けて中を見るように勧めるのだった。

正面には鎌や鍬等の道具が立てかけてあったのだが、それよりも鼻を突く強烈な臭いが漂っていた。

「うっ、くせい」

 畑によくある肥溜めの臭いであった。

「魂消たようだな」

 太吉はぽん太の顔を見てけらけらと笑う。

「ひでえ臭いだ」

 ぽん太は思わず鼻を摘まむ。

「黄金水はまさに発酵しているんだべ」

 発酵させることで寄生虫や病原菌が死んで堆肥となったのである。

 ここで作っている野菜は大根や小松菜に砂村ねぎ、キュウリや寺嶋ナスだという。

そしてぽん太や木の葉が齧り付いた野菜菓子西瓜があった。

太吉は僅かと言ったが、両掌に載せるぐらいの球体がつるで繋がっていて、結構な数畑に転がっていた。

「これをどんどん作ったらいいんじゃない」

 この葉は何気なく言ったのだが、太吉は腕を組んで首を捻る。

「さっきも話したように取れたり取れなかったりと難しいんだよ」

 太吉のその言葉にこの葉はあることを思いついたのである。

家に戻るとこう提案した。

「太吉さん西瓜を作る位置を毎年動かしてみたらどう」

「てことは?」

 作る場所を変えるのよ。良く判らないんだけど、もしかしたら西瓜って同じ場所で続けて作ることは出来ないんじゃないかと思うのよ」

「詰まり連作しちゃいけないってことかぁ」

 太吉も女房の常も肯いて見せた。

「あれだけの耕作地があるんだから作る場所を替えたらいい」

 ぽん太も思いつきを話し、

「ところで肥はどうやって運ぶの?」

 と肥桶の運搬を心配する。

「少ない時は牛で運んだけど、はぁ舟でねえと間に合わねえな」

 俗にいう汚穢舟おわいぶねである。

太吉の村の百姓五家の共用汚穢舟で汲み取りに廻るのだが、それらは幸にして神田界隈が多かったので、神田川から浅草川、堅川と抜けて大横川と回漕したという。



 こうしてぽん太夫婦と百姓夫婦の奇妙な交流が始まった。

太吉夫婦の方が年配でぽん太夫妻が少し若いことになるが実際のところは違っていた。


 背負い籠は返すつもりで持って来たのだが、帰りに土産に西瓜スイカを貰ったので、またそれに入れて背負って帰ったのであった。

 それから二三日して太吉が女房の常を伴なって長屋にやって来た。

亭主の太吉が大家の七兵衛と汲み取りの件で話している間に、この葉は常の髪を結い直してやった。

元々は越後の出身で色白であったのが、野良仕事で日に焼けた上、化粧っけなしであったので田舎の母ちゃんであったが、この葉が髪を整えて薄く化粧してやると、見違えるほどに変貌したのである。

それは戻って来た太吉が、

「おっかぁは何処に行ったかね」

 と、女房の常を前にして言わしめたほど変わって見えたのである。

「眼の前に居るだろうに」

 と常に揶揄われて驚いたものだった。

 汲み取りは此処神田須田町の他に二箇所、合わせて三か所の汲み取りに付いて約定を交わしたのである。

「良かったじゃないか」

「へいお蔭さんで助かりました」

「序だから太吉さんの髪もやってあげる」

 この葉は太吉の伸ばし放題の月代を剃って、白髪交じりの髷を結い直すと、これまたいい男に蘇った。

「お二人さん好い感じだよ」

 この葉はそう言いながら道具をしまった。


 四人は近くの居酒屋で暑気払いにとウナギのかば焼きを食べて、夏バテしないようにと励まし合ったが、突然常が西瓜泥棒の話を始めたのである。

「前にもあったけど、そろそろ収穫と言うところで五、六個持ってかれたんだわ」

 畑荒しは近所でもあったらしい。

「盗むとしたら夜だろう?。暗いのに良く判るな」

 すると太吉は居酒屋の入り口に掛っている提灯を指差した。

「提灯か!」

「多分小田原提灯だね」

 小田原提灯は携帯用であればふところでも、たもとにも入れることが出来る持ち運びに便利な提灯ちょうちんであった。

賊は日中獲物に目星をつけておいて無月の時にでも畑に侵入し、品選びの時初めて懐からそれを取り出して火袋ひぶくろ蝋燭ろうそくを立て、足元を照らして物色したのだろう。

畑を分ける畦道は人一人が通れる幅である。

 そこでこの葉は面白い提案をする。

「太吉さんお常さん、こうしたらどうかな」

 この葉は声を潜めてそう言うと、皆はそれを聞き取ろうと顔を寄せて耳をそばだてるのであった。

「そいつぁ面白れぇ」

 ぽん太ははしゃぐように大声を上げた。

「あんた」

 この葉は苦笑いしながら制止した。

「おおっ!済まねえ」

 常も太吉も大笑いであった。


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