第9話 お裁き

 この日は他に回れたら行くつもりであったが、さすが蒲田までの道程はきつかった。

例の如く東海道を上って出発点の日本橋に戻って来た。

 するとまた橋の手前に在る高札場前が人集りを作っていた。

「この葉待って居ろよ」

 とぽん太が中に割って入って行くのを見ながら、

「仕様も無いひと」

 と呟くのだった。

 待っている間、あちらこちらと眺めて居ると

「おいおいこの葉見ろや」

 と瓦版の紙面を指で叩きながら喜んでいる。

「如何したのさ」

 この葉はその指さす部分に視線を投じると、

【消える黄金で飲食】

 浅草山谷の住人音吉と権八の両人は、柳橋の繁六と言う船宿を兼ねた料亭に連れ合と共に昼間より座敷に上がり、芸者や太鼓持ちを挙げて遊興三昧に耽り、挙句は支払いに使いたる小判が会計の後単なる葉っぱと化したので、店主は船頭や若いしらと共に追いかけて、日光街道に出る寸前でその四人を取り押さえ自身番に突き出したとあった。

 読売の口上は細部に亘って早口で語る。

「自身番で止め置かれた四人は翌日、月番の北番所から定廻り同心の雨宮貞三と岡っ引きの仙太と捕り方八名がやって来ると、捕り縄を繋げて自身番内の土間に座らせ、同心雨宮が船宿から戻るの待って居た。

   

 柳橋の船宿繁六での事情聴取を終えて戻った同心雨宮貞三様は、捕り方と罪人一同を従えて柳橋から両國廣小路に出て横山町から通旅籠町、大伝馬町を通って、本町でお堀端に出ると、八つ見橋(一石橋)を渡って呉服橋御門から北番所へと入った。

 権八と音吉におつたとしまはお白州での吟味を受けた。

「浅草山谷の住人下肥人足(船で排泄物の回収を行う汲み取り屋)音吉並びに権八、その方らは手妻(手品)を用いて葉っぱや石粒を小判や壱分金に変え、それを以て飲食遊興費に充てたことに間違いなく、これは無銭飲食を含め詐欺罪に当たるが確と相違なかろうな」 と北町奉行の須田美濃守信秋は船宿繁六の訴状を読み終えると、四名に対してそう問いかける。

「お奉行様に申し上げたきことが御座います」

「許す。申してみよ」

「へい。繁六さんの言う通り、四人で芸者を挙げてドンチャン騒ぎをしました。その勘定を壱両小判と壱分金で支払ったのも確かで御座います。ですがその金子は人から頂いたものでしてまさか葉っぱや石ころとは思ってもみませんでした。通貨偽造行使や詐欺罪に当たるとすれば神田川沿いの柳原通でその金子を恵んでくれた夫婦が問われるべきかと存じます。抑々わたし等こそ被害者と言えませんでしょうか。この先壱両参分の代金の支払いをしなければなりませんでしょ」

 と、とんでもない申し開きを言うのだ。

 奉行はそれでもニヤニヤしながら、権八の言い分申し立てを聞いて居たが、言葉が切れた所で、

「おう権八さんよ、狐にでも化かされたとでも言うのかい。昼間っからそれはねえだろうし、第一困っているからって、見知らぬ者に壱両小判と弐分金を呉れるかね。とても信じられねえな。貰ったのが事実だとしたら、もう一つ罪状が増えると言うもんだ。良いかい、それは強盗罪と言って、相手に傷を負わせたならば死罪だし、単なる窃盗だとしても二人は入墨の上島送りだな。お前たちは鞭打ちの刑で済みそうだが…」

