第8話 梅園での怪
ぽん太は正月休みで家に居たが、この葉はこの二、三日が稼ぎ時で最も忙しく、朝早くから得意先を訪問して髪結い業に専念して居たのである。
松の内も取れて月半ばに至ると、二人は名所巡りを再開した。
まだ梅を見に行くには早いので近くを歩いて回る。
本町通り(日本橋通)を日本橋に向かって室町二丁目で左に瀬戸物町があり、右側には駿河町が在った。
その大通りから、次の筋まで左右に越後屋と言う大きな呉服屋が在った。
本店と支店である。
伊勢の商人三井高利が現銀(金)掛け値なしの商売を始めて大いに繁盛した。
「この葉見ろ、いい眺めだろう」
遥遠くに頭に雪を被った不二山が見えた。
「この葉日本橋の呉服屋も覗いて見ようか」
「駄目だよ忘れたのかい。あの与太公たちがあの界隈をうろついて居るかも知れないだろう。どんな目に合うかも知れないよ」
とは言うものの別段畏れている様子はなかった。
二人はその他の呉服屋も覗きながら軒先ショッピングを楽しんだ。
瀬戸物町から伊勢町に出て左、道浄橋で堀留を渡ると大伝馬町であった。
大伝馬町は奥州街道の最初の宿場であったが、千住に橋が掛けられたことによって宿駅も移ってしまった為、役割を終えた街は寂れるばかりと思っていたが、木綿を扱う商人らが移り住むようになると、呉服屋その他の関連する店も進出して盛んになった。
その中でも、京都の呉服商大丸屋の進出は大きな影響を与えた。
ぽん太はこの葉の手を引く様に丸に大の字が染め抜かれた大暖簾を掻き分けて、店内を覗いたのである。
大座敷の各所で客を相手する番頭や手代の姿が見え、小僧らがそれらに反物の入った箱を持ち運んでいるのが見えた。
「いらっしゃいませ。どうぞお入り下さい」
と横合いから手代が声を掛けた。
「あっいや、今買おうってんじゃないんだ」
「構いません。さぁどうぞ中に入って御覧下さい」
随分と愛層の良い手代であった。
畳敷きに腰を下ろすと、小僧が茶托を持ってやって来る。
「番頭さん未だ客じゃねえんだから構わねぇでくんな」
「承知して居りますよ。それでは用事がありましたらお呼び下さい」
と立ち上がったので、この葉が声を掛けて押し止める。
「番頭さん、実は外出着の手頃なものが欲しいんですよ。あるかしら」
「ありますとも。御覧に入れますのでどうぞお上がり下さい」
手代は小僧に指示して木綿の反物を持って来させた。
全てに正札が付いていた。
「最近は皆さま方木綿を好まれるようです。木綿は肌触りも着心地も良いですからね。それと手前どもの店では神田紺屋町で藍染された生地を使っております。藍染は元々公儀御用達ですが、今ではこのように一般にもお許しが出てお得意さんに喜ばれて居ります。
代金を現金で頂く代わりに、この様に
一反売りの他に切り売りもしていた。
勿論仕立てても呉れたのである。
こうした商法は駿河町の越後屋に倣ったもので、多くの呉服屋もその評判に倣い始めてはいた。
だが一部では大名や旗本相手に品物を持参して売る屋敷売りを続ける
高級な品を高く売り付けることが出来たからだが、その反面支払いが盆暮れの二節季なので資金が逼迫して続けられなくなる大店もあった。
この葉はポン太の分まで仕立代を含めて支払うと、
「思わぬ散財だけど良いわよね」
と嬉しそうにぽん太の顔を覗く。
「偶にや良いってことよ。でもまさかあれじゃないだろうな」
「莫迦言わないで。本物よ」
ぽん太は仕上がり日に取りに行くからとこの葉を更に喜ばすのだった。
二月(
大伝馬町の呉服問屋大丸で仕立てた外出着も並べて置いてある。
この葉は亀戸の梅屋敷に行こうと言ったのだが、ぽん太は手始めに少し遠方だが蒲田村の梅園に行こうと半ば強引に決めたのだ。
途中には飯倉茅天神の梅があり、そこで花見をしていた連中と話が弾んで龍土町の梅もまだ七分咲きだったが、そろそろ見頃になるだろうから行くがよいと勧めるのだった。