「お奉行様、困っているから恵んで欲しいとお願いしただけなんですよ。あっしらが貰った時は間違いなく小判と壱分金でしたのに」


 読売は此処で奉行の裁可を瓦版に書いてあると言って口上を止め、

「さぁ買った買った」

 と売り捌くのだった。

 奉行の裁可によって音吉と権八は腕に入墨されて長吏(非人)の集団に入れられて非人頭の監視のもとに処刑された罪人の後始末の仕事に従事することになった。

手当の大半は船宿繁六への支払いに天引きされたのであった。

また美人のおつたとしまは十叩きの上、繁六での下働きとなってその報酬からこれも天引きで返したのである。

 奉行の須田美濃守は全てを信じた訳ではなかったが、四人のうちの誰かが南蛮渡来の奇術を使ったものとして処理し、飲食遊興費を逃亡しにくい状態で働かせて払わせるように仕組んだのであった。


 これは誰かが彼らに仕掛けたものかも知れなかったが、奉行はそれ以上の探索捜査を命じることは無かった。

それは女二人はとも角として、音吉・権八が名うての悪であったので、これ以上領民に対して悪ささせない為の懲らしめとも言えたのだが、平民から非人に落されたのだから、罰としては決して軽いとは言えなかった。




 裏店までの帰路、この葉は黙り込んでいた。ぽん太は特に感じていないようだしお調子者だから、この葉はあることを危惧・懸念していたのである。

それと蒲田の梅園での思わぬ出来事にある疑念を抱いていた。

帰り際に起こったあの騒動でぽん太が取った行動を怪しんだのである。

 

 それを思い出してみる。

二人は腹ごしらえが済むと、江戸に戻る前にいま一度梅園の奥を眺めて居た。

すると、子供が枝にぶら下がって落ちるのが見えた。

その途端ぽん太はすっ飛んで行ったのだが、

その子は泣くばかり。

 如何やら枝に付いている棘が刺さったらしく、泣いてばかりで何処の誰とも分からずじまいであった。

 ぽん太はその子を抱いて土産物屋に連れて行き、軟膏を塗って貰った。

「この辺りじゃ見かけない子」と売り場の婆さんは言う。

 その子のその後の行動を観察してみると、どうも土地に馴染みが在りそうな動きを見せる。

「ねえお前さん、あの子何となく可笑しくないかい」

 と訊くとぽん太は、

「唯のガキだよ」

 と何故かそっぽを向いて話す。

「そうかな。あの子の動きだけど…」

 走る時にお尻の辺りが触れるように見えたというのは尻尾が揺れるように見えたということであった。

「そんなバカな。ある訳ねえだろう」

 ぽん太とて分かっている筈なのだがは執拗に否定したのだ。

 この葉はその子を見た時、どことなくぽん太に似ているような気がしたのである。

ぽん太は最近では夜出かけることは殆どしなくなったが、一、二年前ならちょくちょくあった。

仮にあの辺りまで行くにしたって、ぽん太なら一走りであった筈。

いやあちらこちらと覗きながら行ったとしても可能な距離と言えた。

そしてあの子の母親とどこかで出会った。

変化へんげは母親が教えたものに違いなかったが、悪戯に枝にぶら下がって落ちる子供が、ぽん太には遠くからでも我が子と分かったのだろう。

自分の子供でなけりゃすっ飛んでなんか行く訳なかった。

そのことをぽん太に問い質したとしても、正直に答える訳も無いので、不問に付したのだった。



 花見は梅から桜に代わって、先ずは市ヶ谷御門前の台地上に在る亀ヶ岡八幡(市ヶ谷八幡)に行くというので、筋違い御門から西に御家人の屋敷地を抜けて神田川沿いに出て、北側に在る水戸中納言様の御屋敷を見ながら小石川御門、牛込御門の前を通り抜けて行くのだが、その小石川御門の手前水道橋の横に神田上水の懸樋かけひが掛かっていた。

 江戸市中の飲料水は、他に玉川上水・本所上水・青山上水・三田上水に千川上水とあり、全部で六上水で賄われていた。

 さて牛込御門の先に架かっている市ヶ谷御門の橋を渡って台地の上に在るのが八幡神社であった。

急な階段を上がって行くと、途中に満開の桜の木が枝を桃色に染めて参詣帰りの花見客を迎えた。

「この八幡様はよ、文明年間に太田道灌が江戸の鎮守の為に、鎌倉に在る鶴ケ岡八幡を勧請したというんだ。市ヶ谷八幡神社が正式らしいが…」

「何で亀ケ岡八幡なのさ」

「そりゃこの葉よ、元はあの御門の内側に造ったらしいんだが、寛永頃に此の岡に移したことから鶴に対しての亀で、亀ケ岡八幡と呼ぶようになったらしい」

「何でも知ってんだねお前さんは、で何処に行くの」

 この葉は案内付きの名所巡りが楽しくて、疲れを感じなかった。

「来る時に水道橋の懸樋を見たろう」

「神田川上水のだね。それで此処にもあるのかい」とこの葉。

「こっちのは玉川上水と言うのさ]

 ぽん太は甲州街道を内藤新宿に向かって歩き出す。

「神田川上水てのは井之頭池から流れ出てる神田川の上水のことで水戸様の屋敷地を流れてあの懸樋からおいら達が飲んで居る井戸に配水されてると言う訳だ」

「へえ~、でもそれだけで八百八町を賄ってるとしたら凄いじゃない」

 この葉は豪く感心する。

「この葉よ、今のお江戸は九百三十町位あるけど、玉川上水は途中で三田や品川などに分水してるから何とか足りてるんだろうよ」

 そんな遣り取りをしてるうちに甲州街道の最初の宿場内藤新宿に着いた。

街中を歩くのも楽しいものだが、二人は宿場の裏に回った。

 上水の南側の土手には、八分咲から略満開の桜が連なるように入り混じり、その下に座り込む者や、一本一本じっくり眺め歩く者、中には絵師らしく、紙に下絵を描いている者もいた。

ぽん太とこの葉は橋を渡って並木を見ながら玉川堤を歩く。

「よっこらしょ」と土手に座って足を投げ出して上水の流れを覗いて見る。

「おいらも老けたなぁ」

 水面に映し出された己の姿を見つめて思わず呟いた。

「何言ってんだい。お前さんは未だ若いんだから気持まで老けないでおくれよ」

 四十路を少し出たくらいだから未だ若いと言えるが、実年齢は違うのだから水面に移る姿は真実を映し出しているのであろう。

この葉とてそれは承知していたが、出来るだけ長く連れ添いたいと思って居たからであった。

 この日はその先に在る角筈の熊野神社まで出かけて行った。

二人は神田上水の溜池の畔にある茶屋で団子を頬張りながら、少し離れた所に在る桜を見ては遠くに見える大山やそれに連なる山脈を眺めていた。

 少し雲行きが怪しくなって来たので、そこから四谷御門へと戻り、神田川沿いに昌平橋から長屋へと戻った。

   


 梅・桜と来たら次は藤の花見である。

 名所と言えば国領神社(調布)や山王大権現社(赤坂日枝神社)だが、中々足が向かなかった

 江戸の名所と言えば、矢張り亀戸天満宮の藤の花である。

十幾つか在る藤棚の何れにも、紫色の房が豊かに垂れ下がっていて、その下には躑躅つつじいろどりを添えるように咲いていた。。

「毎年好くも綺麗に咲くもんだな。見ろや亀公が石の上で気持ちよさそうに寝てやがるぜ」

「本当だ。あんたにそっくり」

 この葉は亭主を揶揄って喜ぶ。


 池の中頃に太鼓橋が掛かっていて、橋の上から藤の花見をしている者も多く居た。

後に赤く塗られるこの橋はまだ生地のままであったが、水面に映りし投影は、風に揺らいで歪んではいたが、正に波に打たれる太鼓であった。

 境内を隈なく探訪して歩き、此処が本元の太宰府天満宮と同じように、社殿や池に太鼓橋を配しているということから、本家本元での参詣を思い描いてみたのである。


 天満宮を後にして、天神橋を渡って大横川沿いに歩いて行くと、反対側の田圃の横の百姓家の庭先に藤店の様なものが見えたので、その先にある旅所橋を渡って一町ほど戻り、住民に声を掛けて庭に入れて貰った。