ここからだと中の橋で古川を渡って宮下町から日カ窪町を通って芋洗い坂を登って六本木を左に行った所の組屋敷の近くだという。
そこは元和年間に海に面した村、愛宕下西久保の猟人村から、麻布領代地として与えられた土地で、当初漁師が多く居住していたことから龍土と改称したものであるが、此処に元々梅の木があったのか、新たに植えた物なのかは定かではない。
その連中が三日ほど前に行った時には紅梅、白梅が七分咲きだったと言う話であった。
そこまで行くのは良いのだが、そこから東海道に戻るのが大変だったので、二人は茅天神から真っ直ぐ蒲田に向かうことにした。
道中所々に梅が咲いているのが見られた。
品川宿にある茶屋で休憩をとって東海道を蒲田へと向かった。
品川から暫く街道は海べりを行くが、右側は広い原っぱであった。
松の木が幾つか植わっていた。
「この辺りもいい眺めだね」
と言いながらこの葉は年甲斐もなく波打ち際で戯れる。
「子供いたらそこで遊ばせるだろうね」
自分たちに子が出来ないことは承知していたがつい愚痴ってしまう。
「遊ばせるなんてとんでもねえ。お前ここを何だと思ってる」
「何だと言われたって分からないよ」
「此処はよ鈴ヶ森と言って悪事を働いた者のお仕置き場(処刑場)さ」
「磔獄門ってやつだね。おぉ怖」
この葉は身震いさせながらサッサと先を歩く。
「おいおい、悪いことしなけりゃ処罰されねえのよ」
「何言ってんだよ、少しは覚えが在るだろうに」
「あれは仕方ないことさね」
ぽん太は柳原通りの一件を思い出し、この葉は王子での食い逃げを思い出して居たのである。
そのまま海岸沿いを歩いて行くと、漁村らしく、小舟が濱に並んで繋がれてあった。
この辺りも海苔の養殖を生業としていて、いわゆる江戸前海苔の産地であった。
次第に海岸から離れて畑が広がる農地を横目に歩いて行く。
途中小さな梅園のような所が幾つかあった。
梅園と言うよりは梅干し造りの為の梅畑と言った方がいいかも知れない。
梅園と言われる所は広い敷地の中に梅の花を一杯咲かせて訪れる者達を楽しませる。
入口の傍の建物では梅茶を振舞って、梅干しなどの土産物を売っていた。
その奥では縁台に腰掛けて、玄米に梅干し、ひじきに豆の入った梅御飯を食べることができた。
「美味しいね」
「あぁ旨いよ」
二人は腹ごしらえが済むと、江戸に戻る前にいま一度梅園を眺めてみた。
すると奥の方で子供が枝にぶら下がって下に落ちるのが見えた。
そこにはその子しか居なかったので、ぽん太はすっ飛んで行った。
「坊主大丈夫か?」
如何やら枝に付いている棘が刺さったらしく、痛い痛いと泣くばかりで何処の誰とも分からずじまい。
仕方なく農園の土産物屋に連れて行き、軟膏を塗って貰うと、
「この辺りじゃ見かけない子だよ」
と売り場の婆さんは言うのだが、その子のその後の行動を観察してみると、どうも此の土地に馴染みが在りそうな動きを見せる。
腹ごしらえの後直ぐに戻るつもりだったが、思わぬ事態に思い悩むのだった。
「ねえお前さん、あの子何となく可笑しくないかい」
「唯の悪ガキだろう」
「そうかな。あの子の動きだけど、走る時にお尻の辺りが触れるように見えるんだけど」
この葉の言おうとしていることを理解したぽん太は、
「そんなバカな。ある訳ねえだろう」
「何言ってんの。あたしたちがそうじゃないの」
「あんなガキに出来るかよ」
「出来てるからあれなんだろう」
この二人の会話が解る人は彼らと同種かも知れませぬぞー。(天の声)
そんなことを言い合っている間に話題の主は何処かに消えてしまった。
「とんだ人騒がせなガキだったな。お婆さんまた寄らせて貰うよ」
二人は東海道を品川に向かった。
鈴ヶ森の先品川本宿の手前の海岸は
元は大川の河口にあったのだが江戸市街が大きく広がるにつれて需要が増え、品川沖に移されたものだった。
此処で取れる海苔をどういう訳か
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