 庭の一角に作られた藤棚には二か所から伸ばした蔓の先には濃い紫の花と白が混じったような薄紫の花が割り込むように伸びていて、それらから見事な房を垂らして咲いていた。

「親爺さんが作ったの」

「へぇ」

「大したもんだ。見事じゃないか」

「知り合いの植木屋に苗を貰って教えられた通りやっただけですけー」

「そうですかい。お前さんとこは広いから何でも出来るだろう」

 隣りの畑ではかぶや青大根に青菜(小松菜)がなっていた。

「旦那さん、おかみさんこっちゃで麦湯を飲まんかね」

 腰の曲がった女房が手招きして呼んでいた。

「ありがてえ、丁度喉が渇いてたのよ」

 縁側に座って、勧められるままに麦湯を飲んだ。

「サッパリしていておいしいわ。もう一杯頂けるかしら」

 この葉は麦湯をお代わりした。

麦湯とは煎った大麦の粉をお湯で溶かしたものだが、特に夏場は冷やして飲んだものだ。

「こりゃ美味い。おいらももう一杯頂いて良いかい」

「ええですとも」

 これは去年収穫したもので、今年のはこれから収穫するという。初夏が収穫の時期であった。

「所で何処から来なすったね」

 と親爺が訊く。

「神田須田町だけど知ってるかい」

「知ってますとも、かかぁの着物なんぞ川沿いの古着屋で買って来ますよ」

 神田川沿いにある柳原通りの古着屋のことらしい。

「神田には良く来るのかい」

「へい百姓仲間と肥を買いに行くんですが、もう少し欲しいんで何処か有りませんかね」

「向嶋には豪商の屋敷や料亭が沢山あるじゃないか」

「へえ、ですが小梅村、小村井村、木下川村の百姓が持って行ってしまうもので、私らは府内に求めてめえりやしたが…」

「足んねえということか」

「牛や馬の糞とか草木の茎や葉っぱもあるでしょう」

「確かに刈敷も堆肥にはなりますが、栄養分が足りないんです」

 と婆さまが主に変わって答える。

「それなら千代田城の将軍様やご家来衆なら旨え物食べてるだろうから分けて貰ったら良いじゃないの」

 仕組みの分からないぽん太らは気安くそう言うが、

「とんでもねえです。江戸城の物は全て葛西村が独占してますんで、おら達には手に入らねえんです」

「そんならお前さん、大家の七兵衛さんに訊いてみたらどうだろう、この間肥屋が来ないって困ってたことがあったのよ」

「そうかい、それじゃぁ七兵衛さんに訊いてみっか」

「ありがてえです」

「確約は出来ねえが良いかい」

「結構ですとも」

 ひょんなことから肥集めの斡旋と相成りそうだが、この葉とぽん太は手土産に野菜を沢山貰って、背負い籠に入れて持って帰った。

 その内の大半を大家に渡して、その百姓の話をしたのである。

「ぽん太さんも顔が広いね。いやね、今頼んでいる汲み取り屋が杜漏ずろうなもんで困っていたんだよ。あんたらもその辺りのことは知ってると思うが、それで何処から来るんだい?。

ほう亀戸村ですか、良いでしょ私は三か所預かってますから場合によっては全部任せても良いでしょ」

 これらは只で貰えるわけではなく、金肥と言って汲み取り手側がお金を払って持ち帰るものだった。

それを何で大家の七兵衛に話したかと言うと、長屋の厠、後架(共同便所)は大家が管理所有していたのだ。

 大家は家主と言ったが、家持から三両程の給料で雇われて町役人としての仕事もしていたのである。

その事務所が長屋に隣接していた自身番であった。

七兵衛は三か所掛け持ちだから報酬は八両から九両で、特権で得る金肥が三か所分だから、少なくとも百二十文にはなった筈である。


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